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「彼は《眠れる獅子》と呼ばれていました ── そして、とうとう、眠ったまま卒業していきました」 (エッセイ・披露宴スピーチ後編)
私に結婚披露宴での来賓スピーチを依頼しておきながら、《危険人物》に頼んだことを後悔し始め、前夜遅くに電話をよこし、
「明日はくれぐれも《常識》をわきまえてくださいね」
と釘を刺してきた「往生際の悪い」新郎の話です。
披露宴当日、東京の会場に出かけました。
バブル景気が始まるのはその1年後ぐらいですが、一流ホテルの中規模のホールを会場とする、超豪華な披露宴でした。
新郎の所属した研究室教授A先生の主賓スピーチに始まり、新婦側の主賓、新郎の会社上司、友人、……と挨拶が続いていくわけですが、それを聴きながら思ったのは、
《ホメるところの無い人物をホメる》のは、当然ながらきわめて難しく、特殊な技術が必要とされる。
ということでした。
主賓のA教授などは、
「── 彼は酒も麻雀も非常に強く……」
と果たして褒めているのかどうかもわからない内容で、学生時代の新郎を《持ち上げて》いました。
新郎側の来賓がみな腐心する中で、今も印象に残っているのは、50歳代の助手先生のスピーチでした。
「……彼が研究室に配属になった時『お、これは大物が来たな』とA先生をはじめ、皆が期待しました。アタマの良さは誰もが認めるところでしたが、奥ゆかしいのか、なかなか実力を発揮しない。期待をこめて、彼はひそかに、《眠れる獅子》と呼ばれていました」
そこで、ひと呼吸おき、こう続けたのです。
「── そして、とうとう、眠ったまま卒業していきました」
これには会場爆笑し、新郎自身も苦笑いするしかありませんでした。
そして、私の順番が回ってきました。
この披露宴スピーチもそうですが、何かの受賞挨拶、学会での講演など、私にあらかじめ書いておいたものを読む習慣はなく、頭の中でざっくり準備した内容とその場でのアドリブを混ぜた話をするのが一般的です。
そして、コメディ作家の哀しい性でしょうか、つい《ウケ》を狙ってしまいます。
助手先生の、ウィットがあり、ホメているようでそうではない、かといってあからさまに貶しているわけでもない、素晴らしいスピーチの後でした。
(うーむ。あれよりも《インパクト強め》でなければいけないな)
司会からの紹介を受け、型通りの挨拶と祝辞の後、私は《本題》に入りました。
新郎をチラ、と見ると、顔は強張っていました。
「彼は三拍子そろった、優秀な学生でした」
主役の顔は少し緩んだように見えました。
私は続けました。
「── 彼は《呑む、打つ、買う》と、見事に三拍子そろった、たいへん優秀な学生でした」
会場はシーンと静まり返りました。
(あれ、── ウケない?)
学生時代なら、どっとウケる場面です。
これは、……あせりましたね。
「……三拍子のいずれもが、学生離れしたものでした」
── 静まり返ったままでした。
(……は、外した!……かも)
実はその後、どうつなげたのか、もう憶えていません。
なんとか話の中で路線は変えないまま修復を試み、いくつかの小さな《ウケ》── おそらくは苦笑に近い ── を得たことだけは記憶に残っています。
*********
宴が終わり、参加者は型通りに列を作り、両親と新郎新婦が並んでいる前を通って会場を出ます。
新郎に挨拶すると、彼は破顔して言いました。
「ぎりぎり、《常識の範囲内》でした」
その気配で、どうやら彼は、
《具体的事実の暴露》
特に当時はその呼び名はありませんが《文春砲》のような、女性関係での
《具体的事実の暴露》
を怖れていたらしいことがわかりました。
(いくらなんでも、そんなことするわけねえだろ!)
私の《非常識》は、かなり過大評価されていたようでした。
会場を出た後、ホールに腰をかけて一服していると、初老の紳士がやってきて頭を下げました。
「私は新婦の伯父です。本日はご出席を賜り、ありがとうございました」
あ、どうも、と気まずい思いで立ち上がりました。
「……本日の披露宴の中で、Pochiさまからからいただいたスピーチが、一番私の心に刺さりました」
え、ホント? ── と首ひねりつつお礼を言うと、
「……まあ、彼もいろいろあるようですが、どうか、今後ともご指導ご鞭撻を、よろしくお願いします」
紳士は最後にまた深々と頭を下げられ、《ウケ狙い》だけだったわが身は《汗顔のいたり》でありました。
《一番心に刺さりました》
── ホントにホント?