「何に気を使ってるの?」 という問いに対して
こんにちは!スピナビ ogaです!
今日も冷たい空気が気持ちよかった。
寒いけど、とても体を動かしたい気分だった。
青空がきれいで、白い雲を眺めていた・・・
そんな一日でした。
さて、本題に戻りまして・・・
実に私、すっごい緊張してしまう人間。
お友達や身近な人とのおしゃべりは全然問題はなく
かえって話したいこといっぱい!なのに・・・
教室や、初めて行く場所がめっぽう苦手。
何とも体が縮こまってしまい、モジモジしてしまう。
これって、前回にも書いた”繊細さんのせい?”
今では、HSPについての動画や本がたくさん出ているので
そう思って”いいんだよね、それはそれで。”
そう思える自分がいる。
特性だもの。性格の一部。訓練を無理にしても自分攻めが始まって
エスカレートする日もよくあった。
学校がとにかく、緊張の賜物。
教室という場所にいて、なぜあんなに恐怖感を覚えたのか。
それは、幼稚園の時に学年一荒っぽい男の子に
滑り台でいつも押される。早くいけよって、八つ当たりされる恐怖
から私の記憶は始まった。
まだある、ブランコの下になぜか水が入った紙コップが
置いてあった。
ブランコは二つ。
コップが地面に置いてある方のブランコになんて
絶対に乗らない。当たり前。理由は気になるから。
そんな時に、近所で一番活発な同級生と強面の2つ上の
双子の兄ちゃんが来た。イヤー――な予感!
ブランコから降りた私に、同級生の男子が近寄り
水の入ったコップを倒し、水がこぼれた瞬間・・・
強面兄ちゃん二人に「誰だよ、水こぼしたのは!!」
同級生に指さされ・・・「こいつがやった!」
(心の中で・・・え・・・わたし・・・)
驚きすぎて頭の中真っ白。
泣いた大泣きした。あれは5歳。
声も出ない・・・かわいそうな私・・・
初めて遊びに行った、引っ越ししてきたばかりの公園で。
今思い返しても、濡れ衣を着せる人間がいるとは・・・
本当に悲しかった。
近所に住む同級生は、引っ越しした私にやっこさんの折り紙や
手紙をくれていた同級生なのだ。
「一緒に遊ぼう。仲良くしてね」とか
今なら言える「ふざけんな。お前のせいで傷ついた」と。
スピリットナビゲーター ogaの幼少期に
こんなよくあるあるの出来事を書いた理由は愚痴ではなく
なぜに、こんなことが起きたのか。
あれから40年以上過ぎた今、思う返して感じるのは
人は裏切ることがある(全員ではない)
人は裏切る。(言い切り)
人はたまに裏切る(毎回ではない)
人は嘘をつく(言い切り)
人は場合によって嘘をつく(毎回ではない)
人は機嫌が悪いと八つ当たりする(理由が分かっている)
人はいきなり当たってくる(いつ来るかわからない。突然)
こんな気持ちが幼少期に何度も繰り返されて、小学校では
教室でみんなと同じ机といす、お道具箱、休み時間に遊ぶ
家から持ってきていいもの・・当時は折り紙などなど
その折り紙!色紙や、かわいいキャラクターの折り紙・・・
色々あって、またここでもなぜか・・・
私は可愛くてみんなが持っていない透明の折り紙を持っている
と聞きつけた、幼稚園の滑り台で押してきた学年一強い男子に
「それ、くれ」「くれないとぶっ飛ばす」
書いていて怖い気分だが、また!言われた!
私の心の中はモヤモヤ・・・違う!違う!
また、大泣きした。言葉が出ない。
やはり、アラフィフの今の私なら言える。
「何、言ってんの?私の折り紙だよ、私が決める権利がある」と。
幼稚園、小学校3年生まで泣きに泣いた
可愛い私は今はいない。涙も枯れ果てたくらい泣いた。
なのに、なぜ今?思い出したのは・・・
40過ぎて大学の履修証明をとる目的で勉強をしに大学に行った。
教室で・・・プレゼンの修行があり
毎回、レクチャーみたいのがあって
確か・・・ひとりずつ発表。
ここで、頭が真っ白になり、言葉が出ない。
中学、高校、短大、社会人と人前でド緊張はするものの発表は
特に問題なかった記憶。
しかし、なぜ?母親になって幼稚園のクラスでの一人一言。
子供の小学校での教室の中での母親の一人一言。
これがド緊張で話せない。
大学の履修証明の講座でのこと。
講師より「人生で一番記憶に残ったことを話してください。」
2人で身振り手振りを加えてレクチャーしてみてください、との指示。
そのあとに、話し方の感想を。
そこで、二人なのになぜかド緊張。
私の心の中でひとり大会議中が開始。
”相手は聞いてる。
うまく話さないと。
あーー落ちも入れよう。落ち入れたい。
お笑い芸人みたいにインパクトをつけたい”
これがみんな別の!!嘘だろ・・・である。
そして私の番で小さい時にみた雪男の話を・・・
本当に見た3歳の小さい私、母親に話した結果
怒られた記憶のある話。
しかし、あれから40年近く経ち、母親もいない教室。
話してしまえ!!…話した。
な、なんと実際に起きた話に
相手の方の感想が・・・
「話の内容はとても興味深かった。なんだけど、、
何に対して気を使って、そんなに小さい声になるの?」だった。
「誰に気を遣うの?誰に気を使っているの?」
「私は、あなたのクラスメイトだよ。上下もないし、
ここで同じ気持ちで学んでいるだけだよ」
そうです、そうです、そうなんですよ。
私もわからない。何に対して緊張していたのか。
場所か・・・
雰囲気か・・・
うまくこなそうとした自分の思考にか・・・
そんな感じ。
悲しい・・・
自分に裏切られたような気分がハラハラと紙のように宙に舞う・・・
今まで何だったの・・・
今までの人生なんだったの・・・
できたことができない。
うまくいっていたことがうまくいかない。
有頂天で嬉しかったことから、急暴落するほどの悲しみ。
全部、心の揺れ・・・ではないか!!
弱いのではない。結構、私メンタルは強いし、たぶん。
コツコツ頑張れる。陰で泣きながらでも努力できる。
体も弱そうにしているが、たぶん長生きな感じ。
家系的に90歳過ぎてる。(そういう話ではないか)
意外と、粘り強い。
そこで思う。
いつも、頭の中が忙しい。いつも、自分が悪いと思ってしまう。
いつも、誰かに振り回されていた。
今、ちょうど壁を超える声時。超えているのかわからないが。
気づいたことと、心と魂の声が別別と考えられる、感じるようになれたこと。
ここにスッキリ気分で、この緊張は自分を守るために現れた。
悪いものではない。守備だ。
これがあるから、何か守られていて、これがあるからうまくできない自分と向き合えている。いいんだよ。
うまくできないから、コツコツ努力し、うまくできるようになれた自分に会える日が来ると倍増に嬉しいではないか。
できない自分からできるようになる自分へグラデーションのように変化していく美しい。責めることなんてないよね。
こんな長文になってしまったが熱い思い。
自分をいつでもあたたかく愛そう!
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