傾聴するなら、話し手の方に「安心して」欲しい…。だけど…
話し手の方に「安心して」いただきたいのは傾聴者を志す方なら、きっと多くの方が共有ゾーンだろうと、私は推察しているところです。
そこで傾聴の3つの基本態度条件の中でも、もっとも大事とされる概念として『自己一致』があるのは、傾聴を志して少しでも学ばれたことがおありでしたら、ご存知の方も多いかと思います。
そのような「自己一致」について、ご自身と照らし合わせて考えてみるのは、とても大事ですね。
大事なのですが、考えてみるときに私自身も含めて、そもそも「自己一致」という概念を、ちゃんと分かっているかどうか?、「自己一致」という単語を表面上の印象だけで捉えてしまっていないか、と、いつも気になります。
ここではあくまで、痛切なズシーンとした自己否定感を奥に内在しながらも、それでも巡り巡って、とんでもない勇気を持って来ていただける方々に向けた傾聴、そこにおける「自己一致」に思いを馳せて記してみます。
難しいような話・曖昧な話もあるかもしれませんが、難しい話を難しい話として、曖昧な話を曖昧な話として、そのままを受け止めて理解していこうとするのが傾聴です。
または傾聴に対する自発的な学習を様々、重ねてこられてから、この記事に戻ってお読みいただけると、しっくり来るところが増えるかもしれません。
また大前提として、傾聴の3つの基本態度条件とはやり方(Doing)ではなく、在り方(Being)からの流れによるプロセスです。分かりにくいですが、何度も噛み締めるのが大事だと思います。
そうなっている(例えば、共感している)状態というのも、そのプロセスの結果に過ぎないため、「共感は"状態"ではなく"プロセス"である」と、晩年のカール・ロジャーズによって述べられています。
この視点から考えれば、仮に「安心してください」という言葉を使わずに「安心していただきたい思い」を叶えたいとしたら、それこそ基本態度、つまり、態度から感じられるものに他ならないのではないでしょうか。
そして、それを具体化していく最たるものの1つが、「傾聴」ではないだろうか、と、私は実感しています。