七味
2024年に読み終わった本の感想をまとめる
七味が高3の3月からふらっと書き始めた日記をまとめてます
大学生になったら何か新しいことをしようと思っていた。なんなら運動系にしようかな、なんて思ってもいた。そのはずが、気がついたら何かに導かれるようにしてクイズサークルに入っていた。人生何が起こるかわからんなあと感じている。 これは、昨日の新歓大会の興奮が冷めないので、どうにかしてこの気持ちを言語化して残しておけないかと書き始めたものである。話があちこちにとんだり、文体が変わったり、あとはいつも通り誤字脱字等があったり、読みづらいものになる予感しかない。あまり気にかけず、構成
太陽には太陽の、星には星の時間と場所がある。 夜の太陽は、星が輝くためにじっとしている。誰にも見られない場所で、そっと息をひそめながら、自分の時間がくるのを待っている。 昼の星は、太陽が輝いているために見られることがない。それにほっとしている者、悔しがっている者、様々きっといる。それでも、自分たちの時間がくると信じてじっと待っている。それは希望か絶望かはわからないけれど。 もし夜に太陽がいたら、そこは太陽の場所になってしまう。それはきっと太陽も星も望んでいない。 太陽
最近また階段を登るようになった愛犬が、わたしの部屋の前で扉をかりかりとしている。うれしい気持ちが半分、まだ寝かせてほしい気持ちが半分。 愛犬の朝は早い。ねぼすけなわたしには敵わないくらい早い。だって6時とかにはもう元気に家中をうろうろしている。そんな時間におへやに来てもお姉ちゃんが起きるのは10時だよー。ウソ今日は12時だった。 朝の散歩から帰ってきた愛犬がわたしの布団で丸まっている。一緒に寝ようね。あったかい。体がというより心があったかい。愛しい存在が近くにいるっていいね
何かを書きたい気がして、けれど、言葉未満の感情ばかりが通り過ぎていく 幸せにしんみりとした真夜中は、眠りにつくにはまだ早い
髪を切った。 電車を待っている。今だったら一番綺麗な状態で終わらせられるなと思って、向かってくる電車に吸い込まれそうになる。怖かった。 いつだかふらっと姿を消したはずの死神はまだわたしの中に尻尾を残しており、そのときが来るのをじっと待っている。 今のわたしには思考力が戻っていて、といっても完全に元通りというわけではないけれども、でも自分で考えられるくらいにはなって、この死神の欠片を怖いと感じている。怖がっているうちは死神だって手を出せない。いやまあ、わたしがおばあちゃんに
自分の中にある恋が邪魔で仕方がない。なんてわがままな感情なんだろうと思ってしまう。たまたま相手とのタイミングやモードが合わないときに、こんなに悲しくつらくなってしまうことが苦しい。わたしは一体相手に何を求めているんだ。相手に何かを求めることは傲慢なんじゃないのか。 恋は、愛とはまた違う。愛よりもっと自分本位な感情だ、という気がする。誰かを愛していて苦しいときは、相手が苦しんでいるときだけれど、恋をしていて苦しいのは自分の想いが届かないときだ。そういう自分勝手さが恋にはあると
いちばんつらいのは、嫌いになったときじゃなくて、好きなのに(好きだから)うまくいかないときなんじゃないかな
すべてが恋に結びつけられてしまう世界が嫌いだ。たしかにそこに恋はきっと存在するのだろうけれど、全部が全部恋なんかなわけないだろう。 恋という言葉で誤魔化して、挫折して、あるいは成就するその感情は、もっと深い愛と紐づいているんじゃないか? 愛、というのは恋にも友情にも繋がっていると思う。けれど好意とも少し違う。嫌いなところがいくつもあって、それでも憎めないもの、それがきっと愛だ。 愛していると言うことは簡単で、そしてそれは愛を示すひとつの方法だ。けれどきっと愛というのはもう
気力がなかったらまったく目を通さなくてよいのだけれど、二度と会えなくなってしまったら悲しいので書きます。 生きるって小さな「頑張る」を少しずつ積み重ねる状態だと思っていて、必要最低限の「頑張る」で力尽きてしまうようなこともあるのだと思います。 時間が誰にでも平等に過ぎていく中、置いていかれているような怖さを感じることもあるかもしれません。でも、それでも、無理せず待っていてほしいと思います。元の通りに、とはいかなくても、社会が求めている(ように感じられる)時間の流れに乗れる
雨は嫌いだ。 自分の意思と関係なく濡れるから。 靴の中で水を吸った靴下がべしゃりとするあの感覚は、何度経験したって嫌いだ。心までべしゃりと潰れてしまう。 雨は嫌いだ。 けれど、雨がもたらす世界は好きだ。 かわいい傘に守られたわたしだけの空間で、自然が奏でる不規則ながら心地の良い旋律を、ただひっそりと聞く。 湿った足音と、地面にあたる雨音。綺麗だなと思う。 雨の世界を歩きながら、ふとそんなことを思う。
世界は、人は、思っているよりわたしに優しいということを分かっていてなお大学に通うのが怖い。 失望が怖い。他人からのも、自分のも。 怖いから逃げている。逃げ続けていたら怖さが増幅してしまった。わかっている、そろそろ立ち向かわねばならぬということを。そして、その力がいまのわたしには備わっているだろうことも。時は満ちた。必要なのは一歩目を踏み出す勇気。 どこかの誰かがこうだから大丈夫、というのは全く以て的外れで、わたしが疲弊しているのは、高すぎる自分自身の理想と、それにそぐわ
3日ほど会津若松へ旅行していた。とっても楽しかったので忘れないうちに記録しておこうと思う。 1日目 東京駅での合流がちょっと難しかった。でも無事に会えて、お弁当買って新幹線に乗った。新幹線に乗るのは1年半ぶりくらいで、こんなにぬるっと動くんだなーって不思議な気持ちだった。 郡山から会津若松までの電車が2両編成でびっくりした。東京の電車ってほんとに長いんだな。「短い8両編成」ってめちゃくちゃギャグだね。 出発したのが遅めだったので会津若松についたのが15時30分くらいだった
雨が降っている。傘はない。大雨。めんどくさいので突っ立ってびしょ濡れ。 知人が近くを通る。驚いた顔。その傘をこちらへ近づける。貴方が濡れちゃうでしょ。わたしに構うなんて馬鹿だ。まっずぐ帰りなよ。大丈夫だから。知人はしぶしぶ去っていく。 雨が強くなる。相変わらず傘はない。ここから動けなくてぐしょ濡れ。どうしたらいいのか分からずただ濡れている。 突然腕を引っ張られていっしょに走る。よく見えないけれどこの手の感触はきっとそうだ。安心と戸惑い。 目の前に家。手を引く主のもの。ドアを
恋人と交際関係を結んでから気がつけば1年が経っていたらしい。あっという間だったようで振り返れば長く、いろんなことがあったなと思う。 今日は、こんなわたしに1年付き合ってくれている恋人への感謝を主に綴ろうと思う。 このnoteでもたびたび書いているように、わたしは精神が不安定な時期を過ごしている。今は比較的落ち着いてきてはいるものの、付き合って半年ほどの頃は心の状態がとんでもなくぐらついていた。突発的に泣いてしまい、そのまま恋人に電話をかける日が、そう少なくはなかった。急に電
合宿に行っていました。本当は毎日記録しておくべきだったと思うほどに、既に溢れた記憶が多いけれど、まだ残っているものを少しでも長く残しておくためにここに書き記しておこうと思います。 1日目 バスで隣になった1年生と軽く話し、そのあとは車窓を眺めていた。最初は本読んだりしてたけどなんか違うなってなってた。サービスエリアを過ぎたあたりから高速を降りるまでずっと虫さんが窓にはっついていて面白かった。 クイズをした。たしか3セットやって、5抜け→3抜け→5抜け相当タイだった気がする。
めっっっっっっっちゃ楽しかったです。 印象に残ったとセリフとかそこから考えたこととかを書きたいのでネタバレがあります。大丈夫な人だけ続きを読んでください。 いろいろと思うところがあったので感想をしたためている。まずは、今日観に来られてよかったなという思いが強いです。チケット販売開始してすぐは見送ろうかななどと思っていたんですが、何かこう気になって行ってみたらいい体験をしたなーと思っています。 階段をテーマにしている演劇で、会場が階段の下にあるのが本当によいなと思いました