59. フレンチポップ×テクノ=お洒落:『Mikado forever』
今回お薦めする音源はこちら。フランスでテクノポップをやるとこうなるというおしゃれの見本と言ってもいい「Mikado」のベストアルバム的な位置づけの2枚組アルバム『Mikado forever』です。
さて、この「Mikado」というバンドというかユニットは、ウクライナ生まれのポーランド人でフランス在住というまさにヨーロッパの複言語複文化主義を体現するグレゴリー・チェルキンスと歌姫パスカル・ボレルによるユニットです。1982年に結成され1991年に解散しました。いわゆる日本での渋谷系に近い感性のユニットなのですが、日本よりも一足早かったと言えます。まあ、その音楽性は聴いてもらうのが一番なのですが、今の時代に聞いてもとにかくいい、とにかくカッコいい、とにかくお洒落な音楽です。
以前、筆者の映画系のマガジンの方で『宵待草』を紹介しましたが、今思えばまさに「Mikado」が一つのモデルだったと言えるでしょう。フランスにおいてテクノ、及びテクノポップは外来文化として、比較的遅く入ってきました。だからこそのこのようないわゆるフレンチポップとのフュージョンとしての独特のテクノポップが生まれたと言えます。そう、これはあくまで「テクノポップ」であり「テクノ」ではないのです。日本で「Mikado」を紹介したのが細野晴臣さんであったことが象徴的に示しているように、あくまで「ポップ」なのです。恐らく同じYMOの坂本龍一氏はより前衛的な現代音楽として「テクノ」をやりたかったのでしょう。それは彼の当時のソロアルバムを聞けば分かります。しかし細野氏は「ポップ」であることにこだわりました。そこに二人の確執があり、その確執があったからこそYMOの大成功につながったのでしょうが(なかよしこよしではだめということ)、今、改めてこの「Mikado」のベストアルバムを聴くことで前衛をやろうとすれば当然できた細野氏が「ポップ」であることにこだわった意味も見えてくるような気がします。そう、細野氏はやはり「ポップよりのフュージョン」の人なのです。
ポップもロックもジャズもフォークもできる細野さんは「キャラメル・ママ」から「ティン・パン・アレー」として雪村いづみ、いしだあゆみ、そして当時はまだ新人だった荒井由実らのバックバンドとして活動の幅を広げていきました(なんと以前映画のマガジンの方で紹介した『宵待草』でも音楽を担当している)。個人的にはYMOも細野さんにとってはその活動の延長線上にあったのではないかと思います。YMOの結成が1978年だったのですから、Mikadoはというかユニットリーダーのグレゴリー・チェルキンスは当然それを聴いていたでしょう。そしてその上で、また違うテクノポップのアプローチを取りました。YMOが文字通り「イエロー」という意味で東洋趣味を隠し味的に出したのに対し、Mikadoはフレンチ趣味を前面に押し出しました。事実、この2枚組アルバムも特に2枚目はテクノ色は薄いです。それが商業的に大成功したかどうかは定かではないですが、少なくともそれは後世において評価されるものとなりました。とにかくかっこよくお洒落なのです。YMOが『君に、胸キュン。』(1985)で歌モノを出した時に多くの人が「?」と思いましたが、そこに1982年デビューの「Mikado」の影響がなかったとも言い切れません。日本のテクノポップとフランスのテクノポップは相互に影響を与え合っているのです。そしてそれに影響を受けたYMOチュルドレンの一人とも言える小山田圭吾氏がテクノとはまた別ルートのお洒落な音楽をやっていた小西康陽氏らと後に渋谷系と呼ばれるムーブメントを作り出し(小西氏率いるピチカートファイブもMikado同様細野さんのレーベルからデビューしている)、その後には再結成したYMOのサポートメンバーとなり、さらには高橋幸宏氏を事実上のリーダーとする「METAFIVE」のメンバーとなるのですから、歴史というか遺伝子は国と世代を越えて伝えられたと言っていいでしょう。
と、とにかくこのアルバム、音楽好きにはお薦めの一枚です。