愛のかたちはいくつかあって

すべてが恋に結びつけられてしまう世界が嫌いだ。たしかにそこに恋はきっと存在するのだろうけれど、全部が全部恋なんかなわけないだろう。
恋という言葉で誤魔化して、挫折して、あるいは成就するその感情は、もっと深い愛と紐づいているんじゃないか?

愛、というのは恋にも友情にも繋がっていると思う。けれど好意とも少し違う。嫌いなところがいくつもあって、それでも憎めないもの、それがきっと愛だ。

愛していると言うことは簡単で、そしてそれは愛を示すひとつの方法だ。けれどきっと愛というのはもう少し日常の些細な隙間に隠れていて、たとえば、この人と食べるご飯はおいしいだとか、相手にきちんと睡眠を取っていてほしいだとか、会いたかったり話したかったりするだとか、そういうことだと思う。

人はみな同性愛者で異性愛者だ、誰かを愛したことがあるものはみな。恋愛感情を抱く相手が性別で分かれていたとしても、それでも、わたしたちはたくさんの人を愛することができる。様々なかたちで。

わたしはたくさんの人を愛していきたい。会いたいし、話したいし、一緒にご飯を食べたい。いい夢を見て寝ているといいなと思う。そういう愛でわたしの世界を満たしたい。
愛されたい。愛されたいから、人一倍愛したい。いろんなかたちでもって受けた愛を、少しずつ返していきたい。
きっとそれは様々なかたちゆえに貴方には愛だと受け取ってもらえないかもしれないけれど、それでも、わたしなりにこの世界を目いっぱい愛したいと思う。

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