詠み人知らず(エッセイ)
大学入学の年、GW明けぐらいから徐々に講義に出なくなり、泥酔して物理の試験を受けそこなったことをきっかけに、体育を含め全科目サボるようになり、「留年」を決めました。
当初は少林寺拳法部の練習に出るためのみキャンパスに顔を出していましたが、やがて道場にも行かなくなり、夏休み前には完全な《引き籠り》状態になりました。
といっても、自室に引き籠っていたわけではなく、旅をしたり、バイトしたり、隣のアパートに住む女の子を呼んでギター弾きながら宴会したり、麻雀したり、── きままに暮らしていました。
翌年、社会復帰を果たしますが、ほとんどの科目を落としているので、まさに《完全落第生》として1学年下の連中と同じ講義を受けることになります。
私のような留年生は、いわゆる《同期の輪》には入れず、当然女子大との合コンなどにも呼んでもらえず、かといって前の学年クラスからお呼びがかかることもなく、「キャンパス復帰1年目」はけっこう孤独でした。
(脇道に逸れますが、会社での休職明けなど、これと同じような境遇になるのでしょうね)
部活もやめてしまったのでキャンパスに居場所はなく、講義に間が空くと、学食で時間のずれた軽食をとったり、生協の書店を徘徊していました。
その時代の徘徊場所のひとつが ── ちょっと違和感があるかもしれませんが ── トイレです。
もちろん、男子トイレです。女子トイレを徘徊したら警察に突き出されていたでしょう。
そこで何をしていたか?
── もちろん、本来の目的を果たしていたこともあります。
その他は、── 実は、壁の《落書き》を眺めていました。
うーん、暗い青春、と思われるかもしれませんが……。
(言い訳のようですが、彼女もいて、キャンパス以外ではそれなりに楽しくすごしていました)
さて、当時(1970年代後半)男子トイレ個室の落書きの約7割ほどは卑猥なイラストでした。
まあ、オリジナリティーを感じさせる傑作も一部ありましたが、ここでは取り上げません。
テーマは、残り3割ほどの《カキモノ》系落書きです。
《カキモノ》系は2種類です。
ひとつは、告白系の《散文》です。
自分の過去の犯罪(おそらく……フィクション?)にからむものだったり、有名人の秘密を知っている、という暴露型の、こちらも妙にリアルで「信憑性」を感じてしまう文章です。
もうひとつ(こちらが本題)は、下ネタがらみの《韻文》です。当時は気になった《作品》がいくつもあったのですが、今、記憶に残っているのはふたつです。
まず、福沢諭吉のパロディ:
人は人の上に人をのせ、人をつくる
調べてみると、私が見たタイミングの少し前に早大のトイレで見た、という記録が残っているようです。
どちらがオリジナルなのかはわかりません。
ふたつめは(こちらの方が好きなのですが)短歌です:
人の身に わが身を入れて 揺さぶれば
ここち吉野の 山桜かな
こう書かれた後で、「山桜かな」に誰か(二次的著者?)が取り消し線を引き、
人の身に わが身を入れて 揺さぶれば
ここち吉野の 山桜かな 白玉の露
と訂正されていました。
私は「白玉の露」に1票、とその横に書いておきました。
昨年まで某大学で非常勤講師を勤めていましたが、トイレ(もちろん、男子の方しか知りませんが)はとても清潔で、前の壁に、落書きなどは一切ありませんでした。
うーん、しかし、とあの時代を懐かしむココロもありますが、
《現代社会にとって好ましからざるジジイ》
リストに載りそうなので、あとは皆様の想像力にお任せします。