父と母と弟と私。#1
12年前、私たち家族に起こった出来事、その時の感情、それからお父さんのこと。全てnote書き残していこうと思います。
そのまんま書きます。
※具体的な場所や名称は、全て伏せてます。
最初から最後まで、気を長~~~~くして、読んでいただけたら、とてもとても嬉しいです。
これは、私たちが、父と母と弟と私が、生きてきた証です。
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理想の家族(BGMはSMAPの「ありがとう」でお願いします。)
父(会社経営)、母(専業主婦時々父のサポート)、3つ下の弟(当時中学生)、そして私(当時高校生)。
誰からも「理想の家族」と言われていた。理由は、ただ一つ。
とても仲が良かった。
そう思ってもらえること、そう言ってもらえることがすごく嬉しかった。家族が本当に大好きだった。もちろん今も。
自分のことを褒められたりすると謙遜していたけど、家族のことを褒められたときは一切謙遜しなかった。
本当に家族が好きだった。勿論、昔も今も同じ気持ちです。
このままずっと仲良く、平凡に暮らして、大学受験して、就職して働いて、ある程度良い年齢になれば私も弟もこんな家庭を持って、それからそれから....みたいな、誰もが一度は考える、普通そして理想の将来を、なんとなく想像して、いつも過ごしていた。
波乱の幕開け。人間の脳みそが限界を迎えた時とは?
2009年。私たち4人の幸せな「普通の日常」が思いもよらぬ形で、一旦遥か遠くに行ってしまうことになる。
こ、こんないきなり?!?!みたいな。
こういうのって前兆あるんちゃうの?!?!みたいな。
ヒット、ホームラン打たれまくって、もう30-0ぐらいになってて、もういっそのこと試合放棄した方がよくない!!??みたいな。
(みたいな、連呼で失礼いたします。これは昔から口癖らしいです。)
神様、ちょっと私たちに試練与え過ぎでは・・・?
何度思ったことか。
悔しい、悲しい、あらゆる感情をこの数ヶ月、数年ですべて経験した気がする。悔しい思いをする度に、みんなで支えあい、沢山の人に助けられ、何度転んでも上を向き、這いつくばってでも立ち上がって生きてきたんです。
今までのこと、そしてこれから起こる事をいつか必ず絶対どこかに残そ。
紙でもウェブでも何にでもいいから、絶対いつか書いてやる。
今までお世話になった方々、そして私たちを強くしてくれた外道非道な奴ら、私の人生に関わってくれたすべての人へ。
私たち家族4人が色んなことを乗り越えることを、絶対いつか発信しよう。
日々、そう思いながら過ごしていた。あれからもう何年経った?
あの日の、あの時の、自分へ。
今から、今日から、書いていきます。有限実行の女です。
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2009年4月。とある日の夜。
(確か22時頃やったかなぁ。)
母「お父さん、何時に帰ってくるんやろ。全然メールが返ってこんねん。」
私「ほんま?朝は普通やったけどなぁ。まぁ忙しいんやろう!」
母「うん。どうしたんやろうな?珍しいわ。気になる🤔」
そう思うのも無理はない。父は毎日、母へのメールを欠かさなかった。
今日は何時に帰る、忙しいから遅い、飲んで帰るなどの日々の連絡。
それがその日は一切なかったことを母から聞いた。まぁそんなときもあるって!と言い、母の心配な気持ちを一蹴りした。
今日のお父さん、どんなんやったっけな。朝の様子を思い出す。
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父と娘の贅沢モーニングタイム 〜ヒロTとワイスピを添えて〜
その日の朝、私は父と家を出た。
いや、正確に言うと、遅刻寸前のため、学校の近くの駅まで車で送ってもらった。
早起きせぇへんくせに、化粧と髪のセットだけはちゃんとする女子高生でした。週3くらいはこんな感じでした。本当にごめんなさい。あの時の自分に、500発ぐらい脳内でビンタしておきます。
お母さんはそんな私を見ながら「あんたほんまいつまでそんな事してんのよ!お父さんもちょっとは言うて~~~~」とかなんとかぶつくさ言いながら、毎朝お弁当を作ってくれていた。母の料理はとにかく美味しい。(和食と中華が美味しいよ!)
ちなみに弟は、この日、部活の朝練があったので、すでに学校へ行っていた。
お父さんは、もっともっと遅くに出勤できるのに、していいのに、私に合わせていつも7時半くらいには車を出してくれた。文句一つ言われたことなかったなぁ。
ほんでまた運転が上手いんよ。
法定速度ちゃーんと守ってスイスイスイーッとね。そりゃ朝から乗りたくもなるよね!
ちなみに私は父の運転を「ワイスピ」を呼んでいました。お察しください。
そして、毎朝FMをBGMに、ヒロT(関西で超有名なラジオDJさんです。)の声ほんまええ声やわ〜とか言いながら。父と色んな話をして駅まで。お洒落な洋楽とか聴きながら。最高に贅沢なモーニングタイムでした。
進学校に通っていた私は、遅刻厳禁!1度の遅刻は人生を狂わす!遅刻だけは絶対にするな!という鬼のような家訓を何とか守っていた。(いや、人として当然です。)
駅まで20分。自宅の最寄りではなく、学校の最寄り駅3つ手前ぐらいの駅までお父さんと。
その日も特に、いつもと変わらず。駅に着き、車のドアを開けながら、
私「今日早い?」
父「早いで!またメールするわ!」
私「はいよぉ!今日もありがとう!やっぱ行かんとこうかなぁ」
父「行きよ。笑」
私「はぁーい。じゃあね!」
いつもの普通の会話。車から強面おじさん(父)が、娘に手を振っている。私も手を振って、父(強面おじさん)の車を見送った。本日も、ワイスピタイム終わりーっと。
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朝のやり取りなぁ。うん。普通やった。特に何もなかった。楽しかった。
(いや、自分で起きろよ。何が贅沢なモーニングタイムやねん。自分に甘いだけやんか。それを美談にすな。って思いますよね?先程の分に追加して、追いビンタ200回しておきます。)
そして、この日の夜。母と弟と私。
お父さんからの連絡が一切ないまま、3人がそれぞれの部屋で寝静まった。
父の●●疑惑、そして深夜
深夜0時になっても、一切連絡がない。
お母さんに、大丈夫やろ!と言っていたものの、1番不安やったのは私やったんかもね。
寝る前に「おーい。大丈夫?」とメールをしていた。が、返信が一切ない。私はその時思ってしまった。
「こりゃ、やらかしとるな。(浮気)」と。
(完全にドラマの見過ぎです。この程度の予測しかできませんでした。笑)
あぁ。これは怒られるで。やっば。
今まで一切そんなことなかったのに、いきなり朝帰りか。しかも連絡も入れずにな。それはあかんよな。いくらお父さん大好きでも、そこだけは守れんわ。さぁどう挽回する?とりあえず帰ってきたら喝やわ。と、思っていた。
そして深夜0時半、モヤモヤしながらも、眠りについた。
家の電話が鳴る音で目が覚めた。
時計を見たら、深夜2時。こんな時間に誰や?と思い、お母さんの受け答えを聞いていた。
「…はい。はい。わかりました。はい。ありがとうございます。今すぐ行きます。」
い、今すぐ行くって?なんでこちらから迎えに行かんとあかんねん!警察に保護でもされてるんか?外で遊び散らかしてるくせに迎えにこいと?タクシーで帰ってこいよ!と思いながらも、ホッとした自分がいた。
あぁ、お父さん帰ってくるやん。よかった。
そう思ってお母さんが電話を切るタイミングにリビングへ向かった。
お母さんの顔を見た。明らかに、酔っぱらいを迎えに行く表情ではない。
なんか嫌な予感がする。
「今から病院行くわ。お父さん、会社で倒れてたんやと。でも、セコムの人が気付いて駆けつけてくれて、病院に運ばれたみたい。大阪の病院におるらしいねん、意識なくて今手術中やって。今からタクシー呼ぶね。あんたら、留守番できる?それか病院一緒に行く?」
へ???????
え???????
これは夢か?夢じゃないよなぁ?だって今さっき起きたもん!
ベロ酔いのお父さんを警察に迎えにいくことを想定していた私には、あまりにも衝撃が大き過ぎた。でも、答えは決まっていた。
「もちろん行くよ!」
そんなやり取りをお母さんとしていたら、弟も起きてきた。すぐに状況を察したみたいで、弟も勿論行く気満々。(ほんまによう出来た弟です。)
パジャマをあり得へんスピードで脱ぎ捨てて、着替えた。タクシーが来るまで、みんな無言で準備した。人って本気出したらあんな早着替えできるんやね。ちょっと感動した。
お母さんが呼んでくれたタクシーに、3人で乗り込んだ。多分2時半くらいだったと思う。タクシーの運ちゃんも、ただならぬ気配を感じたのか何も話さず、そして聞かずにいてくれた。あの時のタクのおっちゃん、本当にありがとうございました。
後ろの座席に母、私、弟の順番で座った。電話を受けてから、お母さんの顔を正面から見ることが出来なかったから、タクシーの中で横顔を見た。
すごい不安な顔をしてるんやろうな。いや、てか普通は泣くよな。それか下向いてる?
娘の予想、全部はずれ。
母はしっかり顔を上げて、前をまっすぐ向いていた。横目で確認するはずが、普通に見てしまったから、私の視線に気付いた母。
「どうしたん?眠たいなぁ。病院つくまで寝てていいからね。」
優しく、そして「私についてこい。心配すんな。」と言わんばかりの強い強い表情で、私に言った。
母は偉大。母は強し。
よく聞く言葉。その意味が、この時分かった気がする。お母さんってこんなに強かったんや。
ほんまは、泣きたいやろうに。でも子供2人連れてる手前、「私が泣いてたらあかん」と思う母の強い気持ちが、ひしひしと伝わってきた。
タクシーの窓から見える街灯のオレンジ色がずっと滲んでたけど、視界がゆっくり、ちゃんと鮮明になってきた。とにかく、涙をぐっとこらえた。
お母さんが泣いてないのに、私が泣いてられん。
あの時の深夜見た景色は、ずっと脳裏に焼き付いてるなぁ。隣にいるマルコメ君(当時野球部に所属していたため、坊主頭でした。)は、すやすや寝ていた。そりゃ眠いよなぁ。
「これから私たち、どうなるんやろう」という不安と「ベロ酔いで人に迷惑かけてへんかったんや!よかった!」という謎の安堵が一気に押し寄せてきて、よく分からない気持ちになった。
色々考えているうちに、気が付いたら寝ていた。人の脳みそってすごく都合よく作られていると思う。もう限界!って思ったらすぐ閉店ガラガラする。この時の私の脳みそは、もう完全に閉店ガラガラ状態やった。
もうこれ以上、情報処理出来ませんって!無理ですて!
ほんまにこんな感じ。閉店さしてあげよ。知らん間に寝ていた。
ふと目が覚めると、病院に着く手前。繁華街を通っていた。
すーごい華やかで、私たちの現状とは全くの別世界やった。
あまりにも明るくて、窓から入ってくるガヤガヤした景色とすごい配色の光が眩しく、また目を閉じた。
繁華街から、ものの数分で病院に着いた。お金を払って運転手さんにお礼を言って、3人で外へ出る。
母の背中
今までお父さんの背中をずっと見てきた。
最初の記事をご覧いただくとお分かりいただけると思いますが、お父さんへのリスペクトが異常です。が、が、もちろんお母さんのことも同様に、大好きですし、尊敬していました。
お父さん、お母さん、お互いにないものを補い合ってここまで来たのはよく知っている。バランスが絶妙に良かった。そして仲がとても良かった。
夫婦であり親友であり戦友であり恋人であり、みたいなほんまに理想の2人といえば父母やろう、って胸張って言えるくらい。最高の2人オブザイヤーを毎年あげたいくらい。
何とかなる!って楽観的で大胆、そしてちょい破天荒。どっちか言うたら「ボケ担当」のお父さん。
いやいや、行動前にまず確認。慎重で何事も丁寧かつ現実的で「ツッコミ担当」のお母さん。もう2人合わせたら怖いもんなしやった。
やのに、こんな緊急事態にお父さんがおらん。えらいこっちゃで。
いや、というかその緊急事態の発端はお父さんやしな。そらおらんわな。えらいこっちゃで。(2回目)
夜中やから警備員さんに名前を言ってから、病院に入る。少し待ってたら看護師さんが来てくれた。
お母さん、私、弟(タクシー乗車時同様、お決まりの順番)で歩く。1列で歩いた。夜の病院は静かで暗くて不気味で、怖かった。
非常口の緑の光がやけに明るく感じた。
来たことのない病院の中をひたすら歩く。こんな深夜に。
お母さんの後ろに、私と弟が続く。
いつも優しく、穏やかで、お父さんの隣でニコニコしていて「お父さん何言うてるん(笑)」っていうお母さんじゃない。
「心配せんでもええ。黙って私についてこんかい」な、お母さんに切り替わっていた。我が母ながら、かなり痺れた。
今までずっと見て追ってきたお父さんの背中は、とても広く大きい。
けど、この日は違う。
お母さんの背中が目の前にある。この日のお母さんの背中は誰よりも広く、大きく、そしてたくましかった。
この時にお母さんが腰抜かしていたら、家でわんわん泣いてたら、弱音を吐いていたら、どうなってたんやろ?と思うと、怖くなった。多分病院まで行けてない。
やはりお母さんは、凄い。
涙一粒流さず、不安な顔なんざ一切見せずに、ガンガン先陣を切って私たちを姉弟を引き連れて、堂々と一番前を歩いていた。
「お父さんが復活するまで、私らでお母さんをサポートしような」
私の後ろを歩くマルコメ君、いや弟に言った。
母に聞こえないように。弟は深く大きく、頷いた。
そしてこの時、私は思った。
もし今後、何があったとしても、お父さんが復活するまでは、私がお母さんと弟を守る。
2人を傷付けたり、嫌な思いをさせる人が現れようもんなら、どんなやつでも叩きのめそう。
そして、自分が家族を守っていこう(お父さんが帰ってくるまでの期間限定で。)
ブルブル震えながらも、この決意はかたかった。
だけど、この時の決意は誰にも言わなかった。わざわざ口に出して言うことじゃないと思った。
お喋り大好き人間のド関西人やけど、これは誰にも言わんと、自分の中にしまっておきたかった。
だから、自分と約束した。そして、まだどんな状況かも分からないお父さんとも、心の中で約束をした。
看護師さんとお母さんについていく。エレベーターに乗った。
意識がなくても、お父さんはお父さんや。今から会えると思うと、少し嬉しかった。
エレベーターの扉が開いた!もう少し歩いたら!ここから出たら!!
マルコメ君と顔を見合わせた。姉弟、顔はあんまり似てないけど、この時は多分全く同じ顔やったやろうな、ってくらい同じ表情をしていたと思う。
無事(じゃないけど命があるだけで「無事」)であったことは嬉しいけど、真実を知るのが怖い。不安。みたいな、そんな感じのよくわからない感情を抱いていた。それがおもむろに、表情に出てたと思う。
さぁ、やっとお父さんに会える。どんな状態なんやろう。
ワクワクドキドキしている私たちが案内されたのは、お父さんがいるであろうと想定していた病室ではなく、手術室の前にある、薄暗い待合室だった。