なぜ、ポルノは作り続けられるし、見られ続けるのか?
「なぜ、ポルノは作り続けられるし、見られ続けるのか?」。
結論は「人間は恋愛すると知能が猿並みになる」という性質なのでは?というところです。
以下は、頭の整理です。
整理
「なぜ、ポルノは作り続けられるし、見られ続けるのか?」
というのが、ここ2-3ヶ月の謎でありました。個人的に。
と、言いますのも効率化や合理化とか言っている時代に、もはや作法や手順が極められたといっても良い、ポルノや性関連コンテンツが作られ続けることに疑問を持ったからです。
作られ続けるとは別に、レビューを読むと、どうやらそれらは見られているようなのです。行為を終えて、知の巨人となった巷間の方々のレビューは、映画や書籍のレビューよりも理知的に見えることもあります。
こうしたことが疑問の種でした。
ということで、そうした疑問を持ちながら2-3ヶ月過ごした私の答えは、「人間は恋愛すると知能が猿並みになる」ということでした。
性衝動が発生する際に、アダルトサイトを覗くと、どうしてもコンテンツを追っちゃうんだなと気づきました。
で、一般的に通用する言葉を当てはめて「知能が猿並み」という表現を採用した訳です。
なので、アダルトサイトを覗く程度に性衝動が発生した場合は、それを発散することに重きが置かれ、別段合理化などを考えないのでしょう。
食欲や睡眠欲も同じで、衝動が発生したらそればっかり考えてしまうのです。
そういった、頭では分かっていても、身体が合理化を求めていないということは実際は多くの事柄であるのだなと思います。