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4年前うつ状態になって、退職を決意するまでの僕なりのロジックを個人事業主になった今整理してみました。

超重いタイトル。
この重すぎる内容にどうしてわざわざ触れようと思ったのか。
それは、あるできごとがきっかけでした。

高校卒業以来、ほとんど連絡を取っていなかった同級生から突然、連絡がきました。
現在、僕はPLYLIST(プライリスト)という屋号で
個人事業主として家具を作ったり、革小物を作ったりしているわけですが、
サラリーマンをやめてから個人事業主になるに至った経緯や
退職するにあたって、どういうロジックで決心したのかみたいな
そんなようなことを聞きたかったらしいんです。
どうやら同級生もいろいろと悩んでいるようでした。
ということで、Zoomでお話しましょうということになりました。

私はこのご時世にもかかわらず、
Zoomというものを使ったことがありませんでした。
このままでは時代に乗り遅れる!という危機感もあり、
なんとか30分でインストールし、アカウントを作り、支度を整えて、いざオンラインで会話をすることになりました。
(しかし、結局私のカメラがうまく作動せず、音声通話のみになりましたが笑)

久しぶりの会話ということもあり、
20時30分にスタートして、気づけば朝の4時にお開きになりました。
こんなに夜更かししたのは学生以来だったと思う。

寝不足の状態で次の日朝9時くらいに起きていそいそと仕事に取り掛かったのですが、
この時にふと思ったんです。

「もしかして、ほかの同級生にも悩んでいる人いるんじゃないか?」

ということで、
この記事は、僕の親愛なる同級生に向けた記事になります。
お悩み相談とかそういうのではありません。
あくまで、「僕」が人生のターニングポイントにおいて
考えたことや経験したことをまとめた記事です。
そういう自分語りの記事になります。
多分こういうやつ、嫌いな人は嫌いだと思います。

でも、同級生に限らず、
会社という組織で働くことに疲れてしまった人や
鬱っぽくなってしまった人。
この先、仕事どうしようかと悩んでいる人。
そんな人が多いのは事実だと思います。
実際、僕は会社を辞めた当初、
「今後の人生どうするか」
岐路に立ったときの選択の基準を知りたかった。
どういうロジックで人生の舵をきるのか。
だから、僕はいろんな人のところに行って、
話を聞きに行ったりもしました。

でも、これから話す僕の話は極端な考え方に基づいているので、
共感できる部分は少ないかもしれません。
まあそんな人間もいるんだなーくらいに思ってもらえたらいいです。

あと、はっきり言って、この記事に言葉の重みはないです。
テキトーな独り言なので、自分の言葉に責任も取れません。
僕はそんなテキトーなやつです。
それでも気になる人は読んでください。

ということで
前置きで1000文字近くいってしまったので、
そろそろ本題にいこうと思います。

うつ状態になって会社を休職してから、退職を決意するまで

僕の同級生ではないかたは、もしかしたら僕のプロフィールの記事を読んでからのほうがこの記事の予備知識になるかもしれません。
何もかも包み隠さず洗いざらい書いてあります。

うつになったといっても、うつ病まではいってないです。
うつ状態ってやつですね。
多分原因は、会社の人間関係とか、そもそも会社の風土に合わなかったからだと思います。
あと、常に空回りしてる感が半端なかったです。
自分のポテンシャルをまったく発揮できなかったです。

うつ状態だというのが発覚したのは、
交通事故がきっかけです。
就職してからというもの、
夜は眠れなくなり、常に寝不足の状態になりました。
日中眠いのに、夜は眠れない。
気づいたら毎朝車での通勤中に、居眠り運転するようになってました。
そして当然、交通事故を起こしました。

さすがにこれはまずいと思い、
病院に行って不眠症の原因を調べてもらうことにしました。
その結果、どうやらうつ状態だぞということになったのです。

ということで、診断書をもらい、会社をしばらく休職することにしました。
正直、このときめちゃくちゃホッとしました。
もうあの職場で働かなくていいんだという大義名分ができたからです。

ということで、しばらくの間、投薬治療を受けてうつを治そうと心に決めました。
この時、
とにかく1日中眠い。
ベッドから起き上がるのも辛い。
トイレに頑張って起きる。
みたいな状態でした。

ですが、休職開始から1ヶ月もすると、
日中の眠気やダルさ、常に疲れている感じは少しマイルドになった気がしてきました。

そして少しずつ今後の人生について考えるようになりました。
あくまで少しずつですが。

休職期間中に感じたことを簡単にまとめると。

薬はどうやら効いていそうだ
職場環境から離れることで症状が緩和した
薬代がバカにならない
薬が切れてしまったら。。。という恐怖感がある
薬と付き合いながら働くという選択肢はかなりQOLが下がりそうだ
薬に頼らない生活に戻りたい

こんな感じですね。
病院は会社の人に見つかったりするのが嫌だったので、
違う地域の病院まで通ってました。(片道1時間くらいかかる)
で、薬代も安くはないし、
薬が効きづらくなっていったら、投薬量を増やさないといけません。
そうなったら薬代は高くなっていく一方です。
病院には定期的に通わないといけないので、
地味に往復2時間の通院というのは大変なんです。
しかも、居眠り運転常習犯の私にはかなり深刻な問題なんですよ。
その当時、僕は車の運転を控えるようにしていたので、
いつも奥さんに送ってもらっていました。
奥さんの負担が大きいんです。

で、知り合いの薬剤師さんに
自分の症状や使っている薬について相談してみたんです。
その薬剤師さんの経験では
抗うつ剤を処方されいている人で、
薬の使用量が減っていく(症状が回復傾向になる)という人は少ない
ということを知りました。
さらに、会社勤めを普通にしていて抗うつ剤を使っている人は
症状が改善していくという人は
見たことがない
と言っていました。
基本的に症状は悪化し、
薬の量は増えていくのが典型的なパターンのようです。
この辺は、あくまでその薬剤師さんの経験の範囲内の話なので、
統計的なデータではどうなっているかわかりません。

なので、今後の人生を決める上で今取り組むべき重要なポイントは
薬に頼らない生活ができるまで回復するということ
そのために、会社は辞めてしまったほうが良さそうだということ
この2つだなと思いました。

もちろん、会社の部署を異動して働き続けるという選択肢もありました。
人事の人からもその選択肢も提案されました。
ですが、
正直、人事の人とのやり取りをするために、会社に行くというのも
かなりハードルが高かったです。
会社が近くなると、心拍数が上がって気分が悪くなりました。
部署の問題ではなく、会社の敷地に近づくだけで、です。
(ちなみに、今現在でもこれは変わってないです。
もうやめたはずの会社なのに心拍数が上がって、息苦しくなります。
すごい不快感があります。
なので、なるべく会社の近くを通らないようにしてます。)

ということで、部署を異動しても症状は治らなそうだと思ったので辞めることにしました。

ということで、半年の休職期間の後に退職しました。

うつ状態になって学んだ大事なことは、
病気に関しては、早期発見、早期治療が最重要ってことです。
ずるずると引きずるよりも思い切って治療に振り切ったほうがちゃんと治りそうだった。
僕が退職を決意したロジックの中核です。

会社をやめたくてもやめれない理由はたくさんある


しかしながら会社を辞めるなんて簡単に言うけど、
現実問題、なかなか簡単にできるもんじゃない。
おそらく、こういう風に考える人もいると思います。

会社を辞めてしまうということは、安定を捨てるということだ
うつで退職して、その後、再就職できるのか不安
再就職したとしても、うつが再発しないか不安
結局、嫌なことから逃げているだけでまるで子供のようだ


これはめちゃくちゃわかります。
僕も最後の最後までこの辺の部分で悩んでいました。
なので、僕がどういう理屈でこの辺の意見に対して、自分を説得したのか
これからめっちゃ長文になりますが説明しようと思います。

まず、「会社に居続けるということはそれはそれでリスクが0ではない」

ということです。
その会社がいつまでも安定した経営をしていくかというとそれは疑問です。
まさにこのコロナ禍の状況が、良い例だと思います。
老舗と言われた会社が倒産ということも普通に起こるわけです。

そしてもう一つのリスクは、あなた自身の人間的な成長についてです。
あなたがその会社で身につけることができるスキルや人間的にどのように成長できるかということを考えたときに、
あなたがこれからの人生で得られるものは

今勤めているその1社でほぼ全て完結してしまう

というのはとてもつまらない気がしませんか?
これはこれでリスクな気がします。
一人の人間として、かなり偏った人間になってしまうというリスクが僕はあるように思います。

だから、僕は一つの会社にこだわらないことにしました。
会社というのは、数多ある社会の中のほんの小さな小さな社会にの一つ過ぎません。
小さな社会それぞれ、変なルールや習慣だってあります。
その小さな社会では常識でも、
一歩外に出たら、常識ではなくなります。
そこでうまくいかなかったからと言って、
他の社会でうまくいかないかというと、そうではないと思います。
絶対に。

あと、安定にしがみついてまで、健康を損ねてしまうというのは、
本末転倒
だと考えました。
だから、僕は一つの会社にこだわるのはリスクだと考えるようになりました。

次に、「退職したとして、再就職できるのか」
という不安。
僕個人のフワッフワな感覚ですが、
再就職はできると思います。
ただし、前職(or現職)のような給料や待遇は望めないかもしれません。
特に、高学歴の人で病気になってしまい、地方の地元に戻って療養してから
地元で再就職というケースでは、高確率で収入は低くなる気がします。
いわゆるワーキングプアみたいなケースも出てくると思います。
僕の場合はこれに近かったです。
僕は無駄に高学歴なので、地方の田舎には学歴に見合う就職先はありませんでした。
あと、大学での研究分野と前職の分野は、僕の住む地方の田舎には就職口がそもそもほとんどなかったです。
ですが、そのへんや給料を考慮しなければ求人はいくらでもありました。
結局僕は就職しませんでしたが。

なので、自分の価値観で重要な要素は何なのか。
人生において何を一番大事に考えているのか。
これを考える必要があると思います。
安定した収入が一番大切であれば、間違いなく公務員・会社員がいいと思います
さらに収入は多い方がよければ都市部の方が尚更いいと思います。

ですが、収入よりも他に大事なものがあるのならば、その職業が本当に自分に合っているのか、自分を問いただす必要があると思います。
場合によってはアルバイトなんかも候補になり得ると思います。

就職活動をするのであれば、
ちゃんとした理論立てて面接で説明できれば問題ないんじゃないかと思います。
実は僕、独立前に一度就職面接を受けました。
しかも公務員。笑

履歴書の空白期間があったとしても、
それは治療に専念するために必要だったということ、
今は完治して仕事ができる状態であるということ(医師の証明付きで)
療養期間中に自分がどれだけのことを学び、どのような人間的な成長ができたかなど
自分が就職したら仕事にその成長がいかせられる
まで説明できれば別に問題はないかと思います。
実際僕も最終面接までいけましたし。

おそらく、最近の人事の人は「うつ」というものが、
身近な病気であるという事実は把握しているんじゃないかと思います。
確か、統計的には人口の10%くらいはうつだったような気がします。
確かWHOでそんなデータを見た気がします。
間違ってたらごめんなさい。
もう論文とか書くような人種ではなくなったので、
テキトーです。
気になった人はご自身で正しいデータを調べてください。

僕のあやふやな情報が正しければ、
あなたの周りの人の10人に1人はうつの人がいてもおかしくないんです。
全然珍しい病気ではないのです。
おそらく知らないだけで、存在しているんです。
普通に考えて、うつになった人やその家族の人は世間の人にその事実を言いません。

そんなこともあり、
僕以外の友人にも悩んでいる人がいるかもしれないと思ったので、
この長い長い記事を書こうと思いました。

ただし、僕は結局採用にはなっていません。
しかも個人事業主やってるようなやつです。

あんまり真面目にこの記事を読んではいけません。

では、3つ目の
「再就職できたとして、再発しないか心配」
という不安。
これは、就職してみないことにはわからないと思います。
それでも、再発のリスクを下げるために、
きちんと「自分は病気を患って退職した」という事実を
ちゃんと話して、
両者納得した上で採用してもらうというのが
結構重要なんじゃないかなと思います。
事実は事実ですからね。
この病気について、会社の人に認知してもらうというのも
入社後の仕事のしやすさや、お互いのモヤモヤ回避のためにも重要なポイントだと思います。
おそらく、病気になった人であれば、
何かしらのハンデみたいなのを負っている人も多い気がします。
普通の人ならできることができないみたいな。
そういう場面に会社の人と遭遇した時に、
理由を説明できるかできないか。
この辺も結構重要なんじゃないでしょうか。
ということで、
僕は洗いざらい話した上で再就職した方が、
もしかしたらですが、病気が再発しないようにある程度配慮してもらえるんじゃないかなと思います。
しかし、会社によってもですし、人によってもこの辺の対応はどうなるかわかりません。
再就職によって、病気が再発しないとは言い切れません。
ただ、再発リスクを下げる手段は少なからずあると思います。

ここまで書いておきながらで申し訳ないのですが、
重要なので繰り返させてもらいます。
僕は結局、再就職せず
個人事業主をやっているので、まあ重みのない言葉です。
机上の空論というやつです。
参考にしない方がいいでしょう。

僕はこの再発リスクを考えたときに、
個人事業主のほうがリスクを下げられそうだと思ったので
個人事業主をやっているという側面も少なからずあります。

あと、もう一つ。
僕が退職を決意する最後まで悩まされた言葉。
僕が周りの複数の人から頻繁に言われた言葉。

「会社を辞めるのは結局逃げるのと一緒だ。
今の状況を解決しなければ、次の職場でも同じような状況になるぞ。
逃げないで自分で解決しないと、成長しないし、結局逃げ続けることになるぞ。」

まあこんなニュアンスの言葉です。
一見、これはとても正しそうに思える言葉ですが、
よくよく考えてみたら、この言葉をかけてくださった人たちは
会社に残り続けている人たちだったんです。
転職した経験がない人たちだったんです。
転職したことがない人にこんなこと言われても、言葉の重みがないわけです。
まあ、僕が言葉の重みとか言うなっていう感じですが。

そして、長年会社を経営をされている人から最近聞いたお言葉は
「仕事できない人が定年まで会社に残る」
「有能な社員ほど転職するなり会社を自分でおこす」
ということでした。
あくまで、その方の経験ではということですが。

あと、僕個人の経験ですが、
環境を変えれば、自分のパフォーマンスは変わる
というのを何回も経験しました。
そして、環境が変われば悩みも変わるということを何回も経験しました。

一つ目は学生時代のスポーツの経験です。
同じスポーツをしていても、所属するチームによって自分のパフォーマンスはかなり変わりました。
僕は小学校、中学校では地域の最弱バスケットボールチームに所属していましたが、
長野の南信地域の選抜メンバーの候補に選ばれました。
しかし、選抜候補生が集まるチーム内では、自分は思うようなパフォーマンスをすることができませんでした。
まあ、寄せ集めのチームなので練習不足だしチームワークとかも出来上がっていないので当然なのですが。
それにしても、この時の自分のパフォーマンスはほんと最悪で、
練習に行くのが本当に嫌でしょうがなかったです。
案の定、選抜選手には選ばれなかったんですが、正直ホッとしたのを覚えています。
後日、選抜チームのコーチが弱小チームで動く僕をみて、
「彼、あの時と動きが全然違うんだけど、どうしたの?!」
とコーチ同士で話していたのを今でも覚えています。
弱小チームの方が僕にはしっくりきてのびのびとプレイできました。
チーム内で考える悩みも全然内容が違いました。

次に高校生の時は、
僕は複数のバンドでいろんな楽器を担当していたんですが、
やっぱりバンドによって自分のパフォーマンスが変わるの実感するんですよね。
なんか微妙に呼吸がずれるバンドもあれば、のびのびできるバンドもあるみたいな。

そして、大学時代は少人数のサークルに所属していた時です。
これは同じ団体に2年所属していたんですが、メンバーが変わったことで、
中身が大きく変わりました。
創立メンバーがいた時代と創立メンバーがいなくなった時代。
団体の名前は一緒でも、中身が全く変わってしまった。
この時にも自分のパフォーマンスがなんか変わったのを感じました。
一番変わったのは、メンバーのモチベーションがかなり下がり、
活動内容よりも、メンバー間の人間関係や組織としてどうあるべきかみたいなことを
考え直す必要が出てきました。

あと、大学時代の大きな環境の変化といえば、
僕は大学で飛び級したんです。
なので、2つの学年に所属したことがあるんです。
同級生が2つの学年でいるんです。
周りの友達からしたら、3回生まで同級生だった奴が、突然1つ上の学年に行ってしまったみたいな。
でも、正直な話、僕からしたら、感覚的には同級生が誰もいなくなったみたいな感じですね。。
大学院に進学したら、同じ授業をとっているのは1つ上の先輩たちなんですよ。
僕にとってその人たちは立場上、新同級生なんですが、でも僕の心の中ではいつまでも先輩なわけなんです。
だから、僕は大学院に行ってからというもの、
周りの新同級生には敬語しか使わなくなりました。
元同級生たちと後輩はもちろんタメ口なんですけど。
でも、感覚的には学年のはざまにいるような感覚で。
こんな不思議な環境にいると、
やっぱり僕は周りのみんなとは違うという感覚が強くあったので、
周りと足並みをそろえるとかそういうことはあまり意識しなくなりました。
かえって僕はのびのびとできました。
4回生並みのパフォーマンスという無意識のリミッターを外して
大学院1年生並みのパフォーマンスかそれ以上を意識するみたいな。
学部生時代よりもプレッシャーはありましたけど、
いろんなことに挑戦したり、成長できたという実感があります。
ただ、以前に増して、人付き合いというのが苦手になったという感覚もあります。
新同級生は元先輩。
一挙手一投足気をつけなければ、トラブルの元になりかねません。
あいつ調子乗ってんぞみたいに思われては、たまったもんではありません。
実は、中学の時にはそういうトラブルに巻き込まれて部活をやめた経験もあったので、
慎重になりすぎ、目上の人との対人関係にかなり緊張するようになってしまいました。

ここまで話しておいてなんですが、
正直、僕の経験を話しても、読んでいる人にはあまりピンとこないのではないかという気がしてきました。
なので僕の学生時代の話はここまでにします。

僕がこのクソ長い記事で言いたかったこと


とにかく、
環境が変われば、周りは変わるし、自分も変わるんです。
もしかしたら、周りは自分の味方ばかりになる可能性だってあるわけです。
そしたら最高のパフォーマンスだってできます。
ちなみに今、僕は周りに味方ばっかりいると思っています。
だから毎日が本当に楽しく、幸せです。
毎日が学園祭の準備期間みたいな感じです。
ただ、お金はない。
間違いなく社会の貧困層にいます。

あとは、
僕が尊敬する樋口聖典さんのポッドキャスト
「樋口聖典の世界」
において、9月11日「好きな自分に会いたい」の回で、
いかにして自分を嫌いにならないようにするか
自分を好きでいられる環境にするには
みたいなことを話されています。

「ストレスなく活動することができる状態が才能がある状態」
「好きな自分でいられる環境に持っていければ自分のことを嫌いになることはない」
「忍耐力があると、嫌なことから逃げれないというデメリットがある」

樋口さんの携わっているポッドキャスト(コテンラジオ、新型オトナウイルス、等)全部面白いので、
ぜひ聞くことをお勧めします。

[2020年11月6日追記]
※コテンラジオ番外編「メンタルケア、どうしてる?」
にてめちゃめちゃいい話をパーソナリティの方々がされています。
これもぜひ聞いていただきたいです。※


ここまで読んでくださった方は、
とにかくこの無駄に長ったらしい文章に読み疲れてしまったことと思います。

なので僕が言いたかったことを
超ざっくり
誰にでもわかるようにまとめようと思います。

「ハイキュー」で雑に例えるなら、

影山は中学時代、チームに嫌われてたけど、
烏野高校に入ったら日向に出会って成長できたみたいな。


そんなことだって現実でありえるわけです。
この2行で伝えれることを
僕はこの8000文字を超える記事で伝えたかったのです。


ハイキュー知らない人はごめんなさい。
詰まるところ、
会社を辞めることは確かにリスクもあるけど、あまりネガティブに考えすぎるのはよくないんじゃないかと
いうことです。

僕はそう思います。

この記事は長くなりすぎてしまったので、
また別の記事で
会社を退職した後の話をまとめようかと思います。
ニート期間中に何をしていたのか。
個人事業主という選択肢が浮上するきっかけ。
薬を飲まなくなるまで回復したけど何をしていたのかとか。
家具制作の学校になぜ行ったのかとか。

*2020年12月6日追記*
会社を退職した後のニート期間中に何をしていたのか
記事にしました。


もしここまで読んでくださった方で、
僕に興味を持ってくださった方や、僕の仕事に興味を持ってくださった方
いらっしゃいましたら
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InstagramやTwitterでは日々の制作風景を中心に投稿しています。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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PLYLIST 小尾口達貴
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