性別にこだわりがなくなった話

こんばんは、poppyです。

私は23歳の1ヶ月限定ニートです。

新年明けましたね、おめでとうございます。
正月ムードも去っていき、少し寂しいですね。
あなたは、ゆっくりできたのかなぁ。
お仕事だった方も、本当にお疲れ様でした。

さて今日は、「性別にこだわりがなくなった話」をしていきます。よろしくお願いします🙇

前回の自己紹介のnoteで軽く話させていただきました、性別の話。
あの文では、いろいろ言葉が抜けすぎているのでちゃんとお話ししますね。

まず、私は女性として産まれました。
とても引っ込み思案で、意見を言うのが苦手な子でした。一人娘で、母の後ろでずっと隠れていました。
そして何より、男性が苦手でした。

小さい頃から親の仕事の影響もあり、大人に囲まれて育ちました。その中でも男性が苦手で、父親以外の男性とは喋れませんでした。

小さい頃からピンクやスカートはなぜか苦手だったのですが、小学校5年生の時に大きな違和感にぶち当たりました。
私、少年漫画のとある海賊漫画が大好きで、筆箱や服は海賊漫画のキャラものを着ていたんです。
その時にクラスの男子から、「女のくせに〇〇(海賊漫画)好きなのかよ!おんなおとこ!」と言われました。

そんなちっちゃい話ですが、“女のくせに”と言う言葉が気になって、気持ち悪いと思いました。
それから“女であること”が段々気味悪く感じてきました。そして、自分が女性だと認識しました。

中学校の制服を買う時も、スカートは嫌だなと思っていました。
家族の悲しむ顔が見たくなくて言えませんでした。

それからインターネットでたくさん調べて、私がなんなのかを知ろうとしました。

LGBT-Qという言葉を知りました。安心しました。
私の気持ちに名前があるんだと思いました。

それから中学校に入り、自分自身を探求するようになりました。毎日着たくもない制服を着て学校に行きました。とても辛かったです。

中学時代、私はバイセクシャルでXジェンダーであるとわかりました。
初めて付き合ったのは女性でした。素敵な方でした。

高校時代、私の性別や性的指向は変わっていませんでした。
演劇をはじめ、男役として色んな方を演じさせていただきました。

高校1年生の後半から、男性とお付き合いするようになりました。
初めて付き合った男性は、正直素敵な方とは言えませんでした。今思えば、モラハラ男でした。
モラハラ男と別れてからすぐ、穴を埋めるように別の方とお付き合いさせていただきました。素敵でした。
でも、彼が伝えてくれる「〇〇ちゃんは女の子だから」「俺は女の子の〇〇ちゃんが大好き」などの言葉に耐えられず、私からお別れして欲しいとお願いしました。

私の心の違和感は、彼に対して失礼だと思いました。
そこから私は、男性として生きたいと思うようになりました。

高校3年生の秋、違和感が大きくなり、どうしたらいいかわからず、私は“うつ”になりました。
きっと、演劇を辞めたのも理由だと思います。
私の性別に対する違和感を、演劇で発散していたんだと思います。

唯一話していた親友の言葉で、病院に行きました。
先生を見た時、やっと受け入れてくれる大人に出会えて泣きました。嬉しかったです。
たくさん話を聞いてくださいました。結果は“重度のうつ病”だと診断されました。

診断書をなけなしのバイト代で払い、両親に見せました。泣いていました。本当に申し訳ないと思いました。
泣いている両親を見て、尚更性別のことが言えなくなりました。

その後も、薬が合わなくて暴れてしまったりと本当に迷惑をかけました。毎日過呼吸になっていた私のそばにいてくれました。

こんなに両親が大好きなのに、こんなに愛してもらっているのに、性別に違和感を持っていてごめんね。
また悲しませてしまう、迷惑ばかりかける子供でごめんね。と毎日、毎分、毎秒思っていました。

両親が大好きなのに、両親に言えないことが、私にとっての1番のストレスでした。

高校を卒業する間近に、両親にカミングアウトしました。反対されました。悲しい気持ちより、申し訳なく思いました。
でも自分の気持ちは変えられず、高校を卒業するタイミングで家を出ることにしました。

私は専門学校の学生寮に入りました。
女性寮とはいえ、両親と離れて心が軽くなりました。
専門学校に入学してから、私を受け入れてくれる方にたくさん出会いました。居場所を見つけました。
私の気持ちは、トランスジェンダーへと変わっていっていました。

そして19歳の頃、性同一性障害と診断されました。
ホッとしました。泣き虫なので、また泣いてしまいました。両親に言わずに病院に行きました。

その足で男性ホルモンを体に入れに行きました。
私から僕に変わりました。
そして両親に連絡しました。両親は諦めた様子でした。
裏でたくさん辛い思いをさせてしまったと思います。
それでも「もう大人になるもんね」と言ってくれた母親には、本当に感謝しています。

それからは、男性として仕事をしていました。
約3年間、声も完全に変わり、髭もよく生えます。胸にはサラシを巻いて、側から見たら本当に男性でした。
心が楽でした。本当に明るくなりました。

23歳の頃、職場が潰れてしまい地元に帰ることになりました。その時には、私の中で“性別”というものはどうでもよくなっていました。
女性であろうが、男性であろうが、私は私であると思えるようになりました。
私自身が、私を愛せるようになっていました。

地元に戻ってきてから、人生で初めて女性として働きはじめました。特にモヤモヤしませんでした。
過去の自分に中指を立てることもなく、抱きしめられるようになっていました。
性別が全く気にならなくなったことは、今でも不思議に思います。
男性として働くことを経験して、本当に良かったと思っています。

そして今、素敵な男性とお付き合いさせていただいています。
今までの私を全て知っている中で、お付き合いしてくださっている心の広い方です。

出会った沢山の方に助けられている人生だと思います。
本当にどの方にも出会えて良かったと思っていますし、心の底から感謝しています。
本当に、ありがとうございます。

リリー・フランキーさんの言葉で、
「うつは大人の嗜みですよ。それくらい感受性を持ってる人じゃないと、俺は友達になりたくないから。」
という言葉があります。本当に大好きな言葉です。

“性別”や“うつ”で悩んでいた私を愛せる私になれて、良かったと思っています。
そして大切な恋人は勿論、親友や家族をもっともっと愛せる人間になりたいなと思います。

長くなってしまいました😥

また、今度はもう少し短くお話ししますね。

おやすみなさい。いい夢見てね。


poppy

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