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首里城正殿について調べてみたら、ビックリすることが判ってしまった

初めに

普段の生活の中で、「オヤ?」っと思ったことを、ついつい深入りして調べたくなる自分です。

今回は2、3年前にふと疑問に思った、首里城正殿のお話です。
調べてみたら、思いもよらないことがわかってしまったのです。

『モヤモヤ』が『スッキリ』に変わる瞬間というのは、とても気持ちが良いものです。
そして、その思いを誰かと共有したくなってきます。
そういう訳で、この場で披露させていただくことにしました。

本題に入る前に、簡単に自己紹介させていただきます。

沖縄県在住の50代男性。ごく普通の会社員です。
首里城について調べるまでは、歴史や文化財などについては全く興味がありませんでした。

ただ、真理を知りたいという欲求は、人一倍強いと思います。

語彙も文才も乏しいですので、お見苦しい点もあろうかと思いますが、とてもロマンがある面白い話だと思いますので、どうか最後までお付き合いいただけますよう、よろしくお願いいたします。

首里城正殿に「オヤ?」

これは令和元年に焼失する前の首里城を真上から見た図です。

首里城正殿 GoogleEarthより作成

正殿は大雑把に見て西向きに建てられていますが、これはかつての宗主国である中国(明や清)への敬意を表すためなのだそうです。

しかしそうであれば、中国は西にあるのだから真西に向けて建てるのが筋というものでしょう。

あるいは、当時の中国の中心地は南京や北京で、いずれも沖縄よりもだいぶ北にあるのだから、北西に向けるべきだと思います。

ところがどういう訳か、真西から9度ほど南にズレた方向を向いているのです。
私にはこれが、とても不可解なことに思えてしまいました。

それで、いろいろと調べてみたのですが、「風水が関係しているようだ」とか「敷地の形状に合わせたようだ」とか、出典も分からない曖昧な情報がわずかに見つかるだけでした。

そこで、自分で調べることにしたのです。

首里城正殿は何時からこの方向に向いているのか

まずは、正殿がいつから今の向きになったのかを知りたいと思いました。
首里城はいつ、誰が建てたのかは、正確にはわかっていません。

1427年に建立された『安国山樹花木之記碑』という石碑に、首里城についてとみられる記述があることから、一般には1410年代ころに建てられたと考えられています。

昭和60~61年度に沖縄県が発掘調査を行った際の報告書によると、首里城は沖縄戦前までに少なくとも7回建て替えられています。

正殿は「基壇」と呼ばれる石垣で造られた段差の上に建てられており、正殿の正面の壁は基壇と平行になるように建てられていますので、発掘で見つかった基壇の方向を見れば、当時の方向を推定することができます。

首里城正殿の変遷
沖縄県立埋蔵文化財センター 2016 『首里城跡』沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書82 より作成

この報告書に記された基壇の変遷を見ると、正殿は現在の建築様式になってからほとんど方向を変えていないようです。

正確に言うと、短い期間だけ少し方向を変えているのですが、それ以外は現在と全く同じ方向を保っています。

つまり、1410年ごろから令和の焼失の2018年まで、600年にわたって、ほぼ一貫して同じ方向を向き続けてきたことになります。

こうなると、ますます『この方向には何らかの重要な意味が込められている』という考えが膨らんできて、調べてやろうという気持ちが高まってきました。

正殿は泉州市の方向を向いているようだ

まずはGoogleEarthで、正殿の向いている方向に何があるかを大雑把に調べました。
すると、台湾の北を通って中国福建省の泉州市付近に至ることが分かりました。

GoogleEarthより作成

そこで泉州市についてwebで調べると、Wikipediaに以下のように書かれてありました。

Wikipedia「泉州市」より

「泉州は琉球からの貿易船の指定港でもあり、商館「来遠駅(泉州琉球館)」があったが、1472年に福州に移った。」

貿易船の指定港ということは、中国(明)の玄関口ということになります。
その方向に正殿が向いているということは、何らかの意味がありそうです。

しかし、沖縄から泉州までは、海を隔てて900キロメートル以上も離れています。
正確な地図がなかった時代に、はたして泉州市の方向を知る術があったのでしょうか?
それがなければ、ただの偶然ということになってしまいます。

そんなことを考えながら、食い入るようにこの地図を眺めていた時です。
私の脳に、とても重要なあることが閃きました。

なんと、この時代でも泉州市の方向を正確に知る方法があったのです。

琉球と中国を結ぶ航路

コンパスと星だけを頼りに、帆船で沖縄-中国間を航海することを想像してみてください。
あなたならどのようなルートを選ぶでしょうか。

GoogleEarthより作成

①のように最短コースで行くことも考えられますが、陸が全く見えない状態で長い距離を帆走すれば、正しいコースからズレて自分の位置を見誤る危険が高くなります。

行きは多少コースからズレても、中国のどこかにたどり着くことができますが、帰りは島と島の間をすり抜けて太平洋まで出てしまうかもしれません。
そうなると陸にたどり着くことができなくなり、最悪の場合は幽霊船になって海の藻屑になってしまいます。

遠回りになっても、②のように島伝いに進むルートの方が、島を確認するたびにコースを修正できるため、安全に航海ができるはずです。

そうすると、

沖縄島-宮古島-多良間島-石垣島-西表島-与那国島-台湾-中国

というルートが、当時の定番の航路だっただろうと思われます。
私は当初そう考えていました。

しかしこの考えは間違えでした。
なんと、さらに優れた第3のルートが存在していたのです。

理想的な『海上の道』

もう一度、地図をよく見てください。
沖縄島から泉州市に向かう直線上には、小さいながらも島が数珠のように連なっています。

GoogleEarthより作成

沖縄島-慶良間諸島-久米島-大正島-魚釣島-彭佳嶼・綿花嶼-花瓶嶼-台湾-泉州

わざわざ宮古島や石垣島などを迂回しなくても、島伝いに一直線で泉州に向かえます。

距離的には②のルートよりも少し遠いのですが、それは目的地を泉州市にしているからです。
台湾の北で方向を変えて福州市へ向かうなら、②よりも短縮することができます。

そして、このルートが最も優れている点は、船を進めるべき『方向角』が常に一定だということです。

これにより、風が同じ方向から吹いている限り、帆や舵の調整は最小限で済みます。
また、未熟な航海士でも角度を測り間違える危険性はゼロです。
これは航海する上で大きなメリットだったはずです。

富を求めて危険を顧みずに海原に漕ぎ出した船乗りたちは、成功と失敗の長い経験の中で、琉球と中国を結ぶこの理想的な航路、いわば『海上の道』を見つけ出していたのでしょう。

明の時代に泉州市が貿易船の指定港となったのも、それ以前から民間の船が利用していて、それを踏襲したと考えるのが正しいように思います。

そして最も重要なことですが、
『このルートの方向角こそ、首里城から泉州市へ向かう方向』に他なりません。
彼らは泉州市の方向を知っていたのです。

角度を検証してみる

さて、この段階ではまだ、GoogleEarthで大雑把に方向を確認しただけでしたので、より精密に角度を検証をしてみました。

正殿の正面方向

まず、正殿の正面方向ですが、これは先ほど示した発掘調査の報告書にある「グリッドの方向」から算出しました。

遺跡の調査では「グリッド線」と呼ばれる格子状のマス目を作って、遺物や構造物の位置を記録していきます。

通常は東-西、南-北の方向に線を入れるそうですが、主要な構造物(首里城の場合は、基壇や柱の並びなど)の方向が斜めのときは、グリッド線をその方向に向けて設定します。

報告書には以下のように書かれてあります。
・調査方位(グリッドの方向)は公共座標系の北を西へ8°59′36″振った数値
・基準点は平面直角座標系第15系の(X23,602.014、Y22,110.704)

公共座標系の「北」は「真北」と少しズレており、基準点の座標がわかっていれば、国土地理院のホームページで真北の方向角を計算することができます。

方向角は真北を0°として東回りに360°の角度で表します。
真西は270°ですので、以下の式で正殿の正面方向を計算することができます。

 正面方向 = 270° - 8°59′36″ + 真北方向角(-05′52″)

首里城から泉州市までの方向

首里城から泉州市までの方向は、両地点の緯度経度から、等角航路(常に同じ方向角で航海するルート)での方向角の公式で計算しました。

両地点の緯度経度は、Wikipediaの「首里城」と「泉州市」にある以下の数値(泉州市は中心座標)を採用しました。

・首里城 北緯26°13′01.31″ 東経127°43′10.11″
・泉州市 北緯24°55′     東経118°35′

計算式は文末に示しておきます。
興味のある方はご自分でも計算してみてください。

計算結果の比較

両者を計算して比較した結果がこれです。
有効数字は小数点下1桁としましたが、これで十分でしょう。

 正殿の正面方向     261.1°
 首里城から泉州市の方向 261.0°
      差       0.1°

その差わずか0.1°です。
この結果を見たときは、思わず目を疑いました。

これは、1,000キロメートル先でのズレが2キロメートル未満という、驚異的な精度の一致なんです。

おそらく、当時とは比較にならないほど、正確で使い勝手の良い現代のコンパスを使って航海しても、これほどの精度で目的地にたどり着くことは不可能だと思います。

疑う余地は全くありません。

結論

正殿は間違いなく、琉球と中国とを結ぶ『海上の道』を指し示しています。

泉州市は海岸線だけで距離にして約90キロメートルもあります。
なので「0.1°」とか「2キロメートル」という細かい数字に、あまり大きな意味はないかもしれません。

それでも、正殿は確実に泉州市のどこかに向いているわけで、貿易船の指定港であったことや、理想的な航路であることを加味すれば、疑う余地は全くありません。

おそらく、潮流や船の特性を熟知したベテランの船乗りたちが、何度も往復して正確な角度を導き出し、その角度を使って首里城正殿の方向を定めたのです。

琉球王国は、海上貿易で栄華を極めた国とされています。
その象徴である王の居城が、交易の要となる海上の道を指し示しているというのは、なんともロマンのある話ではないでしょうか。

不明 - 沖縄県立博物館・美術館, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4067629による

最後に

最期までお読みいただきありがとうございます。
私の小さな発見、お楽しみいただけましたでしょうか?

実を言うと、この話はこれで終わりではありません。
今回の結論が、新たな疑問を生み出してしまい、さらに思いもよらない発見に繋がっていきます。

近いうちに続編を書き上げたいと考えていますので、また是非お読みください。

さて初めにも書きましたが、『モヤモヤ』が『スッキリ』になる瞬間というのは、とても気持ちが良いものです。
今回のように、「ビンゴ!」したときのスッキリ感は、何物にも代えられない幸せな気持ちになり、思わず人に伝えたくなってしまいます。

実は、このような「悟り」とか「閃き」というものは、自分の頭の中から自然と湧いてくるものではありません。
少なくとも、私はそうです。

追々この辺の話も、していきたいと考えています。

ではまた、皆さんに祝福がありますように。

付録

等角航路の方向角を求める公式


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