見出し画像

3分で読めるホラー小説【ヤマカシの山】

「山が、ここに来る」

 そんな不可解な言葉を最後に、神隠しのように消えた村人がいた。その時は、誰も彼の言葉の意味を理解できなかった。だが、その後の出来事が村を恐怖に陥れるとは、誰も想像すらしていなかった。

 物語の舞台は、山奥にある小さな村、白雲村。人口わずか百人にも満たないその村は、長年閉鎖的で平穏な生活を送ってきた。外界からの情報も希薄で、都会の喧騒からはほど遠い、静かな場所だった。

 しかし、ある夜からその静けさが崩れた。夜中、突如として山の方角から奇妙な音が聞こえ始めた。岩が擦れるような低くて重い音。それは、まるで山が少しずつ動いているかのようだった。

 村の長老である大友は、この異変に敏感に気づいていた。彼は幼少期に聞かされた伝承を思い出す。「ヤマカシ」という怪物の伝説だ。ヤマカシは、山の神に逆らった者に罰を与える存在だという。山と人々の世界の間に境界を作り、その境界を越えた者を容赦なく狩るのだ。

 しかし、それはただの昔話だと誰もが思っていた。

 消えた最初の犠牲者は、村の若者、タカシだった。彼は山道で木を伐採していたが、日が暮れても戻らなかった。捜索隊が送られたが、タカシの姿はどこにもなかった。見つかったのは、彼の作業道具と、地面に深く刻まれた不気味な爪痕だけだった。

「ヤマカシが、出たんじゃ……」

 誰かが呟いた瞬間、村に恐怖が広がった。ヤマカシは、山から人々を狩る。だがそれだけではない。ヤマカシが狙った者の周りの「次元」を歪ませ、山そのものを引き寄せて現れるというのだ。

 それから数日後、今度は村の一角に住む老婦人が消えた。彼女の家は山から遠く離れていたはずだが、家の裏手には奇妙なことに、まるで山そのものが移動してきたかのような地形の変化が見られた。岩や土が突如として現れ、家の壁にまで苔が這い、まるでその場所が一夜にして山に飲み込まれたかのようだった。

「ヤマカシは、次元を歪ませて人を襲うんだ……」

 村人たちは震えながら、これまで聞いてきた伝説が現実になったことを理解し始めた。ヤマカシが狙う者の周囲では、時間も空間も狂い始め、気がつけば目の前に「山」が迫っている。どこにいても、ヤマカシは山とともに現れるのだ。

 その夜、村の若者たちは山狩りを決行した。ヤマカシを見つけ出し、この呪われた存在を消し去るためだった。しかし、村の年寄りたちは反対した。

「ヤマカシは山の一部だ。山を傷つければ、それだけヤマカシは強くなる」

 だが若者たちは聞き入れなかった。タカシを含む多くの仲間を失った彼らは、恐怖よりも怒りが勝っていた。

 夜が更けるにつれ、風が強くなり、空は月すらも隠す厚い雲で覆われた。若者たちが山に踏み入ると、次第に道が分からなくなり、周囲が不気味に変わり始めた。岩や木々が、彼らを取り囲むように次元を歪ませ、知らぬ間に目の前に巨大な山のような影が立ちはだかる。

「おい、これ……ここはどこだ?」

「俺たち、村を出てないはずだろう!?」

 誰かが叫んだ瞬間、山の奥深くから、重くて湿った音が響き渡った。それは、何か巨大なものが岩の間をゆっくりと這うような音だった。

 そして、それは姿を現した。ヤマカシ――それは人の形をしていたが、人ではなかった。巨大な体躯は岩と木々でできており、その顔はまるで朽ちた仮面のように歪んでいた。ヤマカシの眼は深い闇のように何も映さず、ただ、狙った者を見据えていた。

 若者たちは一瞬で恐怖に飲まれ、逃げ出そうとしたが、ヤマカシはその長い手足を伸ばし、周囲の木々と岩を操り、彼らを引き裂くかのように襲いかかった。

 翌朝、村に戻ったのは、ただ一人の若者だった。彼は血まみれで震えながら、こう呟いた。

「山が、俺たちを追いかけてきた……ヤマカシが次元を歪ませて、どこにでも現れる……もう、逃げられない……」

 村は恐怖と絶望に包まれた。ヤマカシは、村を狙い続けている。どんなに遠く離れても、どんなに深く隠れても、ヤマカシは山を引き寄せ、その存在を飲み込むのだ。

 それ以来、白雲村の住人たちは次々と消えていった。誰一人として、ヤマカシから逃れることはできなかった。今では村そのものが地図から消え、ただの廃墟となっている。

 最後に残された伝承はこう記されている――

「ヤマカシは、山そのもの。山を恐れよ。ヤマカシは、すべてを飲み込むために現れる」

 山の静寂の中、今もなお、ヤマカシは次元の狭間で待っている。その次の獲物を――あなたのいる場所に、山を引き寄せながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?