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さよなら、キリンベッド (エッセイ)

Good-bye, Kirin bed

ひとり暮らしの部屋を出て、誰かと二人で住む場所に移る時、新しい住居の利用可能スペースとの関係はもちろんだが、特に同居相手の嗜好による制約から、それまで大事にしていたものを手放さなければならないことがある

学生だったこともあり、その時の私は、ほとんど何も持っていなかった。
市場価値らしきものを持つのはコンポーネント・ステレオだけ、あとは机と椅子がひとつずつ、それらは相手に許容された。
けれど、ひとつだけ《別れ》なければならない《家具》があった。

《キリンベッド》だ。

大学の2年から3年に上がる春に下宿を替わった。
工学部に進学してキャンパスが替わったのが理由のひとつだが、契約は私ひとりのはずなのに、女友達の存在確率が高過ぎる、と大家が生活に干渉し始めたこともある。

下高井戸から方南町に移り、古希を過ぎた大家がひとりで1階に住む、階段は外から上がる2階の一室を借りた。

それまで住んでいた部屋では、基本は万年床、──気紛れに、あるいは宴会場のスペースを確保しなきゃならない時に、布団を畳んで押し入れに無理やり押し込む、という、──まあ、きわめて《健全な》学生らしい生活だった。

万年床の問題は、その下の畳(当時の安下宿は畳ばかりだった)が湿気ってしまうことだ。しかし、ベッドを買う金はない。
第一、その部屋の床がベッドの荷重に耐えられるのか、疑問なレベルの建物だった。

そこで、深夜、世界が寝静まった頃、近くの酒屋に行き、隣の空き地に積み上げられていた、大瓶ビール用のプラスチックケースを《拝借》することにした。
空き地には複数のメーカーのケースが積まれていたが、美観から、祖父も父も愛飲していたキリンラガーに統一することにした。
両手にひとつずつしか持てないので、空き地と下宿の間を何度も往復した。そのたびに肝を冷やしたが、幸い(私にとっての《幸い》だが)、世界は寝静まったままだった
当時、《拝借》に罪の意識はほとんどなかったが、もちろん、立派な窃盗である(ゴメンナサイ)。
部屋に戻り、ひっくり返して畳の上に並べたビールケースが、敷布団の面積を超えたのを確認し、《作戦》を終えた。

その昔、小説にも書いたことがあるが、《キリンベッド》は風通しがよく、軽いのに堅牢で、実に快適だった

《キリンベッド》との生活は2年間続き、学部を卒業、そして、同時に入籍した。

結婚後も学生身分に変わりはなかったので、同じ場所に住み続けるつもりだったが、妻となる人に、
「あんな汚い部屋は嫌!」
と却下され、北松戸のアパートに引っ越すことになった。
《キリンベッド》の搬入も、
「当然、《バツ》でしょ」
と拒否された。


そして、松戸への移転が迫ったある夜、ちょうど2年前のように、いや、ちょうどその逆に、両手にビールケースをひとつずつ持ち、例の酒屋の隣の空き地に運んだ。
何度も往復するうちに、じんわりと汗をかき、爽快感さえ感じ始めた。

ベッドのように大きな家具を処分するのは、ひとり暮らしの学生にとってはたいへん面倒なことだ。
しかし、《キリンベッド》は、簡単に作れ、簡単に分解でき、しかも、酒屋に返却すれば、またビールケースとして活用される

(なんて無駄のない、すばらしいことだろうか!)

そんなことを思いながら、最後の《配送便》を終え、改めて積み重ねられたビールケースを見た。

(さよなら、僕のキリンベッド)

それは、それまでの人生で、かなり大きな《別れ》のひとつ、だった。

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