見出し画像

「Warudo」を使ってみた(その2):人はたとえそれがアバターであっても、その動きに何らかの意味や意図を見てしまう、という件

前回、「Warudo」を紹介しましたが、もう少しこのソフトを深堀りしたくなってさらにちょっといじってみました。この「Warudo」、自分が作成したアバターをいろいろな世界(環境)に持って行けるのがその特徴の一つであります。今回は自身のアバターをいわゆる「アメリカンダイナー」的なところへと持って行きました。

ということで、まずは、既にダウンロードしていた「新しい環境」を開くと、そこには前回のセッティングにおいて固定されていた自身のアバターと「新しい環境」の3D空間が現れます。

次にそれをできる限り「引き」にすると(基本的にはマウスのジョグホイールを動かすことにより、引きと寄りの調整ができるます)今度は、以下のような矢印(座標軸)が見えてきます。これを引っ張りながら自身のアバターをその空間の好きな位置に配置するというのがまずは行うべき作業です。自分(=アバター)が動くというよりも空間の方を自分に合わせて動かす、というのがここでのポイントと言えるでしょう。

ということで、「アメリカンダイナー」のバーカウンターの中にDJを置くという体(てい)で作成したのが次の動画となります。もちろん、手やひじの関節があり得ない方向へと動いている、などいろいろと課題は多いですが(mocopi等のモーションキャプチャーを装着するとそのあたりの動きがカバーできるようです)、一応、その空間内から発信(配信)するという目的はここで実現できた、と言っていいでしょう。

なお、今回、ここで問題提起的に取り上げてしておきたいのは、このようなアバターによる映像であっても、なぜ人はその出演者(=アバター)の動きに意図や意味を見てしまうのか、あるいは見ようとしてしまうのか、という点です。恐らく多くの人がこの映像を見て、そこでのアバターの動きを見て、いわゆる「中の人」のことをあまり意識はしないことでしょう。そう、見ている人にとってはまさに「アバター」こそが存在しているわけです。たとえそれが明らかに「絵」であったとしてもです。この映像において、はっきり言ってアバターの動きは私が期待するような動きとしてはまだ十分ではありませんでした。しかし、人は、そのぎこちなさにも、これは何らかの意図があっての動きではないか、と思ってしまうのです。今後もこの演奏動画のシリーズは続けていきますが、この「謎」についても同時に考え続けていきたいと思います。


いいなと思ったら応援しよう!