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彼女の最後の日

 今年も冬がやってきた。そして今年1月に死んだ猫Zaattiの1周忌がもうじきやってくる。
あれからたくさんの病気に関する資料やペットロスに関する文献を読んだ。
そうこうして早10ヶ月。
羊毛で作った彼女の人形はリビングに飾っているし、夫の携帯の待ち受けはずっと彼女の写真で変わっていない。
それでも新しい家族を迎えることにしたのだ。

でもその前に、半年間下書きにしてあった彼女の最後の記録をアップしておこうと思う。

------※読んでくださる方へ、補足----------------------------------------------
疾病に対する獣医学的な記述は、あくまでこの時点での私自身の見解であって、これがすべて正解とは限りません。私が間違っていることもあると思います。(動物病院を離れて10年以上経つので) また、一部の描写についてはかなりぼかしましたが、読んでしんどくないぐらいにしたつもりです。もし、不快に思われたらごめんなさい。
一個人の猫との闘病記録として読んでいただければ幸いです。

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 うちの猫が1月に14歳で亡くなってから3ケ月が過ぎた。
開眼する前に目を失ったこの子は、飼い始めた頃からきっと長生きしないだろうとなんとなく思っていた。だから寿命宣告までは、この子は積極的に治療せずに、穏やかに生活を送らせてあげようと思っていた。それで死んでもそれが彼女の人生なのだと。でもいざその状況になった時、そうゆう風に考えていた自分でいることができなかった。当たり前なことだが、家族に抱く理想と感情は違うものだ。


意外にも10歳過ぎるまでほとんど体調不良で病院にかかることはなかった。

12歳の時、唾を飲み込む妙な仕草が気になりだした。片食いも目立ち始めたため、大学の同級生T君のやっている動物病院で歯石除去と左側奥歯の抜歯を施した。この時、軽度の甲状腺機能亢進症を指摘された。処方食を試しに与えてみたが、全く受け付けなかったため経過観察することに。

13歳終わりから14歳初めにかけて鼻炎・鼻詰まりの症状が徐々に目立つようになった。投薬すると一時的に改善するのだが、しばらくすると再発した。猫は鼻腔と歯の根元が近いため、歯石で歯茎が下がり、歯が悪くなると、鼻炎になることがある。彼女の場合、視覚がないうえに嗅覚も失ってしまうと、餌がどこにあるのかさえ分からないこともあった。改善と悪化を繰り返したため、再度抜歯を依頼したのだが、T君から「不整脈もあるから、先に甲状腺機能亢進症を抑えたほうが方がいい」というアドバイスを受けて再び処方食をトライしてみる。しかし切り替え途中で食餌性胃腸炎になったことから処方食を断念。その後下痢を頻発するようになる。鼻詰まりによって食欲が落ち、さらに下痢で体重が少しずつ落ちてくる彼女をなんとか回復させようと、小康状態になった時期に、麻酔をためらうT君をけしかけてようやく2回目の歯石除去と抜歯を実施した。処置中、心音の異常と血圧の上昇がみられ、ひやひやしながらも無事終了。トラブルのもとだった歯もなくなり、長い間ストレスだった鼻炎も処置後は落ち着くだろうと思ったのもつかの間だった。

1週間後の週末、昨夜から餌に口をつけてない。あまり食い意地のない子で普段から小食だったから特に気にも留めなかった。この日、朝から出かけていた私の携帯には夕方になると何度も夫からのメッセージが入る。
Zaattiが動こうとしない。死んじゃうかもしれない! 
夫のただならぬ言葉にびっくりして早々に帰宅してみると、体温は下がり、脈拍も蝕知できない悪い状態だった。確証は持てなかったが血栓症を疑い、T君の病院へ薬を取りに車を走らせた。往復2時間半かけて自宅に戻るとすぐに薬を投与した。(後から考えるとこの薬が効いたわけではなかった)
その後、幸いにして強制給餌を始めて3日後には自力で餌場やトイレに行けるようになった。
本当に血栓症だった? ほかに原因が? 今一つ腑に落ちない。
体を触ると彼女の右腎が大きい事に気づいた。やばいと思った。

数日後、T君の病院で検査。X線画像には大きくなった右腎が確認できた。
T君は表情を曇らせて静かに言った。
「腎リンパ腫じゃないかな・・・」
体から力が抜けていくのを感じた。悪性リンパ腫だ。ああ、やっぱり・・・
彼の言葉をそのまま信じたくなくて、すぐに針生検してみる。大きな核を持った明らかに腫瘍と思われる細胞が顕微鏡下にあった。ぼんやりとしていた未来の彼女の最後が突然目前に見えてきた気がした。

リンパ腫にはいくつかタイプがあるが、腎リンパ腫は腎臓にできる悪性のリンパ腫だ。私自身は診た経験はほぼ無い。標準的な抗癌剤の投与方法では寛解(病状が治まる)率は十数パーセント。いやもっと低いかも知れない。抗癌剤が効いた場合は寛解するが、効かなければこの1ヶ月が山場、良くて2、3ヶ月だろう。実質的には余命宣告だった。夫に説明すると、言葉にならない様子で愕然としていた。私自身ショックだったが、彼は私以上だったと思う。

どうしよう…この子が死ぬ・・・頭の中ではいろいろなことが駆け巡っていた。
抗癌剤治療はどうする? 
少しでも長生きできる可能性があるならこれにかけてみる?
彼女に辛い通院を強要する? 
残された時間を嫌な通院と、もしかしたら出るかもしれない副作用に苦しむかも?

抗がん剤治療をやるからには毎週通院しなければならない。

リンパ腫の治療には何種類かの抗癌剤を組み合わせた方法(プロトコール)がいくつかあるが、彼女が受ける治療は週1回25週の標準的なプロトコール。投与間隔が長いものは作用も強くなる。あいにく残っている腎臓も強くはない。
加えて彼女は病院が大嫌い。(診察室では台の上に乗るだけで大声で叫ぶものだから、診察はいつも待合室に誰もいなくなる最後の時間帯にされる) 

だから一瞬、悩んだ。夫に聞くと自分には決められないから私が決めてくれと言う。
無責任な言い草。そう言いながらも彼の腹の中は決まっていたと思う。私と同じことを考えていたから夫も言えなかったのだろう。
「残された時間を大事にしてあげてね。」T君に申し訳なさそうに言われた。
残された時間っていったって、統計上では無治療で1ヶ月しかない。いや実際は1週間かもしれない。だとしたら、可能性が12%でもあるのなら治療すべきと思った。チャンスがあれば少し長く生きて欲しい。治療は辛いけど、少なくとも家にいる時間は彼女が幸せに感じてくれたらいい。月並みだがそう考えることしかできなかった。

年末年始は病院も閉まるので、抗癌剤開始後に副作用が出ることを懸念して、一般的ではないがステロイド内服から開始することとなった。ステロイドは猫であまり作用は出ないのだが、それほど高用量でもないのにも関わらず彼女の場合、飲水量がかなり増えた。心臓や腎臓への負担を心配してT君に連絡してみたが、とりあえず大丈夫ではないかとのことだった。ガンが進行する方が怖い。止める選択肢はなかった。

年明けすぐに第1週目の土曜日、抗癌剤L−アスパラギナーゼの投与する予定が欠品だったため、第2週目の抗癌剤ビンクリスチンから治療が始まった。不思議なことが起こった。病院でいつものように興奮状態だった彼女、病院から帰宅しても一向に落ち着かず、急に元気になったように見えた。よく食べ、よくしゃべり、よく遊ぶ子猫のように動き回り、その状態は3〜4日間続き、夫いわく「10歳は若返った!!」と喜んだ。よくわからないが、体調がよくなったということには違いない。本人も嬉しそうだった。
リンパ腫の治療は、始めは嘘のようによく効くことがある。わかっている、分かっているからヌカ喜びはしない。でももしかしたら・・・と私も嬉しくなった。

第2週目はシクロフォスファミド。3日に分けて経口投与。これはあまり変化なく、徐々に元気のない最近の彼女に戻っていった。

第3週目は再びビンクリスチンの投与。しかし、前回のような劇的な変化はなかった。初回は効いた抗癌剤も2回目、3回目になると耐性ができ、効かなくなってくることが多い。第4週目は新しい抗生剤を投与することになっている。これに期待するしかないと思っていた。

この週の火曜日、私は仕事で一泊の出張だった。
夜、夫から「寒いのにZaatti、玄関で待ってるよ」のメッセージが来た。心が痛んだ。
翌日の水曜日、夜遅くに帰宅。喜んで私の膝に乗る彼女の右側の背中側の腹部が盛り上がっていることに気づいた。触ってみると、右腎は治療開始前よりも大きくなっていた。この頃彼女はリビングのキャットタワーの上でひとり寝ていたのだが、昨夜は寂しかったのだろう、この日から私のベッドの枕元で寝るようになった。腹部は腎臓が腫れていて違和感があるせいか、布団の中には入らない。
金曜日、右側だけでなく左側の腹も張り出した。腹が張っているせいかガニ股で歩く。それでもフードはウエットだが、しっかり食べてくれた。

土曜日。病院に行く日だ。診察はいつも午後の最後だから、朝起きてゆっくりしていた。このところ新しい仕事がうまくいかなくて、土曜日の午前中は毎週のように仕事の穴埋めのため職場に出かけていた。だが、どうゆうわけか今週はうまくいったため、珍しく家でゆっくりしていた。
その日の朝は1月の真冬らしく、空気は冷え込んでいたが、穏やかな朝日が少しずつ地面を暖めていた。私はミルクティーを手に、日光を浴びに外に出ると、Zaattiも私の後についてきた。最近でこそ土曜の朝は忙しいけれど、日曜の朝は決まって猫と一緒に外に出て、ミルクティーを飲みながら、ゆっくり外の空気を楽しむのが私の日課であり楽しみだった。寒さで、這いつくばるように小さくなったキャットニップの前に、彼女はちょんと座って日の光を楽しんでいるようだった。穏やかな、本当に穏やかなひとときだった。

なぜ、彼女を外に出したのか?外に出れば寒さで血圧も上がる。末期のガン患者には悪影響しかないはずなのに、なぜ気が付いてやれなかったのか。後悔、先には立たない。

20分くらい経ってから彼女は私と一緒に家の中に入った。彼女はトイレで用を足し、キャットタワーに登って降りた。その直後、大声をあげてよろよろと倒れこんだ。私がリビングのテーブル席に着いた直後に背後で聞いたのは彼女の断末魔のような太い鳴き声だった。床に倒れこむと舌を出して苦しそうにあえいでいた。時折立ち上がろうと顔をあげてもがくが、立ち上がれない。慌てて床に毛布を敷き、ふらついて頭を打たないよう手で抱える。今しがた、コンビニに出かけていった夫を呼び戻した。夫と二人でなすすべがないまま、苦しい呼吸をしている彼女に声をかけ続けた。

大丈夫だよ、そばにいるから
パパママがそばにいるから、安心して
だから逝かないで・・・

腎リンパ腫だから腎臓の機能が落ちて体力を消耗しながらゆっくり進行するものだと思っていた。でもこれは違う。
彼女の心音を確かめる。心臓の異常な音は聞こえない。強勢だが、しっかりしたリズム。心配していた心筋症ではない。また血栓症だとしたら急激すぎる。
それじゃあ何?

夫が言う。
「お前獣医だろ?こんなに苦しんでいるんだから、早く楽に死なしてやれよ!」

何も言えなかった。私だってできることなら楽にしてやりたい。でも薬も道具もない。オロオロするだけの、何もできないただのひとだった。
私達はどうすることもできずに、彼女の呼吸と心臓の鼓動がだんだん遅くなって、やがて静かに止まるまで、ただただ泣きながら声をかけてなでてやることしかできなかった。
彼女の体が動かなくなった後、夫は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、車でどこかへ出かけて行った。
私は彼女の骸(むくろ)をひとしきり抱きかかえた後、二階に運び込んだ。小さなテーブルの上に新聞紙を広げ、彼女の解剖をした。

以前、実験動物施設の獣医として長年働いていた。施設の動物の健康管理を行うと同時に、死んだときは死因を突き止めるために剖検をするのが私の仕事だった。
腹部を開けるとそこには腹水で希釈された大量の血と真っ白な腫瘍組織に侵され、握りこぶしよりも巨大化した右腎があった。やはり、リンパ腫だった。
腫瘍細胞に圧迫された腎臓の太い血管が破裂したことによる失血死だった。
死因を確認した後、腹部をきれいに縫合した。縫合しながら号泣した。どんなに泣いても泣き足らなかった。

翌朝、ペット火葬をしてくれる火葬場に二人と一匹で行った。
たまたま、個別火葬の予約が午前中にとれたのだった。
火葬が終わるまで、木の生い茂る駐車場で時間をつぶした。
煙突から彼女が昇天する様を見たいと思っていたのに、煙突は見当たらなかった。思えば、最後に火葬場に来たのは祖父が亡くなった40年近く前だ。焼き場で対応してくれた初老の職員さんに言ってみた。
「煙は出ないんですね、煙突も見当たらないし。」
「最近は煙は出ないしくみなんですよ。周辺の住民を配慮してだいぶ前に煙突はなくなりましたね」
時代も進んだのだと思ったと同時に、ちょっとがっかりした。
自分の気持ちも昇天させたかったから。
気持ちの良い、よく晴れた冬の日曜日だった。

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