中学英語の呪い1 Pleaseの訳は「どうぞ」じゃない
30代の初めの頃、米国人に英語を教わることになった。
英会話スクールに雇われている、20代後半のMBAホルダーだった。
ある日、昼食をとりながら、彼に尋ねられた。
「日本人と話していて、居心地が悪い、と感じるのは、どんな時だかわかるか?」
「‥‥こうやって、喫茶店で向かい合っているだろ? 俺がトイレに行きたくなって、一応お前に声をかける──例えば、『I gotta go to the bathroom.』ってな」
「それで?」
「そう言われた日本人は、なんて応じると思う?」
「うーん。Please、かな」
先生は、あちゃ、お前もか、と手のひらで顔を覆った。
「それを言われるたびに、俺は妙な気分になる」
「え、どうして?」
「いいか、俺はオシッコ(彼は、pee、と言った)がしたいんだ。したいのは俺なんだ。お前に、『どうか行ってください』と頼まれる筋合いはない」
「‥‥なるほど」
その問題はどうやら、中学時代の英語教育にまでさかのぼるようだ。
ほとんどの中学生は、試験勉強などで英単語を覚える時、単語と和訳とを1対1で覚えていく。単語カードを作ったりもした。
そして、多くの場合、
Please = どうぞ
と覚える。
だから、頭の中で、
「トイレに行ってくる」
「どうぞ(日本語)→Please(英訳)」
と変換してしまうわけだ。
でも、よく考えれば、「Please」とは、
「Please open the window」
「Would you please give me a favor?」
のように、多くはこちら側の事情で、他人に何かを頼んでやってもらう時に使う言葉である。
つまり、「Please」の訳語は、「どうぞ」ではなく、「どうか(‥‥してください)」の方が適切なのだ。
中学英語の単語帳には、
Please = どうか
と書くべきなのだった。
と考えると、トイレに行きたがっている人に、
「どうか、トイレに行ってください」
は確かにおかしい。
「勝手に行けば」
と言いたいだけなのに。
「じゃ、こういう時はどう言うの?」
「Go aheadだ」
「なるほど」
「店に入ったりする時に先を譲り合うことがあるだろ? ああいう時も、日本ではよく『Please』と言われるが、『Go ahead』で十分だ」
「へえ‥‥」
この「Go ahead」はたいへん便利な言葉で、その後の人生でかなり使用頻度が高かった。
けれど、この言葉を使うたびに、
「Please」=「どうか、トイレに行ってください、お願いします」
もセットで思い出してしまう。