PNSEに至る道のり
2024年11月25日に、PNSE状態になりました。40歳になる数日前の出来事でした。
PNSEとはいわゆる悟りを心理学の言葉で表す言い方です。悟りとか大仰で恥ずかしいし、宗教を経由していないので、こんな言い方をしています。
これまで、物心ついた時からずっと生きづらくて、家庭の問題で傷ついて、恋愛はうまくいかず、どの仕事もいるだけで緊張してしんどくて、休みの日も次の出勤のことが頭から離れない。そんな日々でした。
楽になりたくて心理学や体のケア、カウンセリング、セッションなど色々試しました。いずれも表層の問題を少しずつ解決してくれましたが、根底にずっと流れる仄暗い灰色の絶望感は消えませんでした。
2023年9月に、ネドじゅんさんの『左脳さん、右脳さん。』に出会います。
これだ!と思ってオンラインサロンに入会し、1年と少しが過ぎました。
エレベーターの呼吸という、体の内側を感じる呼吸や、直感のままの散歩、ぐるぐる喋り続ける頭の声をつど気づいて止めるなど、紹介されていることを地道に続けてきました。
本によると、こうして左脳過剰を抑えて右脳につながっていこうとすると、左脳が逆襲をしてきます。もらっていた栄養が来なくなり、必死で取り戻そうとするそうです。
実際、私もとてもしんどい思いをしました。いろいろなことが起きて、自死は当たり前のように頭に浮かびました。でも、自動思考が減ったのは感じていたし、それがとても楽で、人生で初めての平穏を味わったりもし、方向は間違っていないと思えました。
そんなアップダウンを繰り返すうち、2024年1月、もう、何もかも諦めようという気持ちになります。
もう何も治さない。しんどいこのままでいい。このまま死ねばいい。そうだ、入院したつもりで過ごそう。そう決めました。
仕事や家庭生活は最低限行いましたが、とにかく頑張らない。期待しない。布団もひきっぱなし。掃除しない。数少ない友人にはこのことを伝え、とにかく閉じこもりました。何も考えたくなくて、オンラインサロンの動画をずっと流していました。
そんな日々を送るうち、なぜか少し心が楽になってきました。そして、仕事が楽になったり、趣味でいいお話が来てお小遣いになったりしました。
おや、と思っていたら、トントン拍子で家族の問題が一つ解決しました。私の心身の負担になっていたことでした。
あと少し、そんな気がしました。まだ、絶望の川は足元を流れているけど、あと少し、あと少し。
そして2024年、11月は私の誕生月でした。少し楽になってきたのに、「40になるのに彼氏すらおらず、非正規雇用で実家暮らし、お金ない、でも沢山働いたら死んじゃう」という思考が止められなくなりました。
そんな時にある本を読んでいて、こんな旨の言葉を見つけました。
みたいな言葉でした。
高くて日本語版が買えなくて、英語版の中古を頑張って読んでいました。なので、「みたいな」と書いています。
これが最後の一押しでした。とてつもない理解、理解、理解と感動。そうだ、全てが私を今ここに運んできたんだ、あの苦しみは全て今ここに至るためのパーツだったんだ。苦しい思いをした相手も、その時支えてくれた人も、みんな私をここに導いてくれたんだ。
点と点がつながったような、全ては一つとわかったような、大いなる何かが笑っているような感覚でした。
それから1週間は、至福の日々でした。何をしていても幸せで、みんなが愛しくて、感動ばかりしていました。
今は、またしんどさのぶり返しがあったりしながらも、一度つかんだあの感覚は体に染み付いています。そして、そのぶり返しはさらに幸せの感度を高めるためのきっかけだと感じています。
とても幸せです。暮らしや環境は今までと何も変わりありません。なのに、ああ幸せ、ってずっとニコニコしています。あったかい温泉の中にいるようです。仕事ではまだしんどさが出やすいけれど、掴めてきたこともあります。(また記事にします)
今日はこれでおやすみなさい。ありがとうございました。