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岐阜金華山に登る(山で★深読み)
人気者・キムタクが馬上信長に扮し大騒ぎの「岐阜信長まつり」からひと月経った12月初め、金華山に登りました。
名古屋人はキムタク騒ぎを横目で見つつ、
「信長は尾張だろ……」
とつぶやいているので油断できませんよ。
地域ナショナリズムです。
ついでに、大阪人が太閤の話をしていると、
「秀吉は名古屋の中村だがね……」
とブツブツ……。
帰省した娘を入れて3人で、東濃地区(恵那・中津川など)の温泉に行く予定にしていたのですが、運転の楽なもっと近場にしよう、と長良川温泉に変更しました。
名古屋からはあまりに近すぎて、これまでは日帰りでしたが、本格和食を口にしたいだろう、と泊まることに。
金華山&岐阜城は敬愛するがんちち様が取り上げておられたので、かぶらないよう、事前に再チェック ── 大丈夫、ロープウェイを使っておられる。
大河「麒麟が来る」の斎藤道三時代、この山は稲葉山、山頂の城は稲葉山城と呼ばれていました。
信長が1567年、稲葉山城の戦いにより道三の孫・斎藤龍興から奪取して尾張の小牧山から移ってくるわけですが、この山・標高わずか329メートルとはいえ、かなり急峻で、この山城をめぐる戦いはたいへんだったろうな、と思います。
登山道はざっくり6つ(数え方により、4つとも5つとも)、一番楽だとされる「めい想の小径」でも岩場があるので、スニーカーなどより、足首をしっかり固定できるトレッキングシューズでの登山をおススメします。私はスティックも持参しましたが、岩場では邪魔だとの意見もあるでしょう。
私たちは「百曲り登山道」で登り、「めい想の小径」で降りてくる作戦を立てました。いずれも1時間程度のようです。
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数年前に来た時は、若かったのでしょう、一番険しい直線コース「馬の背登山道」を登りました。この道は両手両足で岩を登るような箇所もありました。
金華山のふもとに位置する岐阜公園、ここに稲葉山城/岐阜城の館、つまり居城があったらしい。
そりゃそうだよね、山頂の城は戦略上重要だけど、あんなところに殿様や奥方が頻繁に登っていたら疲れ果てて子作りもできやしない(いや、さすがに徒歩ではないか)。
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10年間ほど続いたNHKの人気番組「その時歴史が動いた」が終わる時に視聴者による人気投票を実施したら、ダントツで信長がトップでした。
50前で実質・暗殺され、秀吉のように「老醜」を曝していないことも人気なのでしょうね。
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今回のコースも土より岩に足をのせて登る部分が多い。あまりに急峻な岩場には木製の階段がかけられています。
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途中、昼食休憩を入れて1時間余り、ようやく頂上近くの平らな部分に到着しました。
ここには《リス村》があります。
1936年、岐阜公園で開催された「躍進日本大博覧会」において、「台湾館」で展示されていたタイワンリスが逃げ出し金華山で野生化したものを捕まえ飼っているそうです。
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「リス村村長からのお願い(↑)」が書かれていたので、入場料徴収係のお姉さんに、
「リス村の村長は、やっぱり《リス》なんですか?」
と尋ねたら、妻に、
「バカな質問をするんじゃない!」
と一喝される。
やれやれ……普段は「合いの手」を入れてくれるのに、他人の前では『私はこのバカの仲間じゃありません』風の冷たい仕打ち ── 困った女だ。
リス村には妻と娘が入り、私はリス村の歴史を読んだり、イノシシ注意の張り紙を見たりしていました。
巨大ケージに住むリスたちは餌を求めて群がってくる、かなり「凶暴なヤツラ」だったとのこと。
「特に丸々太ったボスみたいなのがいてね、他のリスが餌を取ろうとするのを威嚇してたよ ── あれは怖かった」
「ふーむ。それが《村長》じゃないか?」
そう指摘すると、
「あ、間違いない!」
おいおい……モギリのお姉さんから十分離れるとノリがいいじゃないか?
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胴に服を着せられた小型犬を2匹連れた女性が展望台にいるので、ロープウェイで来たんですか?と尋ねたら、「いえ、登ってきました」とのこと。
「ほう!」
ワンちゃんたちも、散歩のつもりで気軽に家を出たら、まさか岩場を登らされるとは、驚いたに違いない。
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展望台から四方を眺めると、この地が天下の要衝であることがよくわかります。
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道三は「いずれあちらから信長が美濃に攻め寄せる」と思い見ていたのでしょう。
それから半世紀近く後、「関ケ原の合戦」直前、岐阜城主である西軍・織田秀信(信長の嫡孫、幼名は「清須会議」で有名な三法師)の重要な役目は、東軍がどこで木曽川を渡るか見極め、阻止することだったようです。
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岐阜城は再建されたものですが、この狭い山頂に(戦国時代も、再建した1956年も)よくもまあ、作ったものです。
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さて、帰路は「めい想の小径」。
でも、山頂近くは岩場がけっこうあるので、「瞑想」しながら歩いていたら、すべり落ちて大怪我するでしょう。「めい」が「瞑」でないのは、目を閉じて歩く登山者の悲劇を怖れてか?
「迷走」と洒落を期待しておられた方には申し訳ありませんが、迷走しようはないですね。
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「あ! リス!」
見れば野生(といっても元々は台湾から連れてこられ、脱走した……)のリスが落ち葉の上に。
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写真を撮ろうと近づくと素早く逃げていきます。
主食はドングリでしょう。でも、山頂の村でぬくぬくと生きている《村長》やその配下と違って、太れませんよね。
雪の上高地で行った「ウサギ談義(↓)」のように、野生と飼育下どちらのリスが幸せか ── それは価値観次第ですが、「村長」にゴマをすりながら生きるよりも、好きな木に登り、好きなメスリスに求愛行動を取る生活を選びたい。
そう言ったら、
「でも、あんた、どのメスにも見向きもされず、どの木でも縄張り争いに敗れて、お腹すかせてふらふら歩いているうちに、イノシシに襲われて命落とすかもよ!」
(うーん……《村長》とうまくやるかな……)
この続きは……