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うまいまずいのその前に

今もやっているのか知らないけれど、子どもの頃、夏休みなど長期休暇のシーズンには「子どもアニメ劇場」みたいなのが放送されていて、ちょっとだけ古いアニメの再放送を延々と流していた。普段学校に行っているはずの子どもを大人しくさせたい保護者にとって、あのプログラムは都合がよかったのだろうと思う。いくつかの局がいろんな時間帯に同じようなことをやっていて、アニメ三昧だった。

特に好きだったのが「美味しんぼ」の再放送である。どうやら子どもの頃から喰うことに関心が強いらしい。同じ枠で放送されていたアニメの中では比較的大人向けな作品だけど、その中で語られる「こだわり」みたいなものが、ステレオタイプながら、なんかカッコよくすら見えたものである。いま観れば偏った主張も多いし、ダブスタも上等、トンデモ回もあるのだけれど、そういう伝統芸能だと割り切って付き合う分には面白い。

美味しんぼからはいろんな影響を受けた。いや、受けてしまったと言うべきか。美味しんぼ譲りの「こだわり」のせいで、大人になってから損ばかりしている。

「これに比べると山岡さんの鮎はカスや。」
声に出して読みたい日本語。
(8巻「鮎のふるさと」より)

アニメにもなっている「手間の価値」という回がある。主人公であり新聞記者の山岡士郎とその仲間が、取材という大義名分を得てグルメ雑誌で紹介された中華街の人気店に足を運んだところ、手間を惜しんだ「出来そこない」の料理を提供され辟易し、中国人店主とのいざこざの末に料理対決に至るという話だ。

ちなみに、「ダメな料理への挑発に端を発する料理対決」というのは、対決系グルメ漫画の様式美のひとつである。

「この豚バラ煮込みは出来そこないだ。食べられないよ。」
すぐ喧嘩売る。
(2巻「手間の価値」より)

グルメ漫画なので、基本的には素材と調理と味の話になるはずなのだが、この回には別の示唆が含まれている。

山岡の一行は、この「出来そこないの豚バラ煮込み」の店に辿り着く前に、別の店にも訪れている。同じくメディアに紹介され行列が絶えないその店は終始せわしなく殿様商売で、取り皿も出さないしメニューもバラバラでは頼まないでと強要してきたりする。

「うちはみんな一人一枚でやってもらうことになってますから。」
私は正直、このくらいはあまり気にならない。
(2巻「手間の価値」より)
メン類は安いんだから。何種類も注文されると面倒なの。一グループ一種類にしてくれないと受けられないわけ。
並ぶ前に言われるなら仕方ない気もするけどね。
(2巻「手間の価値」より)

この対応を受けて、待ちかねた料理が提供され食べようとはやる仲間をよそに、山岡はこう言い放つのである。

「こんな店では何も食べちゃいけない。うまいとか、まずいとかいう以前の問題だ!」
\キャーカッコイイ!!/
一応山岡の名誉のために付け加えておくと、
次の場面でお代は払ってから退店しているらしいことが分かる。
(2巻「手間の価値」より)

漫画としてはこの部分は前フリに過ぎず、対決にすら発展していない時点でモブなのだが、個人的にはむしろこの部分の方が、山岡という人間とこの作品の本質を表している考えている。何しろ「喰わずに帰る」のである。強い抗議だ。美に人間を奉仕させる父をあれほど恨んだ山岡が、奉仕(サービス)に対する強い不快感を示す印象的なシーンである。

私は聡明な子どもだったので()、美味しんぼを何度も繰り返し観ては、こんなクレーマーまがいの大人にはなるまいと心得ていた。そうして、何をされてもあまり怒らず、八方美人で凡庸な人間ができ上がった。

ところが、である。随分と大人になってから、ときどき内なる山岡が顔を出すようになった。あんまりな理不尽や不当な扱いには、強く抗議を示すようになった。以前なら飲み込んでいただろうに。

「こだわり」なんてつまらないことだよ。
(1巻「油の音」より)

私の山岡エピソードをご紹介しよう。

少し前、昨年飛んだ元上司の後任がようやく固まって間もない頃、1on1の場でこんな一幕があった。ある顧客への取引上の譲歩を進言する私に対し、新上司は(少なくとも私にとっては)くだらない理由でひどく難色を示した。私はおよそ説得に足る根拠を述べ合理的な判断をと促したが、彼は不快感を露わにし、しまいには「君は会社の味方か?客の味方か?どっちなんだ?」と煽ってきた。(きんに君かな。)あまりの幼稚さに腹が立って、「貴様のような奸物は、なぐらなくっちゃあなたこそ上司として私の味方をする気があるのか?回答次第であなたへの態度も変わる」と凄んで謝罪させた。今思えばやりすぎである。

ちなみにその後、新上司との関係は一応良好である。ただ、彼の就任直後に牽制したことが功を奏してか、私には変なボールを投げてこなくなった。大切なことは山岡と同じように、事あればためらわずすぐに席を立つこと。つまり怒りの瞬発力である。私は戦いたいわけではないし、腫れもの扱いされたいわけでもないが、平和に生きるためにはナメられないためのコストを払う必要がある。それに、自分の譲れない「こだわり」を貫くためには、ときには割を食うリスクさえ甘受せねばならない。

「それ以上いけない」
やりすぎは身を滅ぼす。
(孤独のグルメ 1巻 12話より)

最近、ある飲食店で嫌なことがあった。

比較的近所にある、ときどき通う人気店。その日も店の前には行列ができていて、1時間は待つだろうなといった様相。店のシステムに従い先に食券を購入し列に加わった。ちょうど1時間が過ぎたころ、私を含む幾組かの客がいよいよ店内に通され、スタッフが注文を確認に回ってきた。彼女はひととおり注文を確認すると厨房に入っていったが、何らかの指示を受けてすぐに戻ってきた。そして、1時間も前に食券を購入済みの待ち客たちに向け「特定のメニューはグレードダウンすることになるので了承せよ」という趣旨のアナウンスを一方的に告げ、また厨房へと去って行った。どうやら、主要な材料の一部がもうほとんど残っていないらしい。だから盛り付けを減らすと。それ今になって言う?

目当てのものが違うのかもしれないが、同じタイミングで入店していた他の客は、一応はその説明を受け入れているように見えた。しかしその陰で、私の怒りはふつふつと燃え上がり、やがて内なる山岡が「こんな店では何も食べちゃいけない」という結論を下した。望みのものが喰えないことに腹を立てているのではない。客の時間を何とも思わないその姿勢に腹を立てているのである。(いや、やっぱり食えないことにもちょっとは腹を立てている。)

私の分は調理が開始されていなかったので、丁重に返金を要求した上で、1時間以上並んだ列から抜けた。店外に長く伸びた列の面々からは、不思議そうな視線が私に注がれた。すまない、私はこれしきのことで「喰わずに帰る」タイプの人間になってしまった。

「いやだ!クレーマーになんかなりたくない!」
「いやだ!クレーマーになんかなりたくない!」
(映画「もののけ姫」より)

返金してもらうとき、先輩らしきスタッフから悪びれるそぶりもなく「その食券、後日持ってきてくれればまた使えますけど、いま返金しますか?」と確認された。「なぜ次があると思うのですか?」という言葉が喉まで出かけたけれど飲み込んだのは、通い慣れつつあったその店の「味」に未練があったからだと思う。だけど、当分は足が遠のくのは間違いない。今この瞬間もその「味」は恋しいのだけど、内なる山岡が「こんな店では何も食べちゃいけない」と諭してくるのだ。

ちなみに、このパターンは別の店で過去にもう一度だけある。その店での出来事は初回訪問時だったことも手伝い、そういえばあれ以来行っていない。いろんな場所を巡っていると、そういうことも起こる。

「俺自身 食い物の味にこだわらずにいられない…」
最近ネトフリでアニメ版また見てる。
(1巻「油の音」より)

私はサウナやお風呂が好きだけど、思えば温浴施設でも同じような気持ちを覚えることが、少ないながらある。いくら高い評価を受けていても、清掃やメンテナンス、店づくりのあり方を見て足が遠のいたりしてしまう。いわんや、従業員や熱波師の振る舞いをや。山岡的判断の結果、もう当分、次はないかなという対象は、正直なところいくつか思い当たる。

おそらく、件の飲食店は私の途中退店をもう何とも思っていないだろう。それに、今日も店先には長い列を形成するはずだ。残念ながら、私には山岡のように相手を打ち負かし改心させるほどの卓越した技量はなく、「出来そこない」とけしかけては対決が始まることもない。そうして私がただ、食事の、風呂の、熱波の選択肢をひとつ失っていく。つまらぬ意地こだわりである。美味しんぼのせいで、損ばかりしている。

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