時間がないというキーワードについて考えてみました。
時間がないというキーワードも
どのライフステージから
考えるかで意味合いが変わる。
私は今50代後半ですが、
30代~40代は兎に角忙しくて
時間がなかった。
いつも時間がない、時間がないと
言い続けて子供には早く、早くと
せかせてばかりいた。
シングルマザーだったこともあるし、
ワンオペ育児だったこともあると思うし、
仕事がハードだったこともあると思う。
この時代の私にとっての時間がないは
一日24時間では足りなーいといったものでした。
常に疲れて、イライラして子供には怒ってばかりの嫌なお母さんだったと思います。
特に仕事から保育園に子供をピックアップに行き、自転車で家まで帰りついてから夕飯、お風呂、寝かしつけ
までの時間はまさに戦争状態で、
もう頼まれてもあんなことは繰り返し
たくないと思ってしまうくらいです。
このご時世、核家族が普通、育児はワンオペが普通に近い家庭がまだまだ多いと思いますが、この頃の時間がないは
本当に時間そのものが足りないという意味だったと思います。
程度の差こそあれ、子育て真っ最中の家庭ではお母さんは自分の時間を持ちたいと切望しているし、お父さんの育児参加は当然のことながら、それでも仕事との両立という意味ではかなり苦しいと感じている
人も多いはず、この時間がないはイコール家庭内の人で不足ということに他ならないと思っています。
家庭内の人手不足の解決方法を男性の家事、育児参加だけに
頼らず、もっと別の方法を考えることが必要だと思う。
テレビなどでは男性の育児休暇取得を応援する会社も多くなっていることがよく報道されるようになり
確かに近所の若いパパさんたちも見ていても育児に協力的な印象を受ける。
でも、それだけで足りているいるのか?
若い子育て世代の家庭の負担はそこそこ解消されているのか?
と考えるとそうでもないように思う。
やはり、男性も女性も働くことの責任の重さは重大だし、トラブルや他の社員の欠席、病気などで穴埋めを背負う場合だって
あると思う。きれいごとを言うのは簡単だけど現実はやっぱり厳しいのではないかと思ってしまう。
家庭内で子育てを考えるのではなくて、
地域ぐるみで考えてはいけないものか?といつも思う。
他人の子にまで干渉しない、親の手はかりない。そんな閉じこもった考えではなくて子は宝だと思って地域の空いた手、労働力をもっと活かせたらいいのではないかと
思ってしまう。だって、暇を持て余したシニア世代から上の人たちが沢山いるはずだから!
でも、壁はかなり高いと思う。
この出来上がってしまった核家族文化をぶち壊し頭の固い行政が動き、文句ばかり言わない!説教ばかりしない!
基本、感謝の気持ちで行動するといった改革が必要だからだ。
でも、この国の少子高齢化対策としては有効なのでは?と考える。
セカンドライフを見据える年代になると時間がないの
意味合いが大きく変わってくる。
人によって子育ての終了の時期はかなりの幅があると思う。
つまり、ステージが変わるのは年齢だけではないということになる。
その意味では、皆が同じではないと思うのですが、セカンドライフ、つまり50代~60代においての時間がないという
感覚は、日々の時間そのものがないということだけではなく残り何年の間、元気で自分の人生を楽しめるのか?
自分の人生をコントロール出来るのか?という意味の時間のなさ
この意味合いがとても深く、強く感じられるようになるのではないでしょうか?
もちろん、その後の70代、80代、もっと先にことまで気にはなるし、心配だけどそんなに先のことは分からないし
心配しても仕方がないと思えるが、まだ自力で何とか出来そうな
この数年の時間のなさが何と言っても心配だし、すぐにアクションを起こさなければ、人生損をしてしまいそうな気が
してしまって、焦る・・・つまり時間がないと感じるのです。
子供に時間を奪われ、家族の為に働いた長い時間から自分の為に生きれる残り少ない時間を悔いなく、有意義に過ごしたいがための時間がないというキーワードになるのではないかと思います。
では、この世代の時間がないという部分を補いあう方法って
ないものなんでしょうか?
自分の孫でも付きっきりで面倒をみるなんて絶対に嫌!
という声をよく聞きます。
自分の娘はきっと都合よく親をこき使い、甘え倒すに違いない。
考えただけでも恐ろしい・・・と(笑)
そうかと思えば、一人息子や娘が遠方に行ってしまって年に何度も会えない、寂しいという方も多いです。
子供が好きで何かしたいと思えば、人の子でもいいのではないかと私は思います。その方がしっかり感謝もされるはず
70歳まで働こう!という政府の方針だってあるのですからこのシニアの労働力は、子育て支援にしっかり使えばいいと
思います。
やることは、出来ることは無限にあり
そこに多くはなくても収入というものがついてくればやりたい!という声があるのではないか?
心配事は予知して対策して取り除いていけばいい多くの人が気軽に参加できる、そこにコミュニケーションや生きがいが生まれてくればどうでしょうか?
互いの世代の時間がないを補い合うことにはならないでしょうか?
仕事ばかりで子供に関わる時間がなかった人も他人の子であっても何かしら得るものがあるはずです。
若い世代の人は、更に学ぶことが沢山あるし自分の親でないことで礼儀や感謝もきちんと表現できるようにもなるでしょう。
若い世代のゆとり、セカンドライフ世代の生きがいや仕事シニア世代のボケ防止、コニュニティーにもなるのです。
閉じられた住空間、家庭をもっとオープンにする必要がある
時間がないというワードだけでここまで広がりました・・・
でも、これは普段から私が感じていたことです。
私は、住まいという空間をデザインしたり、リフォームという形で快適にする仕事を長年してきているので、そこから派生して色々なことを考えてしまいます。
家庭が閉じられた空間で常に人手不足な状態だったり反対に時間があっても孤独を感じるようになっていたり、
血縁関係を超えて、地域でもっと支えあうという具体的な取り組みが
この「時間がない」というキーワードを
解決に導いてくれるような気がします。
動けるポジションの人たちにこの思いが届くと嬉しいな!
などと思いつつ、私も自分の出来ることをやっていきたいと思う毎日です。
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