胸の谷間の《パラドックス》(街で★深読み)
先週、学生時代を過ごしたキャンパスを友人と歩いた。
かつての作詞(私)作曲(友人)コンビであーる。
キャンパスにはおしゃれなカフェがあり、そこでお茶を飲んでいると、なぜか周りは白人系女子学生ばかりで、英語が飛び交っていました。
ふと気付くと、彼女たちはいずれも胸があいたシャツを着ており、大きめの膨らみの上半分、というのは言い過ぎだが、40%ぐらいを見せている。
(うーむ……《ラッキー》な席であーる)
怪しまれない程度の頻度でちらちらと視線を走らせながら、幸福感にしばし浸った。
この《ラッキー》で想い出したことがある。
私は25年ほど前、恩師からの依頼で、このキャンパスで臨時講師として90分間の講義をした。
仕事を終えた後、大学前駅から満員の私鉄電車に乗り込んだ。東京でラッシュアワーの電車に乗るのは本当に久しぶりだった。
私は左手にカバンを下げ、右手はお腹のあたりに置いていた。私の次に若い女性が乗り込んで来て、さらにその後からどどっと乗客がなだれ込んで来て、ドアが閉まった。
私の右手の甲に、女性の片方の胸が、ムギュギュッという具合に押し付けられてきた。
(お、ラッキー!)
……しかし、当然ながら、女性は困ったような横顔を見せ、私に視線を走らせてきた。
私は身動きがままならない状態で右手の位置を変えようとしたが、それは事態を悪化させることに気付いた。
(これは……もし下手に動かしたりしたら、さらなる誤解を招くことになる!)
私の脳裏には、既に新聞記事が印刷されていた。
『〇〇大学非常勤講師、講義終了後の電車で痴漢!』
《ラッキー》は、一瞬で《不幸のどん底》に落ちた。
(早く次の駅に着け、着け、着け……)
ひと駅がこんなに長かったことはない。
次の駅での入れ替わりで生じた間隙を利用して、ようやく右手の位置を変えることができた。
カフェを出た後、友人も、
「いや、ラッキーな席だったね」
同じ感想だった。
「しかし、あれはやっぱり、見られているのを意識しているんだよね。だから、見てもいいんだよね」
「そうでもないんだ……」
私はアメリカの会社に勤めていた頃の経験を話した。
「オフィスでも、白人系の女性には胸半分と肩を露出させている人が多かったんだけどね……」
部下のひとりに40代半ばの白人系女性がいて、彼女はやはり、いつも胸が大きくあいたスリーブレスのワンピースに、季節によってはカーディガンを羽織っていることが多かった。
仕事上、彼女と打ち合わせをする機会が多かった私は、話をしながら、何気なく、一瞬、本当に一瞬だけ、視線を《胸の谷間》に落とすことがあった。
すると、彼女は必ず、例えばカーディガンの胸を合わせたり、何も羽織っていない時には片手を胸に当て、そばかすの浮いた《膨らみ》を隠そうとするのだ。
(おいおいおいおい……違うだろう!)
……両手を「X」文字型にして胸を隠す仕草の女性ピン芸人ネタがかつてあったが、職場の彼女はいつも、《一瞬の視線》に敏感に反応した。
私は彼女と話をする時には、不自然なまでに視線を上空で彷徨わせるようになった。
「……だからね、《胸の谷間》は、
……《見せてはいるけど、見てはいけない》んだよ!」
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