見出し画像

「たりないふたり」は希望の光

「たりなくて、良かった」

山里亮太と若林正恭がそう口にできるまでに、12年を費やした。

12年前から彼らは、自身の「たりなさ」を嘆き、憂い、自虐のネタにしてきた。30歳を過ぎてなお、飲み会や大勢での仕事が苦手で、恋愛事情もなかなかにこじらせ、才能も社交性もウツワの大きさも、こんなにも「たりない」のだと。

そして「たりてる側」への妬み・恨み・嫉妬、それと劣等感はふたりの自虐を加速させた。彼らは、メラメラと燃え上がる「オレはこんなもんじゃねえ」の炎に「たりないふたり」で薪をくべつづけた。


2021年5月31日、「明日のたりないふたり」が無観客で配信された。

「たりないふたり」の解散ライブだ。12年間の集大成である。

その反響の大きさに、もともと6月8日までだった配信期間が翌週13日までに延長され、5万人以上が試聴した。


「たりなくて、良かった」

山ちゃんと若ちゃんが、あれほど悩んできたふたりの「たりなさ」を、お互いを、自分自身を抱きしめた夜だった。

「たりなさ」が情けなくてみっともなくて、「たりてる側」に行きたくて、「たりてる風」に擬態して、もがいて、あがいて、傷を負いながらやっとたどり着いたのは、汗だくで息を切らして見上げた「空の青さ」だった。たりないからこそ見えた景色、たりないからこそ出会えた仲間たち、たりないからこそ生まれたすばらしい才能だった。

「たりない」ことでしかたどり着けない「満ち足りた世界」がそこにはあった。

12年。
人間なら、小学校を卒業する頃合いだ。これから反抗期・思春期・モラトリアム・進路のこと・就職のこと・結婚のこと、まだまだ待ち受けるイベントは盛りだくさんだ。ウイスキーなら、飲みやすい頃合いではある。だがここから熟成を重ねることで、味は深みを増し、価値もどんどん高まっていく瀬戸際だ。

12年を経た「たりないふたり」は、まだまだ成長期の真っ只中といえよう。山ちゃんの手には「自虐の竹槍」が、若ちゃんの手には「人間力のモデルガン」が握られている。武器は決まった。帰ってくる場所もわかった。「都合のいいヘリコプターがない」ということもわかった。「たりなくて良かった」と思えるようにもなった。そんな山ちゃんと若ちゃんのこれからを、ふたりの背中を、どうして追いかけられずにいられよう。

12年を経て幕をおろした「たりないふたり」。しかし今この瞬間もどこかの「明日のたりないふたり」の幕が上がる。「たりないふたり」は山ちゃんと若ちゃんだけじゃなく、わたしたちの物語としてこの先もつづいていくのだ。


「今度はわたしの番だ」

そう思っている自分がいる。

わたしは別に芸能人じゃないし、特別何かの才能があるわけじゃないし、精神力も体力も人間力も圧倒的に「たりない」し、他者に対して「クローズ!!!!」の連続、口をひらけば自分の話ばかりの自意識大爆発マンだ。(書いててやんなっちゃう)。

そんなわたしは、まだ「たりなくて良かった」だなんて到底思えそうもないない。そこまでもが「たりない」のだ。あれもこれも「たりない」自分が大っ嫌いで失望しているし、いわゆる「たりてる側」への嫉妬と焦りで今にも気が狂いそうだ。

でも山ちゃんと若ちゃんが「それでいい」と教えてくれた。「たりなさ」を嘆いて憂いて自虐してもがいてあがくことを続けてていいんだ、って。それで手にできる武器があるし、その危機感があるから磨きつづけられる・努力しつづけられるんだ、って。

わたしがいったいいつ「たりなくて、良かったー!」と思えるようになるのか、全く想像がつかない。しかしきっといつか、くるのだろう。「たりない」わたしを抱きしめられるときが、「こんな自分もわるくないな」って思えるときが、きっとくる。山ちゃんと若ちゃんが希望の光を見せてくれた。

わたしはわたしの「たりなさ」を、エネルギーに変えていく。山ちゃんと若ちゃんの傷だらけの背中と、それを追う次世代の背中を追いかけながら、「明日のたりないふたり」のひとりとして、わたしはわたしのフィールドで闘い、戦場での日々を生き抜いていくのだ。




いいなと思ったら応援しよう!