「トランスジェンダリズム(transgender-ism)」とはなにか(前編)
1.はじめに
~「トランスジェンダリズム」という言葉をめぐって
近年、日本において
主に女性の権利を求める人々の間で使われている
「トランスジェンダリズム」(性自認至上主義)という言葉があります。
この言葉の意味については、たとえば以下の記事などで解説されています。
「そんなものはない」という批判
しかし一方で
「そんなものはありません」
「(あるなら)説明してください。教えてください」
という批判の声もあるようです。
先日、トランスジェンダー当事者でもある
弁護士の 仲岡しゅん氏が、
自身が開催したTwitterスペースにおいて
「そんなものはない」という立場で
この「トランスジェンダリズム」という言葉について
解説をされていました。
以下はその内容を箇条書きにしたものです。
(元となった実際のスペースの録音も下にあります)
・そんなものはない
・そのほとんどはトランスヘイターが作った「屏風の中の虎」
・トランスジェンダー当事者の99%は知らない
・「私は女だ」と言えば女性として扱わないといけない思想
・『トランスジェンダリズム宣言』という本との名前かぶり
・ヘイターが差別をするため、偏見を煽るために作り上げた概念
・昔、性転換症を指す「トランスセクシュアリズム」という言葉から
トランスジェンダーであることを指す言葉として存在した
・概念や症例を指すときにも-ismという言葉がつく
・現代的に使われているトランスジェンダリズムというのはただの陰謀論
実際のスペースの音声(字幕つき)
仲岡しゅん氏の批判への反論
仲岡氏による「そんなものはない」という解説ですが
それらは「ない」ということの説明に全くなっていません。
簡単に、以下のような反論をすることが可能でしょう。
・当事者が使っている言葉ではないので、
当事者が知らないことはおかしいことではない
・主義や主張、思想や体系を指すときにも-ismという言葉・接尾辞はつく
・現在「性自認至上主義」を指す言葉として使われている
・昔使われていた言葉の意味の説明があったが、
「名前かぶり」というのは、その主義や主張、
思想や体系が「ない」ということの説明に全くならない
本記事で確認すること
その上で、本記事では
以下のことについて確認をしたいと思います。
文章が長くなりましたので、前編と後編に分けました。
<前編>
・昔使われていた「トランスジェンダリズム」という言葉について
<後編>
・現在使われている「トランスジェンダリズム」(性自認至上主義)
という言葉について
・それは仲岡氏の言うように
「『私は女だ』と言えば女性として扱わないといけない思想」
を指すのか
・それは「ただの陰謀論」なのか
2.「病的状態」としての「トランスジェンダリズム」
「トランスセクシュアリズム」
仲岡氏の解説の中で、
昔使われていた「トランスジェンダリズム」
という言葉の意味について解説されていました。
もともと性転換症を指す「トランスセクシュアリズム」
という言葉が先に使われるようになり、
その後、その言葉を受けて「トランスジェンダリズム」
という言葉が、トランスジェンダーであることを指す言葉として
使われるようになったということでした。
このことについては、
『トランスジェンダー入門』(集英社新書)という本でも
以下のように簡単に触れられていました。
歴史の中で
「トランス的な人々」と言われる人たちに行われていた
医療行為の倫理性が問われる中で、
「トランスセクシュアリズム」(性転換症)という
病名・症例・概念・言葉が使われるようになったという説明です。
病名の語源と「症」という言葉の多義性
仲岡氏がおっしゃる通り、-ismという言葉・接尾辞は
病名や疾患名を指す言葉で「も」あります。
仲岡氏は、同じような疾患名の例としてほかに
自閉症「オーティズム(aut-ism)」
アルコール依存症「アルコリズム(alcohol-ism)」
リウマチ「リウマチズム(rheumat-ism)」を挙げておられました。
しかし、これらの言葉の語源について調べてみると
それぞれ異なる言語や背景から生まれた言葉である
ということがわかりました。
自閉症「オーティズム(aut-ism)」の語源
→ 1912年、スイスの精神科医ポール・ブロイラーによって創造された
ドイツ語のAutismusから派生した言葉で、
ギリシャ語のautos(自己を意味する、auto-を参照)と、
動作や状態を示す接尾辞である-ismos(-ismを参照)が
結合したもの
アルコール依存症「アルコリズム(alcohol-ism)」の語源
→ 1882年にalcohol + -ismから
またはスウェーデンの医学教授マグヌス・フースが
1852年に現代ラテン語alcoholismusから
リウマチ「リウマチズム(rheumat-ism)」の語源
→ 関節の炎症や痛みを引き起こす様々な似た病気に
適用されるようになったのは1680年代から
ラテン語のrheumatismusから
これはギリシャ語のrheumatismosに由来し、
rheumatizeinから
「流出に苦しむ」という意味で、rheumaから
この中で、自閉症とアルコール依存症は
どちらも日本語では「○○症」と訳されますが、
この「症」という日本語についても、
精神医学の分野において、以下のような指摘がなされています。
「症」という言葉は「多義性」を有しており、
「便利ではあるがその使い分けは不明瞭となりやすい」
「病名(疾患名)とdisease(病)、disorder(障害)の使い分けが
十分に検討されなければならない」
と述べられています。
ここで、仲岡氏が
「アルコール依存症」を指す言葉として挙げていたalcoholismは、
小論では「アルコール症」と訳され、
「アルコール依存症」は、alcohol dependenceの訳語であると
書かれています。
小論で述べられているように、
仲岡氏もまた言葉の使い分けが不明瞭であるのかもしれません。
-ismという言葉・接尾辞の多義性
一方で、英語の-ismという言葉・接尾辞もまた
「疾患名」「病」だけではない意味の「多義性」をもっています。
小論の中でも、negativism;拒絶症という
病名を意味しない言葉が紹介されていました。
辞書によれば、-ismには以下のような複数の意味があります。
ここで、前述のalcoholismが
「4.病的状態の意」の用例として紹介されています。
この「病的状態」というのは、必ずしも具体的な
「病名」や「疾患名」を指すわけではなく、
小論においてalcoholismが
「アルコール症」(症候・概念)と訳されていたように、
ある程度意味に幅がある言葉であるということがわかります。
それだけでなく、-ismという言葉・接尾辞自体が
もともと「病的状態」以外にも
「1.行動・状態・作用」、「2.体系・主義・信仰」、
「3.(言語・慣習などの)特性・特徴」など
人やものが何らかの状態や特性、特徴や方向性をもっている
ということを表すことのできる「多義性」を有しているのです。
ちなみに、
性疾患症「トランスセクシュアリズム(transsexual-ism)」の
語源について、前述の語源辞典では以下のように書かれていました。
性疾患症「トランスセクシュアリズム(transsexual-ism)」の語源
transsexualismの語源についての文中には、
「性的な身体的構造を含めた
自分の性的ステータスを変えたいという強い願望」
という説明がありました。
一方で説明には、仲岡氏の言葉や『トランスジェンダー入門』にあった
「疾患名」「病名」を指す、という説明も無ければ、
「症候・概念」を指すという説明すらありませんでした。
仲岡氏や『トランスジェンダー入門』の説明は間違っているのでしょうか。
私はそのようには思いません。
上記のtranssexualismの語源の説明を
「4.病的状態」として理解するならば、
以下のようになるでしょう。
transsexualismとは、
「性的な身体的構造を含めた自分の性的ステータスを
変えたいという強い願望」をもっている
「病的状態」を指す言葉である。
そして、その「病的状態」を指した
性疾患症「トランスセクシュアリズム」という言葉が元となり、
トランスジェンダー当事者の「病的状態」を指す
「トランスジェンダリズム」という言葉が使われるようになった
ということを、仲岡氏と『トランスジェンダー入門』は
説明しているのでしょう。
そして、それらの言葉が「昔使われていた」
(が、現在は使われない)というのは、
それらが現代では「病気・病的状態ではない」と
捉えられるようなったからであるということでしょう。
このことは、「トランスジェンダーの脱病理化」として、
『トランスジェンダー入門』において説明されています。
ちなみに、この記事の執筆時点で(2023.7.22)
同辞典の中に「トランスジェンダリズム(transgenderism)」という言葉は
過去に使われていたという説明も含め、ありませんでした。
しかしいずれにしても、はじめに述べた通り、
本記事で説明する「トランスジェンダリズム」は
「性自認至上主義」とも言い換えられる新しい概念であり、
昔使われていた(が、現在は使われない)と説明されている
「病的状態」としての「トランスジェンダリズム」という言葉とは、
音は同じであっても異なる意味を指す言葉であるということです。
「体系・主義・信仰」を指す-ism
前述の通り、英語の-ismという言葉・接尾辞は
「体系・主義・信仰」を指す言葉として「も」使われる言葉であり、
辞書では用例として、以下の二つが挙げられていました。
ダーウィン主義「ダーウィニズム(Darwin-ism)」
→ ダーウィンの「自然淘汰説」に立つ思想
カルヴァン主義「カルヴィニズム(Calvin-ism)」
→ カルヴァンの思想、キリスト教改革派教会の信仰と神学思想
他によく知られる言葉としては、
自由主義「リベラリズム(liberal-ism)」
女権主義「フェミニズム(femin-ism)」
マルクス主義「マルキシズム(marx-ism)」
などがあるでしょう。
同じように、「トランスジェンダー」に関する
ある「体系・主義・信仰」、思想や運動を指す言葉として
「トランスジェンダリズム(transgender-ism)」
という言葉が使われたとしても、何の不思議もありません。
それが表しているのは、仲岡氏が述べている
「病的状態」としての「トランスジェンダリズム」
つまりは「トランスジェンダーであること」とは異なる意味です。
それは、英語の-ismという言葉・接尾辞のもつ「多義性」から、
「性自認至上主義」ともいわれる
ある「体系・主義・信仰」、思想や運動を指すために、
女性たちによって
「トランスジェンダリズム(transgender-ism)」という言葉に
新たに見出され、付与されるようになった、新しい意味だということです。
ここまでのことをまとめると、以下のようになります。
・「トランスジェンダリズム」という言葉は
性転換症を指す「トランスセクシュアリズム」と同様、
トランスジェンダーの「病的状態」を表す言葉として
過去に使われていた言葉である。
・その言葉は「トランスジェンダーの脱病理化」に伴い、
現在では使われなくなった。
・しかし現在、「トランスジェンダー」に関する
ある「体系・主義・信仰」、思想や運動を指す言葉として、
「トランスジェンダリズム」(性自認至上主義)という言葉が
新たな意味をもって使われるようになっている。
(後編に続く)
次回、後編の記事では、この
主に女性の権利を求める人々の間で使われている
「トランスジェンダリズム」(性自認至上主義)という言葉の詳しい意味と、
それが示している「体系・主義・信仰」ともいえる思想・運動について、
実際に存在している言説や主張、運動の実体なども見ながら解説します。
それは、仲岡氏の言うような
「『私は女だ』と言えば女性として扱わないといけない思想」を指すのか、
そしてそれは「ただの陰謀論」なのか、ご一緒に考えていただければと思います。