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勝負論

「負けは勝利の母」
という格言がある。負けを考察することで勝ちについても考察することになり、勝ち方を学ぶことが出来るという訳である。諸説意訳が存在するだろうが、これが最もしっくりきた。
では、初めから勝利してしまった場合はどうだろう。
若しくは、負けから試行錯誤した後の勝利の直後はどうだろう。
今、これを読んでいるあなたは、人生負け続けてこれに辿り着いた訳ではない。何かしらの勝利体験と鈍いものや痺れる程鋭い敗北体験を持って、ココに存在している。
麻雀で考えてみる。

ニニ四五六455667④⑤という聴牌が入った。
そして今、つくづく書式が横書きだったことに幸運を感じた。これが縦書きだと牌姿が物凄く認識し辛いからだ。等とメタ描写を入れつつ。旧石器時代のオタク表現を意識しつつ。(かつて地域振興券なるものでPUMAのスニーカーと共にスレイヤーズのライトノベルを全巻購入した世代です)
ではなく。配牌は4シャンテンだった。それが么九牌を切り出すだけで、アッと言う間に聴牌した。自風の西を切り出してリーチを打つ。3巡後に対面の親からリーチの声が掛かる。打⑥。高目⑥を捉えて裏表示牌が⑤。跳満を出和了る。強烈な成功体験を得る。
現代の麻雀を知っている、AIを駆使し、確率を身体の隅々まで浸透させた我々なら、迷わずリーチする手である。だが。
この手には敗北が宿っていた。
リーチを掛けた1巡後に赤5を持って来た。次巡、4を持って来た。ココでリーチを掛けたら出和了り倍満だった。ただの結果論である。
この後、他家が横移動を繰り返し、最後に対面が跳満を出和了りして微差の浮き2着で終了した。これも結果論である。
この勝負を経て、打ち手は高打点の手牌を造るときに三色含みの断么九平和系の手作りをする打ち手になる。
目の前で確かに存在していたはずの、勝利に似た何かは、ただの敗北の原料でしか無い。

今現在、自分に見えている勝ち筋。そこでは確かに、状況、場面が整えば、自分は勝利側に立つに違いない。
その勝ち筋にはまだ進化の可能性を感じている筈だ。より確実に、圧倒的に勝つ可能性を。
それについて時に考察し、実験し、経験を繰り返しているだろう。
では、勝負の相手が未来のあなたの上位互換だとしたら。それでもあなたは勝負の場に留まられるだろうか。
あなたの技は、相手に驚きを持たらさない。技の返し方について研究されている。あなたの存在理由は有るか。
俺は、そこで新たに対応する何かを探る。だからこそ、存在理由が有る。
自分の上位互換という最大の敵が現れたときに、踏ん張れる心構えという土台を強く作っておくのが、勝利への可能性を残してくれる最後の砦の1つではないだろうか。(了)

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