今こそ戦争関連資料館に(街で★深読み)
終戦記念日8月15日の前後数日は、NHKスペシャルで戦争関連のドキュメンタリーをいくつか放映するなど、80年前の惨禍を、ほとんどの国民が戦後生まれとなった今日にもしっかり刻む企画が行われていました。
私自身はもちろん戦後生まれであり、戦争を経験した両親とその兄弟姉妹もひとり残らず鬼籍に入った今、日常生活でこの国のこととして《過去の戦争》を思い返すことはほとんどなく、むしろ、戦争は現在進行形の他国の惨禍を報道で見て、
《避けるべき未来》
として考えることの方が多い。
太平洋戦争に関するドキュメンタリーで最も迫力のあるのは、NHK「証言記録 兵士たちの戦争」シリーズです。
このシリーズは映像だけでなく、単行本化もされています:
さて、今年6月、名古屋の中心地で仕事があり、約束の時刻まで少々時間があったので、以前から気になっていた場所を訪れました。
名古屋城から県庁・市役所を経て3ブロックほど南、中区大津橋の交差点当たりにある、(よく言えば)とてもレトロな建物です。
「愛知県庁大津橋分室」
と表札があります。
名古屋の市街地は1945年の春に米軍の執拗な空襲により、焼け野原になりました。3月12日に中心部、19日に名古屋駅、5月14日に名古屋城が焼失しました。
中区、中村区、東区はほぼ完全に焼け野原となり、東区の三菱工場近くにあった私の祖父母の家(父の生家)も焼失しました。
完全な焼け野原に戦後、東西100メートル道路をはじめとする、来るべきモータリゼーションに適合する都市計画を進めたことも良く知られています。
実はこの「愛知県庁大津橋分室」と、その南隣の「伊勢久株式会社本社ビル」は、空襲後に焼け残った建物だそうです。
ちなみに、伊勢久サンは、創業宝暦8(1758)年のという、超・老舗の商社(創業時は薬種商)です。
地上3階、地下1階という「愛知県庁大津橋分室」の1階にある「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」、ここが訪問したかった場所です。
広島の平和記念資料館や長崎の原爆資料館はよく知られており、海外から訪れる人も多い。
本来、比較すべきではないのかもしれませんが、東京大空襲をはじめ、通常兵器による一般市民大虐殺に関しては、資料館があっても、その被害の甚大さと比較して、訪問者ははるかに少ないようです。
通常兵器によって廃墟と化したウクライナの街を報道で見るにつけ、この国で同様な虐殺が為されたことを振り返る必要性を感じます。
資料館には30分ほどいましたが、他に訪問者はありませんでした。ボランティアの案内者に尋ねると、やはり平日は、小学校の団体見学などがなければ、ほとんど来訪者はないとのことです。
ロシアによるウクライナ侵略戦争が毎日報道される今こそ、小中学生をはじめ、戦争経験者と同居した経験のない若い人たちに、全国のこうした戦争関連資料館に足を運んでいただきたい、と思うのです。
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