ただ「見ている」ことの難しさ

プラス・ワンでは、保護者の方々によく

「ただ見ていていただければ十分です」

とお話ししています。


すると、多くの保護者の方が

「それだけでいいんですか?」

とおっしゃいます。


でも実際には、「ただ見ていること」はとても難しいのです。





「自転車に乗る」という経験


先日、塾の迎えにいらっしゃった保護者の方と、小学2年生のお子さんとのやりとりを目にしました。

彼女は新しい自転車を買ってもらって、その自転車に乗って一人で塾に来れるようになったばかり。

だから、自転車に乗るまでにひと苦労です。


なかなか用意が整わないまま、30秒、1分・・・と時が過ぎますが、お母さんは少し離れたところから黙って見ています。

思ったように自転車を動かせなくて、目で助けを求めていますが、お母さんはじっと見たままです。

彼女はなんとか自分一人で準備を整えて、ゆっくり走りだします。

それを見届けてからお母さんも自転車に乗って、ゆっくり後ろから追って、帰宅されました。



それを見て私は「すばらしい!」と思いました。





成長するチャンスを作り、与えるのが大人の役割


多くの方は、こんなケースに遭遇した場合、すぐお子さんに「大丈夫?」と声をかけたり、「○○しなさい」と指示をしてしまうのではないでしょうか。(「早くして」と急かすことも同じです)

ときには、わざわざ手伝いに行って、準備をすべて整えてしまうかもしれません。


これは決して「100%悪いことだ」とは思いません。
当然のことながら、そうするしかない状況もあります。

でも「子育て」という話に限定すると、いつでもこのような対応をしていると、「お子さんが自分で考えてチャレンジする機会」を奪っているのではないか?・・・という視点を持つことが必要だと思います。



だから、「ただ見ていて欲しい」とお願いしているのです。



ただ「見ている」ことは、お子さんの成長を促します。
なぜなら、そうすれば子どもたちは「自分で考える」ようになるからです。

「どうしよう・・・」

と思ったとき、すぐに誰かに助けを求めるのが子どもです。

だからと言って、すぐに手伝ってしまっては、「言われないと何もできない子ども」から「自分で考える子ども」に成長することができません。


子どもたちは、日々少しずつ成長しているのです。
だから、少しずつそういった機会を作ってあげて欲しいのです。



指示を出すことも同様です。

いつでも指示を出されている子どもは「困ったら、言われたとおりにやれば良い」と学習して、自分で考えることを放棄します。

「自分で考える」ことが、面倒で、意味のないもののように見えてしまう
のです。





教えないと、考えるようになる


ワンコベでも、必要以上に教えることはありません。

最低限、必要なことを教えて、試行錯誤する姿をただ見守っています。


子どもたちは最初は「ねえ」「教えてよ」「わかんない」と助けを求めてきます。

それでも「自分で考えて」と伝え、ただ黙って見守っていると、そのうちに「仕方ない・・・やってみるか」と動き始めます。

その結果、ミスをしていても構いません。(ミスを恐れてはいけません)

「自分から動き出すこと」に意味があるのです。
だから、ミスよりも、自分で何かしたことを評価します。


そんな環境にいると、子どもたちは次第に考え始めます。


だからご家庭でも、黙って、お子さんが困って考えている姿や、試行錯誤する姿を見守ってあげて下さい。



(注)
子育ては「唯一の正しい答え」があるものではありません。
ですから、親が指示を出して正しい方向に導くことが「正しい」とお考えの家庭があることは当然のことです。
その場合、個別指導塾をお選びいただいた方が良いでしょう。
「うちの子はこういう方針で育ててきたので、こう指導して欲しい」と要望を出して、その通りに指導してもらった方が良い結果が出るでしょう。(集団塾にそういった指導を要望しても、他にもたくさん生徒がいるので対応できません。)

そういった意味でも、家庭の教育方針と塾の指導方針との相性も、塾を検討される際には大切にしてみて下さい。