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アマゾンプライムお薦めビデオ④ 151:生き抜くことをたたえる文化とその尊さ。サバイバルSFの傑作!『オデッセイ』

あまりステレオタイプ化はしたくはないが、日本という国や文化が「いかに死ぬか」(生き抜いたとしても最後はどう死ぬか)を重視するのに対し、やはりアメリカという国は「生き抜くこと自体」をたたえる国であり文化であると言えよう。ここでは決してどちらがいいとか悪いとかを言いたいのではない。それぞれにはそれぞれの良さがある(というかこの二つは単なる視点の違いであろう)。しかし、ちょっとメンタルが弱っている時、観て力になる、観て励みになるのは、やはりアメリカ型、ハリウッド型サバイバルものであろう。人間、生まれてきたからにはやはり生きてなんぼなのである。

この映画、アメリカSF界の新星、アンディ・ウィアーによる2011年の処女作『火星の人(The Martian)』が原作である。映画としてもこのタイトルの方が良かったのではないかとも思うが、確かに、これだと「火星人の話?」と誤解される可能性もあるだろう。そう、この映画、SFではあるが、宇宙人が出てきたり、宇宙で戦ったりと派手なものではない。むしろ出来事的には地味である。これを言ってもネタバレにはならないだろうが、何もなく自分以外には誰もいない火星という土地で(砂嵐や残された基地やロケットはあるが)、人がいかにサバイバルするか、という映画なのだから。

そして、そのサバイブするための武器となるのが「科学」であり、その意味でこれは優れた空想科学映画、つまりはSF映画である。宇宙飛行士というのが今でも子供たちの憧れの、夢の職業なのか、は疑問ではあるが、しかし、実際には宇宙飛行士という職業はない。宇宙飛行士になれるのは基本的に科学者(エンジニア=工学科学者も含む)か軍人なのである。しかし、宇宙飛行士になれるのは、もちろん科学者として優れていればいいというわけではない。頭が切れるだけではなく手先も器用である必要があるし、力仕事も汚れ仕事もさまざまな腕(技術)を必要とする仕事もできなければならない。例えてみれば10トントラックも転がせるし、プログラミングもできるし、簡単な手術ぐらいはできるし、もちろんそれなりの論文誌に載るぐらいの論文は書けるよ、という人達なわけである。そしてそのような人たちがチームを組んで初めて、宇宙飛行士となれるのである。そう、宇宙飛行士は決して一人でなれるというか名乗れるものではない。チームがあってこその宇宙飛行士なのである。事実この映画は、最初こそ個人としてのサバイバルものから始まるが、次第にそれが科学者チーム(これから科学者になろうとしている学生も含む)としての物語へとなっていく。そこにもこの映画の魅力とエモさがある。

そして、音楽!ストーリーとしてではなく映画としてこの映画を語る場合には音楽は欠かせないであろう。もちろんそれもストーリーと絡んでくるのだが、孤独な状況に置かれた主人公が聴けるのは、チームメートが残していった、いわゆるオールディーズのディスコミュージックだけである。日本で例えれば、GSからシティ・ポップへと至る時代ぐらいの音楽であろうか。もちろん、それはそれでカッコいいというか今では再評価されている音楽であるが、恐らくこの近未来を設定としている映画の時代においては、それは古くてダサいものとしてみなされているのであろう。主人公はその音源を残していったチームメート(正確に言えばチームリーダー)のセンスを「ダサい」と言い放つが、しかし、聞いているうちにそれが好きになっていくのがこちらにも伝わってくる。そう、いい音楽はいつの時代に聞いてもいいのである。特に最後のシーンで流れるある音楽、というかある曲は、むしろ彼(主人公)自身がその場に会うように選曲したかのようにも思われる(というかそういう演出がなされている)。そう、彼はすっかりオールディーズなディスコミュージックに嵌(はま)ってしまったのである。我々がこの映画に嵌ってしまうように。

そう考えると、この映画を監督したのが 1937年生まれの御大リドリースコット監督であることに、そしてその若々しさに、改めて驚かされるであろう。いい音楽はいつの時代に聞いてもいいように、いい映画はいつの時代に見てもいい。そしてそのような意味でのいい映画を作る人は、決して年を取らないのである。



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