アマゾンプライムお薦めビデオ③ 150:戦後における混乱と復興。その点では日本もイギリスも同じだった。『ブリティッシュ・ロック誕生の地下室』
エレクトリック・ブルース、エレクトリック・ハーモニカ。なんと魅力的な響きだろうか。チャーリー・ワッツがそこにいた。そしてミック・ジャガーもそこに加わった。そう、ブリテッシュ・ロックのルーツは戦後にアメリカから急速に取り入れられたブルースでありジャズであった。これはある意味日本と同じである。急速にジャズの歴史とも言える様々なジャンルが一気に流れ込んだからこそ、そこでクロスオーバーが生じた。日本でも日本なりのクロスオーバーは行われたが(あのクレイジーキャッツは全員がジャズメンである)イギリスでもイギリスなりにジャズやブルースの解釈と邂逅が行われた。そしてその流れの下に位置するのがかの我らがローリングストーンズ(以下「ストーンズ))なのである。
このドキュメンタリー映画、その時代の貴重な懐古であり、貴重な記録である。基本的に人が過去を語る場合、それは懐古であり、その意味で美化を伴わざるを得ない。一方、実際の映像(=記録)は単純にその時代の事実の記録である。幸いにして、戦後であるということは、その実際の映像=記録が残っている時代であることでもある。そして事実、その衝撃は映像=記録も伴う形でアメリカにも逆輸入された。ビートルズはある意味そのアイドル性が受け入れられたグループであったと言えよう。しかし、ストーンズは違う。自分たちのルーツであるアメリカに対し、ブルースを思い出せ!ブルースを取り戻せ、と迫ったのである。アメリカにとってもこれは脅威であったことは間違いないであろう。
しかし、時代はそこでは終わらない。いわゆる、サイケデリックムーブメントを経てのでロック路線、さらにはそれを受けてのプログレ路線、バンドとしては「ザ・フー」に代表される高度なエレクトリック・ロックの時代が訪れたのである。ブルースが持つ「素朴さ」は、ここに来て更新された、というか更新されざるを得なかった。それはジャズの高度化とも対応している。かのマイルス・ディビスがエレクトリック化して行ったのもまさにこの時期である。そしてその変化/進化は、この映画でも暗に描かれているようにその後のテクノやハウスの隆盛へとも繋がっていく。ブルースはあくまでアナログ的な(=人が人としてコントロール可能な)情動であった。一方テクノやハウスはデジタル的な情動である。そこでは人がいて情動が生まれるのはなく、音楽による情動に人がコントロールされる。しかし、それで良いのだろうか。それで音楽と言えるのだろうか。
ストーンズはブルースという音楽に煽られ、そしてその後、それを自分たちなりのロックに取り入れ、それを用いて人を煽ってきた。そう、ロックとは、特にブリティッシュ・ロックとは、煽られたというか煽られざるを得なかった戦後世代の若者たちが作ってきた煽る音楽なのである。しかし、それは音楽によって人が煽られるのとは意味が異なる。人による音楽による煽りは、煽る側も煽られる側も、その先に社会というものを、世の中というものを見ている。社会を変えよう、世の中を変えようという意識というかムーブメントがそこにはある。一方、音楽による人の煽りにおいては、確かに煽られることの快感はそこにあるであろう。しかし、それで社会は変わるだろうか。それがこのドキュメンタリー映画における「問い」であり、そしてこのドキュメンタリー映画における「地下室」はその象徴でもある。地下室は地上からのシェルターであると同時に、地上への出口なのだから。