自分という生き物

冬休みに入り空白の時間が増えたことで、その隙間を思考が埋めるようになった。最近私は、自分という生き物について考えている。私とは一体何なのだろうか。

手始めにプロフィールを考えてみた。名前、出身地、性別、年齢などといったもので自分を説明しようと試みたのだ。しかしこうしてできた説明には違和感があった。なぜなら、これらの情報で定義できるのは私の属性であって私の本質ではないからだ。

ではどうしたらいいのだろう。

次に考えたのは自分の趣味嗜好についてだった。読書と執筆が好きで、よくクイズをして、甘い物には目がないけれど反対に辛いものは苦手で(七味を名乗っているにも関わらず)、犬派で、コーヒーよりは紅茶が好きで、インドア派、といった具合に並べてみた。

先ほどよりもずっと、自分というものについての説明ができている気がする。だがまだ足りない。それなのに情報量は多い。何とも不安定である。

そしてまた考えた。何を考えたらいいのかを考えた。そしてそうやって思い出しては考える生活を2、3日続けて私は気がつく。

私は私である、と。

これ以上どうにも言いようがない。だって私という生き物が私であることこそが、ただ一つ事実としてそこに転がっていて、そして、それ以上でも以下でもないのだから。

こうして私の思考には結論が出た。だがしかし、これらはすべて今までの私が経験したことから導き出した答えにすぎない。時間が経てばまるっきり反対のことを主張するかもしれない。

これは私という人物が、未来の私のために遺しておく一つの記録である。

2022年、私はどう変化していくのだろうか。楽しみで仕方がない。

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