アマゾンプライムお薦めビデオ③ 108:心霊ドキュメンタリー作家の心意気『心霊マスターテープ』シリーズ
前回紹介した『コワすぎ』シリーズを経て、この『心霊マスターテープ』シリーズにたどり着くまで、申し訳ないことにこの世に「ホラー」というジャンルが存在することは知っていても、そのサブジャンルとして『心霊ドキュメンタリー』というものが存在することは知らなかった。しかし、『心霊ドキュメンタリー』というジャンルはその性質上、基本的にフェイクにしかならざるを得ない。それこそ本当に本物の心霊映像が取れたのならこの世の常識や化学を覆す大問題だからである。『コワすぎ』シリーズはそれを十分に心得たたうえで、ある意味「フェイク」に振り切ったものであった。しかし、この『心霊マスターテープ』シリーズはそれをも分かった上で、フェイクだからこそできるドキュメンタリーの限界に挑戦している。つまり心霊現象自体はフェイクであっても、そこに生きる、そこでしか生きざるを得ない人々の生き方は事実=ドキュメンタリーである、という方向である。
ここにはいわゆる役者さんたちも出てくるが、自分たちで自嘲的に「心霊アベンジャーズ」と言っているように、心霊ドキュメンタリーものの監督や出演者たち自身がその役=自分自身の役を演じている。その点でまさにフェイク中のフェイクなのだが、しかし、同時に、自分自身の役を演じるということは、普段の自分自身が何らかの役を演じているのではないか、というより哲学的な、実存的なテーマがそこには浮かんでくる。作品中である監督が言う(というか正確なセリフは覚えていないが)「自分は本当は映画が撮りたかったのに心霊ドキュメント物をやっている。それに対する何とも言えない葛藤はある」という趣旨の発言は、たとえそれが台本に書かれていたセリフだと言っても、本音であろう(あるいはその台本を書いた監督=心霊ドキュメンタリーものの監督の本音であろう)。しかし、人はそこで生きるしかないのである。そこで自分自身を実存に向けて開いていくしかないのである。それが生きるということであり、そして心霊ドキュメンタリーものとは基本的に死者の霊を描くことを通して、生きられなかったものの想いを伝えるジャンルなのである。つまり心霊ドキュメンタリーに関わる者は死者の無念を通して、自分の無念を語ると同時に、自分の今後の可能性を開いているのである。
中には成功するものもいるだろう(『コワすぎ』シリーズの白石監督のように。しかし、多くのものが成功せずに消えていくであろう。このシリーズ、実はそれこそが裏テーマなのである。実際に劇中で多くのものがいわゆる霊象に巻き込まれて消えていく。そしてそこには「それがこの世界(心霊ドキュメンタリー)に関わるということだ」というナレーションが重なる。そう、まさに彼らは命を懸けているのである。多くの人が言う「つまらないこと」に命を懸けているのである。その「つまらないもの」はここでは「心霊ドキュメンタリー」だが、実は誰もが何らかの形で持っているものでもある。あなたはそれに命を懸けられますか。このシリーズが問いかけるのはそのような問いである。つまらないかもしれないけど心惹かれるもの、それに対してあなたはどのような距離を取るのか、という問いかけである。
と、まじめに考察してしまいましたが、基本的には心霊系エンターテイメントとして大変よくできているシリーズです。シリーズ2にはあの『コワすぎ』チームも登場したりします。その意味でも面白いですしお薦めです。是非ご覧ください。
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