好きなこと・やりたいこと
昨日、友人の誘いで、とある演劇を観てきた。
大正時代に婦人解放運動で歴史に名を遺した伊藤野枝が、虐殺された後に現代にタイプスリップ(?)して、「正直働きたくないけどこの社会で生きていく以上は仕方がない」と自分に言い聞かせながら就職活動を行う大学生と出会い、その自由奔放ぶりが大学生に影響を与えていくという斬新なストーリーだった。
その演劇では一貫して、「自分を押し殺してやりたくないことをやるくらいなら、苦労はするかもしれないが、自分の好きなこと・やりたいことをやるべき」だというメッセージが込められていた。
このメッセージ自体はかなり共感できる部分があった。
人生は一度しかないわけだし、安定だけはしているけど、別にやりたくもないようなことをだらだらやりながら生きて、結局自分の人生ってなんなんだろうと思いながら死んでいくよりは、苦労もしたけど、やりたいことをたくさんできて楽しかったと思いながら死ぬことができたら幸せなんだろうと思う。
ただ、実際自分のことを考えてみると、どう考えても前者のような状況である。正直なところ、今の自分は、収入はともかく、社会的な位置という意味ではかなり安定はしており、いわゆる「可もなく不可もなく」(見る人によっては「可」寄り)な人生を送っているものの、どこか自分を殺しているように思う。
毎朝(というか前日の夜から)なんかしんどいなあと思いながら仕事をし、悪くはない働きぶりで一日をやり過ごし、家に帰ってからはなんか疲れたなあと思いながらだらだら過ごして一日が終わる。たぶんこれは、見る人によってはこの上なく幸せなことなんだと思うし、実際、自分自身もそれほど悪くない生活を送っていると自覚している。
ただ、なんというか…楽しいかと言われると全くそんなことはない。一日一日を「やり過ごしている」感が否めない。もっと言うと、毎日を「耐え抜く」ことが人生の主目的になっている感覚があり、しかも耐え抜いた先に何かがあるわけでもない、というような状態である。いや、もちろん何もないわけではないが、そこで得られる何かというのが、正直あまり自分には「刺さらない」ものしかない、ということなのかもしれない。(まあ、お金はもらえると助かるが)
そんな生活の中、昨日観た演劇のメッセージを思い浮かべてみる。
好きなこととかやりたいことが自分にもあるのだろうか。
これが全く思いつかない。おそらく、「耐え抜く」ということに慣れすぎて、好きなこととかやりたいこととかがぱっと思い浮かばないくらいには、自分の感性は鈍っているのだと思う。
まあたとえば、好きな音楽を聴いたり、本を読んだり、みたいなことはあるが、それはあくまで「消費」にしかなっていなくて、結局、誰かに与えられたものでしか満足できていない。なんとなくだが、やりたいことをやるっていうのはそういうことじゃないような気がしていて、例え小さくても、「自分で何かを生み出している」感覚が大事なんだと思う。
実は自分の人生で一度だけ、自分のやりたいことがやれているという実感が得られている時期があった。大学院生の頃である。自分が学びたいことを学んで、それを整理して文章にするという作業は、苦しくも面白い作業だった。時間にもそこまで縛られている感覚もなかったので、本当に自由にやりたいことをやっている感覚だった。(特にあの頃は長らく吃音でかなり悩んでいた状態から一気に解放された時期だったので、それで幸福感も割増しになっていたようにも思う。)
最近、友人が大学院入学を目指しているので、それに便乗して自分も研究まがいのことをやり始めている。…が、どうもあの頃ほど面白さを感じられていないような気がする。それよりは、仕事の疲れを癒したいという思いの方が強くて、「疲れない範囲で」という制約が勝手にできてしまっている。あと、昔と比べると中途半端に視野が広がってきていることもあり、向こう見ずにガンガン追求するみたいなことができなくなってきているのかもしれない。
でも本当は、生活リズムが逆転するくらいの勢いでやれたらめちゃくちゃ楽しいのかもしれないし、正直それもよくわからない。自分のことがよく分からないくらいには、何か大事な感性が失われつつある。
こうやって文章を書いていると、ちょっとだけ気持ちが落ち着く。でも、自分は自分のことしか書けなくて、自分を離れたことを書こうとすると、一気に具体性が薄れて、何も書けなくなってしまう。悲しいくらいに自分にしか興味がなくて、自分本位な人間である。
安定した生活ができているのはありがたいと思う反面、「ありがたい」以外に何かがあるわけではない。むしろ、これから長く働き続ければ働き続けるほど、やりたくもないことへの責任がどんどん大きくなっていくことへの不安が増すばかりである。
そんな贅沢な悩みを抱えた甘ったれな人間が、どうすれば好きなこととかやりたいことをやって生きていけるのだろうか。
でも少なくとも、普段友人とやっている読書会とか、自助会とか、「自分の考えていること」がちょっとだけ活きるような場にいるときは幸せである。自分が頭を捻って考えたことが、誰かに認められたいという思いが強いのかもしれない。そんな時間で埋め尽くされた生活を送ってみたい…と頭の中で妄想することもあるが、結局今の安定を手放す勇気もなく、我ながら情けないなと思うばかりである。