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封を切ろうが中身は変わらず;《実質》と《外装》の価値 (再勉生活)

「あ、しまった! きのう買ってきたネジ、小さすぎて合わないや」
「じゃ、取り替えてきたら?」
「もう、パック破って取り出しちゃったよ」
「じゃあ、ダメね」
よくある会話である。そのネジは、またどこかで使えるよ、などという合言葉のもとに、死蔵されることになる。

しかし、米国のホームセンターやスーパーマーケットでは、しばしば、釘やネジなどパッケージが破られた商品がそのままガムテープなどを張り付けられて、あるいは別のビニール袋に入れられて、《何事も無かったかのように》売り物として展示してある。どうやら、誰かが買って封を切った後、《返品》したものらしかった。

……おいおい、これはマズイんじゃないの。

米国人の同僚に、驚いたよ、と話すと、
「だって、釘の本数が減ってるわけじゃないだろ? 何が問題なんだ? 誰かが返品したんだろうけど、実質、変わってないじゃないか」
と言う。

そりゃ、そうだけど……。

「再勉生活」の初期のこと、妻が買ってきた子供服を、値札などのタグを全部切って捨てた後、やっぱり気に入らない、と《返品》したことがある。
「さすがに無理かな……」
とダメモト気味だったが、レシートさえ見せればまったく問題なかった。
日本で存在したエネルギー障壁は消え去り、彼女はこれ以降に行った返品・交換実績により、家庭内で《返品女王》の称号を受けるに至る。
私自身はまだ、小説のように《返品》されてはいないけれど。

アメリカの量販店には、「RETURN」と大きく書かれた《返品》専用カウンターまである。それくらい、《女王様/王様》が多いのでしょう。

渡米後、車なしでは生活できないと価格を調べてみたら、中古車価格が高いことに驚きました。当時、特に信頼性が高いと評判だったトヨタ車とホンダ車は、走行距離さえ異常でなければ、中古車価格が新車と比べてあまり落ちなかった。それに、多少バンパーや外装に傷があろうが、値段にはほとんど影響しない。
《走る》という《実質的機能》において、走行キロ数の少ない中古車は、新車と《価値》が変わらない、という考え方でしょう。
一方、日本では中古車になると、値段はそれだけで結構下がる。「他人の手垢のついた」車を買うより、同じ値段なら《車格》が低くても新車を買いたい、という人が多いのでしよう。それに、小さなかすり傷でも、新車に付けば神経質に修理する。

家も同じで、日本では戸建て住宅の価格は築25年ほどでゼロになるため、土地付きの古い住宅より更地に新築の方が好まれるという。これなども、「他人の住んでいた家に暮らすより、《真》新しい家に住みたい」という気持ちの顕れでしょう。
しかし、米国では中古住宅の売買はごく一般的で、買った後で気に入らない部分を少しずつ修正などして暮らしているようです。

大学の教科書も、米国では書き込みだらけの汚い中古本が2-3割引程度でキャンパスの書店に並んでおり、これが結構売れていた。この程度の価格差ならば新品を買いたくなるのでは、と日本人的には思うのですが。

以上の例を分析すると、《モノの価値》とは、どうやら《実質》部分と《外装》部分から構成されており、米国人はほとんどの価値を《実質》に置くが、日本人は、「新品の」「まだ封が切られていない」など、《外装》部分にも重きを置いているようです。
(もちろん、個人差も大きいですが)

家や車と一緒にしては叱られるかもしれませんが、「実質と外装の価値のバランス」感の違いは、結婚で「相手が初婚か再婚か」を気にする度合ともリンクしているように思います。
米国で再婚カップルを実に多く見かけるのは、単に離婚率が高いから再婚率も高いためですが、《交換・返品OK》および《実質重視》という、一連の価値観が顕れたものでもあるように思うのです。
つまり、2度目であろうと3度目であろうと、《配偶者》という《実質的機能》には何ら変わりがないからです。


しかし、日本も《実質重視》の方に、向かってはいる

《再勉生活》を終えて帰国した1990年代、米国の家庭で不要品を売る「ガレージセール」について日本の知人に話したら、
「そんな、自分が使い古したモノを人様に売りつけるなんて!」
と眉を顰める人がいました。
けれど今では、多くの人がメルカリで中古品を売買しています。

離婚再婚に対する見方も、言うまでもなく大きく変わりました。

かつて「新卒入社」がほとんどだった国内就職市場も、中途採用が増えています。

けれど、やはり、《新築・新車》信仰など、《外装》部分にかなりの価値を置く文化は根強く、《封を切った》後には価値が下がる、と考える人も多い

《価値観》は人それぞれなので、とやかく言うつもりはまったくありませんが、私は「《実質》がほとんど全て」の肩を持ちます
その方が、モノも人材も《循環型経済》の中でうまく回っていくのではないかと思っているからです。

「新車信仰」の方は、たとえあっても、中古車の海外輸出や廃車スクラップのリサイクルで《循環型経済》の中に組み込まれています。

でも、「新築住宅信仰」の方はどうなんだろうか。
中古住宅の海外輸出は不可能だし、建築廃材リサイクルも、なかなか難しいようです。

海洋プラスチックの問題から、《過剰包装》にも厳しい目が向けられています。

問題をひとつひとつ議論し、個別ルールを作って改善・解決していくのもひとつのやり方でしょう。でも、気が遠くなるほどの時間がかかる。

《外装》に関する《価値観》から変えていこうよ、というアプローチもあるのかもしれません。

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