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句誌「遊俳」の紹介と寺田寅彦 (読書の愉しみ)

屋久島の旅から帰ると、Amazonから句誌「遊俳(令和四年春号)」が届いていました。

《俳句》はプレパトのコーナーを見る程度でほとんど詠みません(川柳は30代の頃、ごくローカルな賞に応募して「佳作」をいただいたことがありますが)。
今年の初めにたまたま知人から俳句雑誌に巻頭言を書かないか、と依頼され、理系(職業)と文系(趣味)の間で揺れ動いてきた、自分の人生に関するエッセイを書きました。

縁あって、その号をまず、紹介させていただきます:

やはり「句誌」ということで、巻頭言には俳句(自作である必要はない)をいくつか織り込む慣わしになっている、と聞き、恐れ多いながらも、理系の研究者であり俳人でもある、寺田寅彦の句をいくつか挙げることにしました。

寺田寅彦は東京帝国大学で地球物理学を学び、教授まで務めます。
その一方、帝大入学前に熊本の第五高等学校で英語教師の夏目漱石に俳句を学び、生涯師事します。
彼は五高時代に人生を決定付けた二人の《師》に出会っています。ひとりはもちろん俳句を指導した夏目漱石、そしてもうひとりが田丸卓郎という物理学教師だったそうです。
寅彦は田丸卓郎から物理学の面白さを学び取り、身の回りの現象から、自然原理を見つけることの大切さを知ったようです。

寺田寅彦は俳句だけでなく、随筆をたくさん書いています。
彼の没年は1935年、日本では既に著作権が切れており、ほとんどの著作を青空文庫で読むことができます。

なかでも好きなのは、私が敬愛する安部賛氏も著書の中で引用されている、「科学者とあたま」です。

寺田寅彦によれば:

「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない」これは普通世人の口にする一つの命題である。これはある意味ではほんとうだと思われる。しかし、一方でまた「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味ではやはりほんとうである。そうしてこの後のほうの命題は、それを指摘し解説する人が比較的に少数である。

寺田寅彦「科学者とあたま」より
https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2359.html

彼は、後者つまり「あたまが悪い人」こそが、自然科学上の発見にとっては貴重だと指摘します:

 頭の悪い人は、頭のいい人が考えて、はじめからだめにきまっているような試みを、一生懸命につづけている。やっと、それがだめとわかるころには、しかしたいてい何かしらだめでない他のものの糸口を取り上げている。そうしてそれは、そのはじめからだめな試みをあえてしなかった人には決して手に触れる機会のないような糸口である場合も少なくない。自然は書卓の前で手をつかねて空中に絵を描いている人からは逃げ出して、自然のまん中へ赤裸で飛び込んで来る人にのみその神秘の扉《とびら》を開いて見せるからである。

同上

寺田寅彦の年譜を見て、もうひとつ、気になったことがあります。
彼は、旧制五高時代に18歳の若さで、14歳の妻と学生結婚している。
(これほど若くないけれど、学生結婚したかつての自分とも重なります)
こんなことも記しています。

 頭のいい人には恋ができない。恋は盲目である。科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである。

同上

仲の良い夫婦だったようですが、肺を患わっていた妻は、娘を産んだ後、19歳で夭折しました。
哀しみを含むエピソードが、随筆「どんぐり」に書かれています。

 どんぐりを拾って喜んだ妻も今はない。お墓の土には苔《こけ》の花がなんべんか咲いた。山にはどんぐりも落ちれば、鵯《ひよどり》の鳴く音に落ち葉が降る。ことしの二月、あけて六つになる忘れ形身のみつ坊をつれて、この植物園へ遊びに来て、昔ながらのどんぐりを拾わせた。こんな些細《ささい》な事にまで、遺伝というようなものがあるものだか、みつ坊は非常におもしろがった。五つ六つ拾うごとに、息をはずませて余のそばへ飛んで来て、余の帽子の中へひろげたハンケチへ投げ込む。だんだん得物の増して行くのをのぞき込んで、頬《ほお》を赤くしてうれしそうな溶けそうな顔をする。争われぬ母の面影がこの無邪気な顔のどこかのすみからチラリとのぞいて、うすれかかった昔の記憶を呼び返す。

寺田寅彦「どんぐり」より
https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card827.html

門外漢が《カキモノ》をきっかけに、それまでほとんど知らなかった人や世界を学ぶ ── これも《縁》であり、読書の愉しみのひとつでしょうか。

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