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《主張》したモン勝ち? 前夜シカゴでパーティーがあるから、別の日に試験を受けさせてくれ、とのたまうボーヤ (再勉生活)

交換留学の説明会で、地区委員の方が体験談を話した。
「子供は留学から帰って来てから、それまでより《自己主張》ができるようになりました。やはり、周りの学生の影響を受けたのでしょう」
それを聞いて、《再勉時代》を想い出した。

米国では日本時代と異なる専攻だったため、大学院の講義の他に、学部の授業を幾つか受けることになった。
4年の必須科目Kinetics(速度論)の中間試験の答案が返された。
「アチャーッ!」
私は大きな問題を誤答していた。解法は正しいが、致命的な計算間違いをしていたのだ。
そこで、随分迷ったが、授業後に教授室を訪ね、
「私は確かに答えを間違えた。しかし、途中までは合っているし、その後の考え方も正しい。途中で計算ミスをしたに過ぎない。少しは点数をくれないか(Could you give me some credits?)」
とダメモトで言ってみた。先生が寛容ならば少しは点数をくれるだろう、という程度の期待だった。
ところが、先生はあっさり、
「Right」
とつぶやき、その問題にsome creditsどころか、《満点》をくれた。
けれど、それを他の生徒にアナウンスするわけではなかった。つまりは、《主張》した者だけが点数をもらえたのだった。

私などは足下にも及ばない、立派な女子学生を見たのも同じ授業である。
彼女は日頃からaggressiveな質問を多発していたが、答案の返却直後に、さっそく《攻撃》を開始した。
「先生は習っていない問題ばかり出題するから、私はできなかった。私の点が低いのは先生のせいだ」
と喰ってかかったのである。え?と私は耳を疑った。
教授も(学生からの授業の評価は重要な査定対象だからであろう)、
「今回の問題はすべて、宿題を少しずつ変形させたものに過ぎない。宿題をやればできたはずだ」
と丁寧に反論した。その通りだ。
しかし、彼女は30点代の答案を振り回し、どうやら真剣に怒っているようで、
「いや、試験問題と宿題とは境界条件が異なっている。試験は宿題とまったく同じ問題を出題すべきだ」
両者は熱い議論を続けたが、平行線をたどるのみであった。

余談だが、(サンプル数が多くはないので、多分に印象になるが)若い米国人女性は男性よりも自我が強い人が多いようだ。特に白人の美人は男性にサービスされることになれているためか、その傾向が激しい。
そのせいだろう、米国人男性には日本人をはじめとする東洋系女性の人気が高いようである。《自己主張》し過ぎず、従順(Obedient)である(と思い込んでいる)かららしい。


さて、次の話は物理学科の大学院の授業「Photonics」を受講していた時の事である。
私は学会発表のために期末試験を受ける事ができなかった。そこで、試験前の最後の授業が終わった後、教壇で事情を説明し、別の日に試験を受けさせてもらえないだろうか、と先生に頼んだ。すると、後ろにいた学生が、自分もそうさせてくれ、と声をあげた。
教授が彼に事情を尋ねたところ、驚くことにこのボーヤは、
「前日の夜、友人たちとシカゴで宴会があるんだ。だから、当日は試験に間に合いそうにない」
とのたまわった!
(ううむ、こりゃ、間違いなく、『試験と宴会とどっちが大事だと思ってるんだ!』と怒鳴られるであろう)
しかし、教授はなんでもなさそうに、こう言ったのである。
「よし、君たち二人は、正規の試験の前日に私の部屋で受けたまえ

当日、教授室で私とボーヤが試験を受けた後、先生は言った。
「いいかい? 明日、君たち以外の学生は《Exactly the same problems(まったく同じ問題)》を解く。従って、もちろんこの試験の内容は《Confidential(機密情報)》だ
(俺はともかく、この、試験よりパーティーを優先するようなボーヤを信用するのは危険ですぜ、先生
と私は思ったが、もちろん黙っていた。
 いずれにしても、ボーヤは《きわめて個人的な》事情を打ち明けたのが功を奏して、試験も受けられるし宴会も出る、という《二兎》を得たわけである。


また、研究室の教授が実験の人手不足解消のため、パートタイマーの学生を雇う張り紙をしたことがある。
やって来た同じ学科の3年生(♂)は、たいへん豪華なレジュメ(履歴書)を持参してきた。
その書類はやたらと自分を《成績優秀》と褒めちぎってある上、《職歴》欄には、
「市営運動施設での指導員」
と書いてあり、たいへん《責任感》の強い人間である、とのコメントが付けられていた。

めでたく雇われた彼に、私は、
「君の履歴書見たよ」
と話しかけてみた。
「学校行きながら指導員やっているのかい? えらいね」
「いや、あれはSummer job(夏休みのバイト)だよ」
「ほう、どんな仕事なんだい?」
「プールの監視だよ。ほら、高い椅子に座って水着の女を眺めている仕事さ。後は、飛び込みするガキがいたら、笛を吹くんだ。それだけさ」
「なるほど……You must be very responsible(責任感、タ・シ・カ・ニ、強そうだね……)」

米国人学生の自己アピールが一番良く表れるのが、このレジュメである。
アルバイトでさえこの主張ぶりなのだから、就職用となると大変である。とにかく、書いてプラスになりそうなものはすべて書く。
(特技かあ、別に何もないなあ……)
と履歴書を前に頭をひねり、「特になし」と書き込んでいたかつての私のように間抜けな学生はいない。

「良かったなあ、これはレジュメに書けるぞ!」
友人が興奮して叫んだのは、私が学会支部の発表会で学生ポスター賞(3等だった)を取った時である。当の私は賞金を50ドルぐらいもらって喜んでいただけだったが、彼らの反応は違った。
(そうか! つまり、プールの監視バイトを《市営運動施設の指導員》と称したように書いてしまうわけだな)
受賞歴は就職の際に有利に働くようであった。私もならって学位論文にこのポスター賞受賞を書き込んだ。もちろん、「支部」とか「3等」といった、《余計な情報》は書いていない


やはり、人は他の動物と同じく、報酬によって学習するようである。
社会の中で他の人が《自己主張》するから自分もそうするわけではない《自己主張》すると良いことがあるからそうするのである。

帰国後、ある会社管理職が、自分の部下がいずれも《自己主張》が弱いことを嘆くのを聞いた。しかし、よく観察してみると、何の事はない、部下たちは管理職の反応を見ながら学習したのである──《自己主張》しない方が得策であることを。


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日本の試験採点の《過剰》なキビシサは……


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