なりたかった職業ランキング《第2位:発明家》
note上ではアリエルさんに、
「科学的且つ論理的な変人」
「イメージはイカレた科学者」
とおホメ(?)いただいたことがあります。
自分でも、30代の頃、ローカル・フリーペーパーに「子供の頃、何になりたかった?」と尋ねられ、
「科学者」
と答えました。
でも、よくよく振り返ると、それは「後の世」の錯覚で、実際に《なりたかった職業》は、
第2位 発明家
でした。
これも、きっかけは「本」です。
小学校3,4年頃、父親の本棚にあった、「思いつき夫人」という本に強い影響を受けました。著者は豊沢豊雄さんという、因数分解できそうな名前を持つ、国会議員になったり発明協会を設立したりした人です。
副題に「アイディアが金になる本」とあるように、主婦など素人が思い付いたアイディアを特許出願し、権利化することによって大きな収益を上げた実例をいくつも紹介していました。
私もおそらく、《金になる》の部分に魅かれたのでしょう。
例えば、普通の石鹸で髪を洗っていた時代に、動物の毛なんだから羊毛用洗剤で洗った方がいいのでは?とシャンプーを発明した主婦の話(今調べても出てきませんね)。
あるいは、夢の中で槍で殺されそうになり、目が覚めた後、槍の先端に穴があいていたことを思い出し、ミシンの画期的改良に成功した逸話。
父がこの本を読んで何か発明した、というような話は聞いていませんが、私は俄然張り切り、身の回りに発明のタネはないか、と考え、いくつかのガラクタ発明を行いました。
その頃、学研から出版されていた「〇年の学習」という月刊誌を購読する同級生がたくさんいました。小学校を通じて販売促進をしていた記憶があり、コンプラ無視の時代だったのでしょう。
しかし、勉強を押し付けようとするこの雑誌が私は嫌いで、代わりに、同じ出版社のややマイナーな月刊誌「〇年の科学」シリーズをよく買ってもらいました。
この雑誌は付録の《実験道具》が充実しており、試験管とリトマス試験紙で酸性アルカリ性を調べたり、鉱石ラジオを作ったり、と子供ながらに《研究生活》に没頭していました。
さて、このような幼き日のバックグラウンドから、下記記事に書いたようにフクザツかつ悩める高校⇒大学教養時代を経て、結局、工学部の材料系学科へ進学します。
さらに修士課程2年間のヒモ生活を経て、研究員として某企業に就職することになります。
私の会社員人生のほとんどは《技術者》としての生活であり、後半、マネージャーとなった後も、管理職専業ではなく、あくまでも《プレイング・マネージャー》として、リタイヤ直前まで論文を書き、特許を出願していました。
まさに《発明》が仕事であり、人事考課における最重要項目は、
➀ いくつ「発明考案届」を提出したか(量)?
であり、
➁ その発明はどれほどインパクトがあるのか(質)?
でした。
高校時代、バンドの演奏曲でも、石油枯渇シナリオでも、「コピーよりオリジナル」の葛藤があった話を書きましたが、
仕事となった《技術開発》でも、《改良発明》より《独創発明》にこだわる、青臭いところがありました。
ただし、《独創型》は「注目論文」にはなりますが、実用化に直結する「売れる発明」は《改良発明》が多く、その点、会社への貢献はあまり大きいとはいえない技術者人生でした。
その間、米国大学院での《再勉生活》も経験し、当時としてはユニークな研究で学位(Ph.D.)をいただくことになりますが、
心の中にはいつも、
《なりたい職業の1位》
がありました。
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