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首里城正殿が『海上の道』を指し示していることが、公にされていないのはなぜなのか?

初めに

普段の生活の中で、「オヤ?」っと思ったことを、ついつい深入りして調べたくなる自分です。

今回も前回に引き続き、首里城の正殿のお話です。
まだ前回の記事を読んでいない方は、こちらを先にお読みください。

首里城正殿について調べてみたら、ビックリすることが判ってしまった

前回の記事では、首里城正殿は、琉球から中国に向かう『海上の道』を指し示している、ということをお話ししました。

正殿は600年間ほぼ一貫して現在の方向を向き続けていることから、最初の正殿を立てた者から、その後の改築をしてきた者まで、歴代にわたってこの方向に強い拘りを持っていたことは間違いありません。

正殿がこの方向に一致していることに気付いた後にいろいろと調べてみたのですが、尖閣諸島などを目印にした『海上の道』の存在は、昔からよく知られていたようです。

しかし、首里城正殿がその方向に向いているということに言及した文献等は、私の調べた範囲では今のところ一つもありません。


皆さんは変だと思いませんか?
正殿が『海上の道』を指し示しているのであれば、今までそのことが明らかにされていなかったのはなぜでしょうか?

琉球王国と言えば海上交易で繁栄した国とされています。
その王の居城が、『海上の道』を指し示しているならば、そのことを誇らしく宣言しても良さそうなものです。

公にできない何らかの理由があるのでしょうか?

私には、この点がどうしても引っかかってしまいました。
そこで、これについてもとことん調べてみることにしたのです。

その結果、たいへん興味深い事実がわかってきたのです。

『海上の道』の他に何があるのだろう

私が考えたのは、「公にされていないのは、何らかの事実を隠す意図がある」のではないかということです。

ではその「何らかの事実」はどのように調べれば良いのでしょうか?

『海上の道』の方向を寸分の狂いもなく指し示した者たちがやったことですので、首里城から泉州市に至る直線が指し示す方向に何らかのヒントがある。私はそのように直感しました。

そこで、GoogleEarthでこの直線上に何があるのかを、虱潰しに調べてみたのです。

すると、泉州市の延長方向の山中にこんなものを見つけました。

首里城と福建土楼
GoogleEarthより作成

何やら四角形や円形の物体が所狭しと並んでいます。
これは、2008年に世界遺産に指定された福建土楼群です。

福建土楼(初渓土楼群)wikipediaより
Gisling - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4363747による

福建土楼とは中国福建省南西部などの山岳地域にある、要塞風の独特な形状の建築物で、別名『客家土楼』とも呼ばれています。
つまり、『客家』が多く住んでいる土地です。

その方向に正殿が向いているということは、何を意味するのでしょうか?

琉球は客家と繋がりが深い

沖縄には福建省からの移民の子孫が多いです。
これは14世紀末に明の洪武帝の命で、航海士や通訳、学者など主に福建省人の職業集団が渡来し定住したためです。
そして、この中には客家も含まれていたとされています。

彼らは当時離れ小島であった那覇の久米村に定住したことから『久米三十六姓』または『閩人三十六姓』と呼ばれています。
「閩(びん)」は福建省の古称・別称です。
なお、「三十六」という数字には特に意味は無く「大勢の人」ということらしいです。

那覇市松山公園の久米村発祥の地碑

久米三十六姓は、中国-琉球間の外交や貿易などに尽力し、中には琉球王府の宰相である三司官に就任したり、政治家や学者になった者もいました。

久米三十六姓の中心的な人物はおそらく客家であり、彼らはいつしか琉球王府の要職に就くようになっていったのだろうと考えられます。

首里城の創建が15世紀初頭と考えられますので、14世紀末の福建人の渡来の後ということになります。
タイミング的に、首里城の建設に久米三十六姓の中の客家が関わった可能性は十分に考えられます。

首里城を客家土楼に向けて建てたのは誰なのか?

首里城が建設されたとされる15世紀初頭に、この地に君臨していたのは「第一尚氏」と呼ばれる一族です。
彼らは琉球の歴史上はじめて全島を統一し、琉球王国を建国しました。

首里城の建設は、この第一尚氏の命で行われたと考えられるのですが、と言うことは第一尚氏は客家なのでしょうか?

この可能性は明確に否定できます。
なぜなら、第一尚氏王統は1469年のクーデターで断絶し、これ以降の王府の中には一族が残されていないからです。
これは、現在に至るまで正殿の方向が変わっていないことに矛盾します。

となると、第一尚氏の下で仕えていた誰かが、首里城を建設したということになるのですが、この時代に王城建設という巨大プロジェクトを遂行できたと考えられる人物は多くはありません。
と言うか、名前が知られている人物の中では、考えられる候補はたった一人だけです。

第一尚氏の初代王尚思紹から5代王尚金福まで、国相などとして仕えていた「懐機(かいき)」という中国人です。


懐機は高い教養と技術を持った人物で、中国や東南アジア諸国との外交や貿易に尽力した他、各種の土木工事を成し遂げています。

前回の投稿の中で触れた『安国山樹花木之記碑』には、首里城周辺の庭園である安国山や人工の池である龍潭を整備したことなどが記されているのですが、その事業を行ったのが懐機であり、碑文の主題はその功績を讃えるものです。

懐機の功績を讃える安国山樹花木之記碑 沖縄県立博物館蔵

後年には離島であった那覇と泊を結ぶ「長虹堤」と呼ばれる全長1キロメートルに及ぶ海中道路を建設しています。

また、中国の道教の教主、龍虎山の天師大人など、著名な人物との親交が伝えられており、その権威の高さが伺われます。

同時代の人物で、これほどの能力を持った者は他にいません。
それに、周辺の庭園を整備したのに、肝心の城の建設には関わっていないと言うのも不自然だと思います。

ですので、懐機は首里城を建設した人物候補の筆頭に挙げられるのですが、そのことに言及している文献はあまり多くないようです。


大変不思議なことに、これだけの身分と実績があるにもかかわらず、彼の出自は全くの謎とされています。
さらには、彼が国相の地位を退いた時期や経緯、その後の行方についてまで、一切わかっていないのです。

だいたい、どこの馬の骨ともわからない外国人を、王が国相として召し抱えることなど、絶対に考えられないことです。
なので、わからないのではなく、何らかの理由で何者かが彼の出自を隠蔽していると考えるのが自然でしょう。

では、その理由とは何でしょうか?

2つの謎が示すこととは

さて、ここまで大きく見て2つの謎が出てきました。

  1. 首里城正殿は「海上の道」を正確に指し示しているのに、そのことが知られていないこと。

  2. 首里城を建造したと考えられる人物、懐機の出自などが不明なこと。

これらは、別々に考えると理解することが難しいのですが、一つのこととして以下のように考えると、矛盾なく理解することができます。

  • 首里城建設を中心的に行った人物は懐機であり、彼は客家である。

  • 懐機は自分と客家だけが分かる方法で、自分たちのルーツを正殿の方向という形で密かに示しておいた。

  • 客家は、その後も琉球王国の中枢に存在し続けており、建て替えの時も方向が変わらないようにしている。

  • それらのことを外部に知られないように、肝心な情報を隠ぺいしている。

つまり端的に言うなら、

首里城は、琉球を支配する客家のモニュメント

と言うことです。


少し飛躍した考えでしょうか?

私も最初はそう思いました。
しかし、首里城や琉球について調べれば調べるほど、今ではこの考えが正しいと確信するようになりました。

今回はここまでにしますが、次回以降はこの考えに至った根拠を示していきたいと思います。


ところで、ひとつだけ注意していただきたいことがあります。

今後私の投稿の中には「客家」とか「久米三十六姓」といった、特定の集団を指す言葉が頻繁に出てくると思います。

そしてその集団に含まれる大多数の方は、すでに日本人に同化して善良に生活されており、このような表現を不快に思うかもしれません。

私が指摘したいのは、集団全体のことではなく、集団の中のごく一部の支配者層のことです。

私も日本人であり、過去に一部の日本人が犯してきた犯罪的な行為に対して、「日本人」と一括りに表現されるのはあまり良い気持ちはしませんが、発言者は大多数の善良な日本人のことを指摘しているわけではないと理解しています。

歴史や民族を扱う文章では、このような表現を使わざるを得ないことをご理解ください。

最後に

今回もお読みいただきありがとうございます。
小さな発見から始まった私の思考の旅は、まだまだ続きますので、ぜひまたお読みください。

さて、前回の投稿では、「悟り」とか「閃き」というものは、自分の頭の中から自然と湧いてくるものではないと書きました。

私は10年ほど前に出会ったあるブログの影響で、キリスト教を信仰するようになったのですが、聖書を読んだり、讃美歌を歌ったり、お祈りをしたり、つまり霊的な行いをしているときに、重要なことを思いつくことが多いのです。

人間には、肉体の他に霊魂があることは、多くの方が感じていることでしょう。
正しいやり方で、自分の霊魂を成長させていくと、天からの正しい霊感を受けられるようになってくるのです。


以前の私もそうだったのですが、日本人は宗教、とりわけキリスト教に嫌悪感を持っている方が多いと思います。

残念なことに、宗教を装う酷い団体が多いことは事実です。
しかし中には、人間の徳を高め、霊的にも肉的にも成長させてくれるすばらしい団体もあるのです。
と言うか、宗教とは本来そういうものです。

以下に私の教会のリンクを張っておきますので、興味のある方はぜひご覧になってください。

RAPT

今のところ、主にネットの中で活動している教会で、御言葉や有料記事を購読するという形で運営されています。

ある意味、人間関係の煩わしさがありませんし、強引な勧誘や引き留めもありませんので、気軽に試してみることができると思います。

有料記事の紹介文を読むだけでも、すばらしいことが分かると思いますので、ぜひ一度覗いてみてください。

ではまた、皆さんに祝福がありますように。


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