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声が聴けて嬉しかったと言われた夜

 わたしは落ち込みやすい方だ。と思う。小さなことでくよくよして、あれやこれやと悪い方向へ想像し、あの人はあのときにこう思ったに違いないと思い込み、長いこともやもやと忘れられず根に持ち、そのうちまた別の小さなことでくよくよし…という繰り返しである。

 今思ったけどこれ、落ち込みやすいとは少し違う気がしてきたな…

 その夜もそんな調子だった。ただ違ったのは、いろんなことが重なっていつもよりも相当に打ちのめされていたということだ。

 暗くなった部屋でパソコンに向かいキーボードを叩いていたら、なんだか世界にひとりぼっちのような気がして、先の見えない何かに飲み込まれてしまった。そんな気持ちになることもある。だけどこの夜はどうしようもなく、だが作業も終わらず、呼吸が浅くなり、あ、なんか、

 なんか、やばいな、と。

 そう思い、とっさに電話を手に取った。誰かと話そう、今思い出すと不思議なのだけど、なぜだかその気力はあったのだ。

 数コールして友人が出た。なんの話をしたかは覚えていないけれど、少し話しただけで徐々に回復していくのがわかった。大丈夫?元気?とか、そんな内容だったと思う。なんとかやってます、とか、また焼肉行こうよ、とか、そんな調子の。

 そうしているうちにじゃあまた、と電話を切ろうとしたら、はい、また、と受話器を置こうとしたその奥で友人が、あ、あの、のあとに、声が聴けて嬉しかったです、と言ったのだ。

 うん、わたしもだよ、と返すのが精一杯で、電話を切ったあと、わたしは泣いた。嬉しいとか、驚きとか疑問とか、そんなのがぐちゃぐちゃに混ざって、ただ泣いた。ちっともひとりぼっちじゃないのに、ひとりぼっちに閉じこもっていた。ひとりぼっちじゃなかった。わたしは、ひとりぼっちじゃなかったのだ。

 だけどまた飲み込まれそうになったときは、この夜のことを思い出す。この記憶にわたしは救われている。

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