フェリーでオスマン帝国の古都Yalovaへ、時速120キロでさらに西へ マルマラ海沿い街道の旅★2019(7)
さて、イスタンブールの東のはずれにある、サバンチ大学キャンパスで1泊した後、友人Mの運転する車でチャナッカレへ向けて出発した。その距離365 km、グーグルマップによれば、車で4時間12分とのこと。
しかし、Mは恐ろしい《走り屋》である。過去に何度も助手席で、身の凍るような思いをした。
キャンパスの銀行で日本円をトルコ・リラに換えたら、2万円→1010 TLと町のレート(→900L)より1割以上有利。リラ金持ちになったので、大学のロゴ入りTシャツを35 TL(700円)で購入。
まず、マルマラ海岸の街、Gebzeまで走り、フェリーに乗って、マルモラ海から東に深く切れ込んだイズミット湾を渡る。
地図のように、フェリー路線と並行して2016年に橋(オスマン・ガーズィー橋)もできているけれど、渡るのに20ドル、そこに行くまでの有料道路に15ドル課金されるので、多くの旅行者がフェリーに乗るという。
「オスマン・ガーズィー橋は日本企業が作ったんだ。ところが、建設中に事故が起きた。日本人の若い技術者が責任を取って自殺した。悲しいことだ」
Mが言うので調べてみたら、「若い」というところが実際は51歳であった以外は事実だった。いわば国家間事業であり、相当なプレッシャーのもとで仕事をしていたのだろう。
フェリーへの車の乗りこみ方が《我先に》感が強く、オーガナイズされていないと感じたが、
「そんなことはない、指揮者に従っている」
とMは言う。その基準がかなり違うのだ。
フェリーに乗っている時間は20分ほどで、チャイを飲みながら静かなマルマラ海を眺める。黒海、マルマラ海、エーゲ海、地中海、の順に塩分が濃くなっていくのだそうだ。
客の中にトルコ語を話す者はほとんどおらず、多くが休暇(vacation)中の外国人だろう、とのこと。
Gebzeからフェリーで渡った対岸、オスマン帝国の最初の首都だったYalovaに到着。13世紀末にオスマン1世は、このあたりの小さな領主だったという。
ヤロヴァにはテルマール(Termal)の有名な温泉など、多くの観光スポットがあるが、先を急ぐ我々は、ここから高速道路に乗り、さらに西へ走る。
Mは、高速道路はもちろん、一般道でも最高で時速120キロほどを出す。しかも、後続がない場合は、車線という概念がなく、ウィンカーを出さずに車線を変えるし、そもそも「車線」という概念がない、としか思えない走りをする。
高速道路はところどころ無人レーダーで速度違反を摘発している。しかし、どこにレーダーが設置してあるか知り尽くしている《走り屋》の敵ではないようだ。何度か経験しているが、Mの運転する車に乗るのは命がけである。
カラジャベイ(Karacabey)で高速から降り、マルモラ海の南側に沿ってさらに西へ。
道路の両側には肥沃な畑が広がり、トマト、メロン、小麦、ひまわりの畑が交互に現れる。トマトを満載したトラックが行きかう。
街道沿いにトラクターの背に山と積まれたメロンを売る農家が出ている。
爺さんと孫が出している店に車を停め、ひとつ3 TL(60円)のメロンを7つ買い、20リラ払う。
孫の少年がMにライターを持っているか、と尋ね、爺さんにお前には煙草はまだだめだ、と叱られていた。いずこも同じ。
甘いことを強調したいのだろう、「SUGAR MELON」と看板を掲げている物売りもいる。
さらに西に走ると、メロン売りは桃売りに変わる。
やがて、街道は大理石の産地を通過する。
切り出された大理石が積み上げられ、加工工場には白い切りくずが大量に堆積している。風が吹くとこの屑が飛び、畑地には良くない。
Mはこの屑の処理法を提案したが採用されず、しばらくして彼の提案とうり二つの提案が他から出てそこに研究資金がおりた、とかなり怒っていた。
この国では、そんなことがよく起こる、と嘆く。
研究テーマの提案を自国に出すか、EUに出すかは、常に微妙な問題のようだ。
そろそろランチの時間となる。