その《努力》と《才能》を活かせる場所がないまま、死んでいくところだった! (街で★深読み)
オーナーが替わり、出される料理も店の雰囲気も大きく変わってからまったく行かなくなってしまったけれど、自宅から歩いて10分ほどの居酒屋に、夫婦で、時に友人と、あるいは父親を誘って、月イチぐらいで呑みに行った頃がありました。
30代の夫婦者が切り盛りしており、新鮮な魚と鶏串焼きが2枚看板で、私は特に、つくね焼きを卵黄にからめて食しながら冷酒や焼酎を啜るのを《快》としていました。
この店は会計を終えた客に、トランプのように手作りのカードを広げて1枚引かせます。
そして、引いたカードに書かれていた《問題》を、おかみさんだったりバイトの女の子だったりが読み上げるのです。
『何かを拾うと、普通は得をするけれど、あるものを拾うと逆にお金を払わなければならないもの、な~んだ?』
という具合です。
そう、「なぞなぞ」というヤツです。昔は「トンチ」なんても呼びましたね。
わかりましたか?
答えは、── そう、《タクシー》です。
ある時は、
『頭がいい人、心が優しい人、お金持ちの人、この3人が槍投げをしました。3人の中で槍が一番飛ばなかったのはだ~れだ? その理由はな~んだ?』
これはちょっと難しかったかな?
答えは、── 《心が優しい人》です。理由は、《思いやり(重い槍)がある》から。
この《なぞなぞ》に正解すると、次回来店時に使える、2割引きのクーポンがもらえるのです。
自慢じゃないが(いや、自慢なんですが)私はこうした問題のほとんどに対して、
「正解です!」
というわけで、
「ダンナさん、すごいですねえ!」
と店の人にも、同行した友人にも感心されます。
私は鼻高々です。
「……いやあ、実はさ」
と酔った帰り道に、昔話をするのです。
「……オレ、子供の頃、いつも自分で《なぞなぞ》を考えては、学校で友達に出題していたんだ。授業中も新しい《なぞなぞ》で頭が一杯だった。そのうち、子供相手じゃ張り合いがないんで、親戚の大人や、しまいにはバスに乗るたびに近くに坐ってる知らない大人に、誰かれかまわず出題していたんだ」
「へえ、それで、知らない人が相手してくれたの?」
「たいていの人が、── 例えば、しばらく考えてから『降参』と言ったり、間違った解答に『ブッブー! 答えは**でした』とオレが勝ち誇ったり、 ── 相手してくれたね」
「古き良き時代だね。でも、お母さんが一緒の時は怒られたんじゃない?」
「いや、むしろ、お袋は自慢そうにしてたぜ」
「へえ……親バカってヤツ?」
「……それにしても、《なぞなぞ》なんてその頃以来かもしれない。あの当時の《努力》と《才能》が、ようやく《活きた》わけだ」
ウンウン、と満足げに腕組みすると、妻が言うのです。
「良かったね、あの居酒屋があって! あの店がなかったら、── その《努力》と《才能》を活かせる場所がないまま、あんた、死んでいくところだったじゃないの! あぶないところだったねえ!」
(……おい)