古い映画とフレッシュな映画エッセイをめぐる探検
父は ── きわめて真面目な、というか、固く几帳面な人間で、92歳で亡くなるまで、毎日家計簿を付け、簡単な日記を書いていた。そこには、夜中の何時にトイレに起きた、という記録まであったくらいだ。
「あのヒトの子なのに、なんでアンタはズボラなの?」
耳タコフレーズだが、── 「反面教師」原理が働いたのか、あるいは遺伝子がブロックされたのか、謎に包まれている。
中学・高校の頃、映画を観に行く、と家を出ようとすると、
「帰ってきたら、すぐ感想文を書いておくといいぞ ── 忘れないうちに」
父が背後からこう声をかけるのに、半ばあきれていた。
(そんなもん、忘れたっていいじゃねーか! ── その時面白けりゃ)
第一、ネットもSNSもないその頃、感想文を書いたって、発表する「場」など、どこにもなかった。
映画を観た後で簡単なメモを残し、エッセイ的な感想を書くようになったのは、── 「再勉生活」が終わって3年半ぶりに日本に帰り、勤務先の「映画同好会」に入会してからの事である。
このサークルは「会長」がほぼひとりで運営しており、会員は多いのでけっこう予算は潤沢だが ── 映画鑑賞会を開いたり、ライブラリーを充実させたり、割引券を入手して希望者に配ったり、ニュースレターに記事を書いたり ── 獅子奮迅の働きをしていた。
「仕事(もちろん、本職の方)、大丈夫?」
と心配なほどだった。
おそらくは、忙しさに破綻しかけていたのだろう ── ある日、私のところにやってきて、タダ券と引き換えに映画の感想エッセイを書いてくれ、と頼んできた。
これをきっかけに私は、映画を観たら(チケットをもらわなかった時も)感想を書き、彼に送るようになる。
── 遠い昔のことである。
遠い昔に書いた映画感想エッセイのフォルダーを、駅伝レースのようにつなぎつないできたHD中に見つけ、ほぼそのまま、別アカウントのマガジンにアップし始めた。
当然、20-30年前の《古い映画》ばかり。
しかし、エッセイを《書いた》のは映画を観た直後なので、とてもフレッシュだ。
今読み返して蘇るシーンもあれば、あれ、そうだったっけな、と首をひねる部分もある。
何よりも、観たことさえ忘れていた映画が次々と目の前に現れるのは、「会長」がきっかけを作ってくれたおかげだ。
読んで探検 ── それを年月を超えて再び記事化するのは愉快。
他のnoterさんの映画感想は、当然ながら新作が多い ── つまり、競合が少ない、という副産物もある。
映画同好会に感想を送らなくなった後も、(例えば国際航空線に乗っている時など)映画を観るとメモ的なことを書く習慣がついてしまっている。
いつの間にか、10代の頃はあきれていた父親の言に、知らず従っていることにもなっている。