心を育てる。
何度読んでも、私がまだ未熟なうちは
理解できなかった言葉たち。
己の成長と共に
ようやく本の意味が理解でき
クラシックの音楽をレッスンする上で、
又は子育てをする上で
生かせるのでないかと思うとワクワクする文章を集めました。
今回は、スズキメソードで有名な鈴木鎮一先生の本から引用したものです。
心と音楽との育ち方について
心の才能は、やはり育てた者の心であり、害われた心は、育て損ねた指導の失敗だと思うのです。しかるに、一番悲しいことは、わが子の心の育ちが、低く、短めで、酷いものであっても、それがなかなか親の眼には映らないと言う事実です。
親が自分を反省し、または育て方を反省しない限り、何が子供の心を育てたのかも解らないし、子どもの酷い子の育ちが親の眼には映らないのです。
世界を美しくするために、また子供たちを立派な心の人にするためには、親や教師たち、私共大人たちが自分を眺め自己を反省する能力を与えられているのです。よりよく育てる道はあるのです。私共はもっと反省しなければならない。
「わが子の心の育ちをみて、自分の心の姿だと思う親であってほしい」と言うことを、子供たちのためにしみじみと思いました。
中略
そして音楽と共に、その心についても、何を、いかに、そだてるかについて考えましょう。
以前読んだ子育ての本にも、子は自分の「写し鏡」のようなものであると書いてありました。まさに、そのことだと思いました。
反省
上手な指導の一つとして気がつくことは、たとえて申すならば、自転車に乗って走る子供の、ハンドルをつかんで、指導するのではなく、自分の意思で走ろうとする子供の前方は、巧みにアスファルトの走りよい道を正しい方向へつくってやることなのだと思います。そうしたいものです。
多くの場合、親も先生も、子供のハンドルをつかんでしまうので、子供に不愉快な感じだけを与えているだけです。急に手を離すと、田んぼの中へころがり込みましょう。能力は育っていないのです。
自転車のハンドルの例えがとても解りやすいでした。
私はよくレッスンに於いても子育てに於いても一緒にハンドルを握ってきた気が致しました。
感覚教育
幼い子供達にバッハやベートーベンの音楽を聞かせたり演奏させたりすることは、バッハやベートーベンなどの偉大な人々の高い感覚を一人の人間に感覚として植えつけ育ててゆくこととなるのだ。
優れた人間は優れた人間感覚が生きて存在するところに高い人間の価値がある。知識だけならば一冊の立派な本は、人間以上であるかもしれない。
私共は子供達に、歴史の中の最も優れた人々、バッハやモーツァルトなどの高い感覚を育てようとしている。
人間性を育てるということは、人間として好ましい文化的感覚と能力を育てることを意味するものであろう。
教育について思うとき、そこには感覚教育ということが重大な根本問題として考えられなければならない。
幼い頃からいい音楽を聴かせる理由を、正直なところ理解できておりませんでした。なんとなく感覚としてしか理解できておりませんでした。
この章で鈴木先生は、
人間教育は、要するに感覚と能力の育成ではないか。
中略
育てる者の感覚。教育は、育てる者自身達の感性と知性を高めること以外のよい方法はないということを思わせられる。
と結んでいらっしゃいます。解っているようでできているか?と問われれば、首を横に振る日もあると思います。
また、別の章で
音楽は、作曲家の人間としての全感覚がそれぞれの能力において書かれている。バッハが偉大な人物であることを、私共はバッハの音楽をきいて、音の世界でバッハの人間像を感得させられる人間となってゆく、バッハを感じる能力が自らうけたちる人間の姿、心、その生きている心と同じように私共の中には、バッハやベートーベン達が生きているのである。
とこのように書いていらっしゃいました。その感覚を当たり前のように感じ取らせることができるよう育てるために、早くからよい音楽を聴かせなさいということなのですね。
備・教・育
子供にマリを投げる場合に、
「さあ、投げるよ」
と言うと、こちらを向いて、受けとる心の準備をする。
そこで、私共は、この子供はどのくらいの強さのマリの投げ方をしたら、うまく受けられるかを知っていて、
「ゆくよ!」
と気合いを合わせながら、受けられるようにひょいと相手の能力に応じてマリを投げて、受けとる喜びを投げかけるのである。
このように、うけとれる喜びを投げかけながら、だんだんにマリの速度を変化させ、能力に応じては、カーブまで発展させて育ててゆくわけである。
私の好きな章です。小さい子へマリを投げる時の例えで教育の現場に於いて、「うけとれるための準備」をつくることが重要であることを教えてくださいます。
備...うけとれるための準備をして
教...知識や感覚を伝え
育…育てる
この三拍子揃った指導が望ましいと綴っていらっしゃいます。
§§§ §§§
最後にnote に言葉を綴る私へ、戒めの意味を込めて言葉について書かれた文章を引用して終わります。
言葉は選ぶべきであると思う。言葉はその人の感情も、その人の能力も、その人の心も、その人の人間性の総ての価値を示してゆくもので、ちょうどバッハの音楽がバッハを、ベートーベンの音楽がベートーベンを、そこには少しも飾ることも、偽ることも出来ずにありのままにその人間が示されているのと全く同じことであろう。
鈴木鎮一のことば集-心を育てる より
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