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半地下に住む魔女姉妹に箒で小突かれ続けた日々から《脱出》するため、《あ・うん》への期待を捨てた (再勉生活)

《再勉》のために渡米した時、5歳と3歳の子供を含む4人家族だった私たち一家は、2ベッドルームの木造アパートに居を構えた。

3階建ての建物が6棟ほどもある大きなアパートで、オーナーはフロリダに住んでいるという噂だった。
アパートの管理人室には50代ぐらいの女性マネージャーがいて、20代の女性を使っていた。
大学までバスで15分ほどの町はずれに位置し、スーパーマーケットやデイケア(保育園)にも便利だったので、私たちは2階の南向きを契約した。

「あんたたちは日本人だから、陽当たりのいい部屋がいいだろう」
マネージャーが異常に長い付け睫毛まつげでウィンクしながらそう言うので、おうおう親切な人だ、と思ったが、やがて、カーテンや絨毯、家具が色褪せるのを嫌うアメリカ人に南向きは人気がない、ということを知った。

妻はベランダに洗濯物を干さないように、と言われていたが、入居した翌週、洗濯物じゃないからいいでしょう、と水着とバスタオルを干したら、5分後に電話がかかってきて叱られたという。
「どうやらあのオバサン、いつも監視しているらしいわよ」
「洗濯物が干されているアパートは貧民用と見なされて価値が下がるからだ、と先生が言っていたよ」

2階、と書いたが、下の写真のように、高さ的には《中2階》に相当し、階下は通常、Basement(地下室)とも呼ばれる。

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さて、トラブルが起こったのは、入居から2ヶ月ほど過ぎてからのことである。日曜日の午後に訪れた友人一家と話していたら、大きなノックの音が聞こえた。
覗き穴から見ると、制服姿の警官がいた。
ドアを開けると、
「この家から子供が大きな騒音を出しているとの通報があった」
と怖い顔で言う。
何より彼の背後に、柱に隠れるようにしてもう一人、銃を手にした(後方支援の?)警官がいることに驚いた。
確かにその日、友人の子供を合わせた3人が室内を走り回ってはいた。
「では、あなた方はドアの外でそのような騒音を聞いたか?」
私はひやひやしながら尋ねた。
「いや、聞かなかった。しかし、隣人から通報があったのだ。通報があれば私たちは来ざるを得ない。理解して欲しい」
その数日前、階下に住む米国人姉妹から、私の足音がうるさい、と苦情を受けていたから、通報した人間は想像できた。
「これから気を付けます」
と警官には帰ってもらったが、翌週の夜にも警官は二人でやって来た。
「アメリカの警官はいきなりピストルで撃たれる可能性があるので必ず二人で行動する、とは聞いていたが、本当だな」
と私たちは語り合った。
幸いこの時も、警官の来襲は子供たちが走り回るのをやめた後だったので、大きなおとがめは無かったが、私たちは憂鬱な気分になった。

ほうき(だと思う)による奇襲攻撃が始まったのは警官の来襲と前後する。
私が部屋の中を歩くと、それを追うように床がドンドンと鳴る。子供が走り回っても下からドンドン、ひどい時には整理タンスの引き出しを出し入れしているだけでドンドン、と床を突き上げてくる。
階下の姉妹の嫌がらせ(としか私たちには思えなかった)に、一家は大いに悩まされた。


私は何度かアパートのマネージャーに苦情を申し入れた。
「階下の住人からnoisyだと猛烈な抗議を受けている。私が普通に歩いただけでも叱られるのだ。警察も2回来た。マネージャーであるあなたに迷惑をかけてまことに申し訳ないが、なんとかならないだろうか?」
日本流に、遠慮しながら、きわめて丁寧な言葉で申し入れたわけである。
これに対し、彼女は、私からよく言っておくよ、と例の超・長い睫毛でウィンクするので、
「I appreciate you」
とお辞儀する──そんなことを繰り返した。
しかし、一向にらちがあかなかった。

(これは、相手と会ってきちんと話すしかない)
ある朝、私は悲壮な決意をして部屋を出、階段を下りてBasementのドアをノックした。
ドアが不気味な音と共に開き、そこにはKONISHIKIをふた回りほど小さくした体型と容貌を持つ、三十歳代とおぼしき女性が立っていた
KONISHIKIは、透けるようなネグリジェを身に着けていた
「私は上の住人だ。話がある」
「Come in」
中に入ると、そこにはもうひとり、やはりネグリジェ姿のKONISHIKIがいた姉妹だからか、そっくりの体型だった。
私は、そのように異常なサイズのネグリジェが存在することに驚いたが、冷静に考えれば、パジャマではもっと深刻な問題が生じる。
(うーむ。取りあえず、彼らが2階以上に住めないわけは、明白であーる)

左右を《アンコ型》のネグリジェ力士にはさまれた私はしかし、行司ではない
覚悟を決め、できるだけ彼女たちの姿を直視しないよう視線を上げつつ、下から天井を突き上げるのを止めて欲しい、と言った。
すると、KONISHIKI姉妹は即座に、
「うるさいのはそっちの方じゃないの。特にあんたの歩き方がうるさいわ」
「最近は引き出しまで大きな音をたてて開けてるじゃないの」
と喚きだした。水掛け論だった。

そこで、妻に歩かせ、私が階下で音を聞く実験をしてみることにした。──たいした雑音ではないように思えた。
しかし、そのうちにKONISHIKIたちは小声で不気味なことを言い出した
「あんたの奥さんは朝、とても早く起きるのを知ってる? あんたはよく眠っているから知らないだろうけど、5時にベッドからトイレに行って、そのまま部屋を出て階段をおりると、私たちの部屋のドアの前でじっとこちらをうかがっているのさ。変な人だよ」
私は低血圧の妻を起こすのにいつも苦労していたので、もちろんこれは嘘だとわかったが、気味が悪くなり、部屋に引き上げた。

嫌がらせはなお延々と続くので、私はこの不気味な体験をマネージャーに話し、部屋替えを頼んだ。
すると、このオバサンは、
「They are crazy」
と吐き捨てた後、
「You should make it out」
と言った。自分でなんとかしろ、というわけだった。

あくまでも紳士的態度を保ち、相手の《あ・うん》に頼ってきた態度を、私は初めて反省した。
《あ・うん》を期待していては、この国で家族は守れないのだ。
Confrontation(直面対決)しなければ駄目なのだ。

翌日、再びマネージャーの所に行き、引っ越し作業を含めた部屋替えを、明確に要求した。
叶えられない場合には大学でアパート斡旋あっせんを行うHousing officeに苦情を言うのはもちろん、この町の日本人会にもニュースを流し、このアパートの問題について広く世間に知らしめるつもりだ、と厳しい顔で告げた。

事態は急転回した。
翌日、二人の男が来て、私たちの荷物を全て隣の空き部屋に運んだ。
引っ越し先のこの部屋は逆に階下の音楽がやかましかったが、丸々と肥えた魔女姉妹にほうきでつつかれるのに比べたら、天国だった。


言いたいことは本人の前ではっきり言った方がいい──そう考えるようになったのは、それからのことである。
しかし、このやり方は、日本に戻ると会社組織の中でなかなかうまくいかないのもまた、事実だった。

しかし、人生は短い
《あ・うん》と遠回しに期待して時間を浪費するのは止めた方がいい──それ以来、そう思っている。


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