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変わり、続ける
東京への出張時によく訪れる大井町に、「ブルドック」という店がある。「ブルドッグ」ではなく「ブルドック」。細い路地の中にある洋食屋だ。そこで提供されるのは、リーズナブルなのに気前のいい満足感あるメニューたち。
キタナシュラン(褒めてる)でおなじみブルドック!ブルドッグじゃなくてブルドック!ショーケースも味わい深いんだよな。 https://t.co/hyHqil5B2a
— ぽちん (@pochin_pudding) July 20, 2021
ディスプレイや店内は、「キタナシュラン」ノミネートの話を持ち出すまでもなく、お世辞にも綺麗とは言い難い。ただ、お料理はひと品ひと品手をかけて作られていて、ちゃんとおいしい。雰囲気やストーリーも含めて大井町を語る上では外せない名店のひとつだ。飲食店は本来、衛生維持や清潔感がとても大事だけど、私はこういうお店を嫌いになれない。
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2023年秋のある日、暇つぶしにXを見ていると「大井町で火災が起きている、ブルドックのあたりだ」という投稿が飛び込んできた。まだニュースになる前である。どうか間違いであってほしいとの願いも虚しく、間もなくそれが事実であることが分かり、店舗の大部分が焼失したとの報道が相次いだ。あの狭い路地にあっては再建は難しかろうと悲観し、ブルドックの情報からはしばらく離れることにしていた。それだけショックが大きかった。
先日、同じメディアの別の記事を読んだことをきっかけに、見事復活を果たした新生ブルドックを取材した記事に触れた。綺麗で清潔な店構え。知らぬ間にすっかりリニューアルを果たした内観がまぶしい。
現在は、療養中のお父さんに代わり、お母さんと息子たちが力を合わせて店を切り盛りしているという。以前よりも明るく入店しやすい雰囲気になったことで、女性客も増えたのだとか。火事は本当に不運で悲しいことだけど、お店が続いていくために必要な変化のきっかけをもたらしてくれたのかもしれない。
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ふと新しくなった外観を見てみると、おや、見覚えがある。そうだ、ここは「プロヴァンス」だったはずだ。プロヴァンスも大井町洋食の名店だ。当時はやや店内が暗い気がしたが、こざっぱりとしていて居心地がよい店だった。トマトライスを敷いたチキングラタン「トルヴィル」や、ベーコンを巻いて焼き上げた「スイス風ハンバーグ」が名物。こちらも何度か世話になったが、昨年2月、気付かぬうちに閉店していた。その跡地を、ブルドックが引き継いだのだという。
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ブルドックの営業再開は昨年の6月、もう半年以上も前のことだったらしい。以来、すでに何度か大井町に出ているのに、知らなかったな。大井町で続いてくれていたという安堵と、プロヴァンスはもうないのだという喪失感とで、今さら心が少し忙しい。きっと新しいブルドックを訪れたら、どこかにプロヴァンスの面影も感じてしまうのだろうと思う。
大井町は飲食店の激戦区で入れ替わりも激しいが、長く続く名店も多い。東小路飲食店街を中心に、味のある店が多く立ち並ぶ。飲み屋に縁がないのが自分でももったいないところだが、酒飲みじゃなくても楽しめるお店もいろいろとある、懐の深い街だ。
大井町は今も再開発が盛んだ。昨年末に訪れたとき、また新しいビルが生え始めていることに気がついた。東小路のエリアはまだ権利者と話し合う段階らしいが、いずれはあのあたりも変わってしまうのかもしれない。
終わるもの、変わりゆくものの話を見聞きするたび、永続するものなんてないという厳然たる事実を再認識する。その儚さにいつもどこかでは気がついているからこそ、すでに歴史を重ねたものも新しいものも、価値あるものにはずっと変わらず続いてほしいと願わずにはいられない。
だけど、続いていくことと変わっていくことは表裏一体だ。変わらず続いていくために、少しずつ何かが変わっていく。その変化さえ受け止めたいと思えるほどに、変わらぬ芯の思いを信じられる対象があるとしたら、それはもう愛って言っていいんじゃないかな。大げさかもしれないけれど、趣味のサウナや銭湯とも、そんな感じで接している。