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アマゾンプライムお薦めビデオ④ 153:凄すぎる、そしてヤバすぎる。出演者達も十分にそれを理解したうえで出演している!映画『脳天パラダイス』

まあ、ヤバい!そして凄い!その一言に尽きるのが山本政志監督の現時点での最新作『脳天パラダイス』である。

この映画、とにかくぶっ飛んでいる。しかし決してでたらめではない。ありえない映画ではあるが、ありえない話ではない。そう、日常と非日常、その間をつなぐのが「祭り」であるとすれば、この映画自体がまさに「祭り」であり、しかも「祝祭」(=祝いのための祭り)である。実際に映画上でも「祭り」と言ってよい出来事が描かれるが、この映画は祭りを描いた映画ではなく、この映画自体が祭りなのである。

そして、当然祭りには死者も絡んでくる。先に日常と非日常の間をつなぐのが祭りだと書いたが、日常が生者側のものであるのならば、非日常は死者の側のものであるからである。祭りは死者を呼び、逆に言えば死者が祭りを呼ぶ。この映画も見方によれば、死者に呼ばれた人たちの物語である。

そして、というかさらに凄いのが、それらを十分に理解したうえで、誉め言葉としての怪演としか言えない演技を行っている俳優陣である。中でも特に異才、鬼才を放っているのが南果歩氏。今や大女優と言ってよい彼女がここまでぶっ飛んでいるのは意外でもあるが、しかし、「この人、本当はこういう人なんじゃないか」と思わせてしまうほどのリアルさがそこにはある。なんというか「自然」なのである。もちろん演技の上ではあるが、この人、「自然」に「ぶっ飛んでいる」のである。

一方の夫役の(というか元夫役)いとうせいこう氏は、ぶっ飛んでいないが故に逆にぶっ飛んでいるという点で光っている。この、ある意味カオスな状況においても、怒るでもなく騒ぐでもなく泣くのでもなく「なんだよ」とぼやきつぶやく程度である。そして、というかそれだからこそこの人ぶっ飛び感が際立つのである。

そして、この映画の凄いところは、このような状況に遭遇したら、我々も、いとうせいこう氏のような反応をしちゃうだろうな、と観ている人に思わせるところにある。受け入れられない状況に遭遇した時、人はそれをどう受け入れるか。私見ではあるが、それがこの映画の裏テーマである。そしてその問いへの回答は「受け入れられない状況であってもそれを当たり前のこととして受け入れる」というものである。その意味でこの映画は一種のブラックコメディーであるとも言えよう。旧ナチスドイツによるホロコーストを引き合いに出すまでもなく、一歩引いた眼で見れば「異常」でしかないことでも、その場にいる人はそれを受け入れてしまうのである。では、どうするか。どうすればいいのか。

それに対する回答は、まさに「一歩引いてみる」「一歩引いて観る」ということである。そして映画というものはまさにそのための装置(一歩引いて観る装置)である。映画を見て、人はそれをあり得ないと思う。映画を見て人はそれはばかげていると思う。それこそが「一歩引いて観る」ということである。そう考えると、映画というものはあり得なくてなんぼ、ばかげていてこそなんぼということになる。映画を見ることによって、人は受け入れられない状況を、当たり前のこととしてではなく異常なこととして見ること、捉えることができるのであり、また同時にその世界の中にも入って行けるのである。。

そして、事実、この映画はありえなく且つばかげている。だからこそ、この映画は映画として傑作であり、大正解であり大成功なのである。


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