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【十年一日】(新釈ことわざ辞典)記事版
まさに忠犬ハチ公の世界。
飼い主の死後も渋谷駅に十年間通い続けたというけれど、
「どうも……おかしいぞ」
と思わなかったのだろうか?
本人(ヒトではないが)はともかく、周囲の人(犬)たちがアドバイスしてやれなかったものか……。
ハチ公の人生(犬生?)を振り返ると、恵まれたとは言えず、特に飼い主だった上野教授の死後、あちこちの家を転々とし、ようやく落ち着き先が決まった後も……
ハチは白い犬だったが、毎日渋谷駅に来ていたため汚れてしまい、さらに当時は犬は「安産の象徴」とされており、身に付けていた胴輪を心ない人から「安産のお守り」としてよく盗まれていたため、野犬と間違われ何度も野犬狩りで捕まった。ハチは逃げるのが遅かったため、簡単に捕まっていたという。
渋谷駅前に現れ故主を待つようになったハチは、通行人や商売人からしばしば虐待を受けたり、子供のいたずらの対象となったりしていた。
ハチ公の『忠犬』ぶりが新聞に報道され、有名人(犬?)となった後ようやく、人びとに可愛がられるようになったそうですが、既に上野教授の死後8年が経っていました。
マスメディアの力で『評価』が劇的に変化したわけです。
『忠犬』と持ち上げるのはニンゲンの勝手ですが、彼の人生(犬生?)、なんだか哀れです。実際、どこか病んでいたのかもしれない。
ハチはさらに2年後、路地の入口で死んでいるのが発見されます(満11歳没)。
葬儀は盛大に行われ、たくさんの花環や香典が集まったそうです。
故・上野教授の勤務先だった東京帝国大学農学部で病理解剖までなされました。
解剖の結果、ハチの心臓には大量のフィラリアが寄生し、それに伴う腹水が貯留していた。また、胃の中からは焼き鳥のものと思われる串が3 - 4本見つかっている。
おそらく、これに類した実話は全国各地にたくさんあるのでしょう。
ハチ公はたまたま大都会東京で新聞記事になったため、最後の2年間はもてはやされ、銅像にもなり(驚くことに、生前から既に台座と銅像があったそうです!)、映画『あるぷす大将』にも生(?)出演した。
彼の晩年はまさに大スター、死後の取り扱いも含め狂騒曲的ですらあります。
── でも、思うのです。
ホントに毎日渋谷駅前でご主人を待っていたのだろうか?
だとすれば、
「どうしてずっと帰って来ない? ……何か変だぞ」
と思わなかったのだろうか?
あるいは、『忠犬』ストーリーはニンゲンの『勝手読み』であり、ご主人のことなどとうに忘れていて、単に『ルーティン』として ── 散歩コースとして ── 駅に来ていたのだろうか?
【十年一日】ということわざは、一般的には
・長期間経っても変化しない
・進歩や進展がない
というような、ネガティブな意味です。
けれど、その一方で、
【石の上にも三年】
という諺もあり、『この道一筋』などは明らかに誉め称えるフレーズです。
しかし、この国でも『終身雇用』は崩れつつあり、テレビCMには転職サービスがやたらと登場します。
そしてどうやら、
【十年一日】
こそが、日本人の労働生産性が上がらない要因らしい、と誰もが気付いています。
『忠犬ハチ公』はこれを犬と見ているから美談扱いしているわけですが、『ハチ公のような人生』は『反面教師以外の何物でもないでしょう……。