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ある政党の『名称』に思ったこと

始めに言っておきますが、私は特定の支持政党は(少なくとも現在)持っておらず、このエッセイに登場する党に対しても、プロでもアンチでもなく、どの政党であろうともひとつひとつの政策に対して賛否を考えるタイプの人間です。

20代の終わり頃、休日に庭で土いじりをしていたら、声をかけられた。
訪問者は日本共産党所属の市会議員で、政策に関するビラを配りに来たか、赤旗に関わるプロモーションだったのか、今はもう憶えていない。
けれど、今の政治についてどう思うか、など尋ねられ、何か応じたのをきっかけに立ち話になった。
その人は誠実そうな人柄で、その後も何度かやって来て、政治がらみの雑談をした。

たぶん2回目か、ひょっとしたら1回目に既に話題に出したのが、

「共産党は名称変更をした方がいいのではないでしょうか?
海外の共産主義国と一体視され、誤解をされるのは不本意なのではないでしょうか?」

彼は、
「その提案は理解できるが、国民の利益や平和な社会のために戦前から闘ってきた伝統ある名称を変えることは困難である」
という旨の説明をした。

「でもね、過去にこだわるよりも、未来志向で考えた方がいいんじゃないですか? 党内で議論しているのですか?」
彼が来るたびにその話を蒸し返すので、余計なお世話ばかりのうざい奴と思われたのか、やがて現れなくなった。

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企業は時に大胆に会社名称を変える。
稲盛和夫さんが1959年に創業した『京都セラミック』はセラミック基板製造でスタートしたベンチャーだったが、業態を大きく変え、1982年に商号を『京セラ』に変更した。
古くは、
・東京通信工業 ⇒ ソニー/SONY
最近でも、
・旭硝子 ⇒ AGC
・凸版印刷 ⇒ TOPPAN
・日本電産 ⇒ ニデック
など、大胆な改名を発表している。
もちろん、改名議論の際には、
「伝統ある名称を守るべきです!」
なんていう意見もあったことでしょう。

でも変えた ── なぜ? ── もちろん、ビジネスのために。改名により顧客に誤解を与えない、国際的にも通じやすい、人材採用にも有利に働く ── など多角的なメリットを期待しているのでしょう。

政党も、もちろん理念や政策が近いなど似た考え方の人が集まっているのだろうけど、組織で動かなければならない以上はビジネスの側面もある ── だからこそ、お金の遣り繰りの話がやたらと出てくるのでしょう。
自由民主党などは、政党としての大組織ビジネスと、衆議院議員など各政治家の個人/小組織ビジネスとの二重構造になっているようだ。それどころか、後者には代々家業ファミリー・ビジネスを営んでいる人たちがたくさんいる。
主要な野党もビジネスの側面を持っている。資本主義社会で政治を行うためには選挙で当選しなくてはならず、ポスターを印刷するのにも、演説会場を借りるにもお金がかかる。
日本社会党も(右派が離れたというタイミングだったとはいえ)社会民主党と名を変えた。

そんな中、確かに日本共産党は、『最もビジネス色』がない政党かもしれない。少なくとも、自民党のように『二階建て』にはなっていないように見える。

だから、『ビジネスのために』党名を変えるなどというのはあり得ないわけだ。
『資本主義社会』とは理念的に距離を置いているようなので、これは当然かもしれない。

そんなことを考えていたら、2009年2月4日(水)「しんぶん赤旗」の記事引用がネットにありました:

……なるほど。
15年前の記事だから、組織としての考え方はいくらか変わっている可能性もあるけれど、『過去の歴史』だけではなく、『未来への展望』もこの名称が体現しているわけだ。

けれど、これを読んでまた、新たに質問したくなってきた。
『国民各個人の(人間としての)欲望』はどう考えているのだろう? 組織の中で議論されることはあるのだろうか?

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