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田舎者はなぜ「差別」をするのか

つい最近、こんな会話があった。青森県のド田舎町でのことだ。田舎育ちの中年女がこう言う。

「最近、どこに行っても中国人がいて気持ち悪い!中国人に日本が侵略される!」

それを聞いて俺は言う。

「侵略ではなくて観光だし、気持ち悪いって差別だろう。なんでそんなこと言うのか」

すると悪びれずに答える。

「店も地元の人を大切にしないで、中国人を優先しておかしい!中国人向けに値段を高くしている。そういうのワー(自分)は嫌い!」

「いや、値段が高いのは昨今の物価高で、中国人向けの価格ではないだろ」

「中国人は日本を侵略してるから嫌い!日本人が買い物できなくなる!」

「違うと思うよそれは」

ここまででもう会話は辞めた。ド田舎の人にはいつものことだ。話にならない。

俺は心の中でこう思う。

「じゃあ、コロナ禍で小規模な店が苦しんでいたとき、お前は『地元の人』として熱心に買い支えたのかよ」

そんなわけがないのだ。

当時やっていたのは、「県外ナンバーお断り」とか「マスク警察」とか「反ワクチン運動」とか「〇〇ナンバーですが〇〇在住ですステッカー」とか、そういう差別ばかりだった。この看板は当時、その街で実際にラーメン屋が掲げたもの。

八戸ナンバーお断り
田舎っぺ丸出しだった

あまりに恥ずかしくて目を覆うばかりの惨状だ。いかにも青森の田舎者という感じで。俺も青森県の生まれだが、ここまでの差別根性は目撃せずに育って幸運だったのだろう。悲惨なのは、この看板に何の疑問も持たない住民が大勢いたことだった。田舎っぺすぎると言われてもピンと来ない。
同質社会の恐ろしさとはこれだ。

なぜ中国人観光客が沢山来てはいけないのか。その「地元」とやらで沢山の買い物をして、店は住民税を支払う。そのことによって公共サービスを享受しているのはその「地元のみなさん」のはずだ。
コロナで死にかけた街が中国人や韓国人の観光客のおかげで復活しようとしているのに、見慣れないものを目撃するだけで、そうやって差別意識を発動するのがド田舎の人々なのだ。「ムラはオラたちのもの!」と変な地元愛を差別と共に振りかざすことがどんな結果を招くか、歴史が教えてくれている。どの時代でも外国人排斥運動や人種差別運動をしだすのは、その地域において学力のない底辺の人たちだ。

事実は何かよりも、自分が何を感じたかが大切な人たちが大勢群れて、何の疑問も持たずに差別発言をするという現実に、恐ろしさを感じる。

無知な同質社会では、何か問題が起きれば被差別者をリンチすることにも平気になる。X(Twitter)が典型だろう。リンチする側は自分を弱者と称するのも世界で共通している。身勝手な被害者意識を振りかざし、愛国心や地元愛を標榜し始め、ムラの外にいる人たちを殴り始めるのだ。

田舎の人はなぜ差別をするのか

田舎者がなぜ短絡的な差別を平気でするのかというと、単純な理由だ。

それは「無知」だから。
そして「同質社会」だから。

良くも悪くも、田舎では新しい刺激は少ない。時代遅れの服を着て、時代遅れの中小企業に勤めて、時代遅れの音楽を聴き、時代遅れの言葉を使い、時代遅れの価値観を振りかざし、時代遅れの仕事の仕方をする。昔の同級生といつまでもつるみ、Facebookに作ったグループでダル絡みを続ける。いつも仲間内で酒を飲んだり、仲間の誰かの家でバーベキューをし、話題は誰かの悪口、陰口。
そんな1年前どころか10年前とほとんど変わらない日常では、新しい知識が必要だとは思えないだろう。
あらゆることに文句は言うけれど、自分では何一つ変えようとはしない。何か変化が起きそうになると、過剰に神経質になって群れで攻撃しようとする。コロナでの新しい生活様式しかり、インバウンド観光客しかり。ファクトがどうかよりも、ムラのお仲間の空気がどうかが大切らしいのだ。

このように、無知と同質が蔓延る田舎町では、人は空気のように差別をする。いじめも多い。それで「田舎の人は都会の人より心が温かい」と本気で思っているから哀れなものだ。やっているのは逆だろうと。

俺は18歳で引っ越した東京の、それも新宿という街で差別を受けたことはない。俺の出身地も、問題のある出自も、抱えている病気や障害も、学歴も、誰も阻害しなかった。
「あなたのような田舎者に新宿が侵略される!」とか「気持ち悪い!」とか「消えて欲しい」とか言われたことは無いし、陰口レベルでも聞いたことがない。そう言われている人を見たこともない。

困ったことがあれば、見知らぬ人でも必ず声をかけてくれると信じられるのが新宿という場所だった。どんな人でも当たり前に生きてよかった。それもそのはずで、同僚の多くは外国籍の男女だったから。

しかし田舎だけの話ではない

もちろん東京であっても無知と同質が蔓延る場所はある。残念なことにそこではやはり田舎と同じく差別が存在する。やれ中国人だ、やれ韓国人だ、クルド人だと、よく知らないくせに差別発言ができる人たちがいる。
学力が低く、SNSなどで似たような人たちのコミュニティに属していれば、田舎者と同じ言動をするようになるのだ。
クルド人を見たこともないのに中傷をし、中国人と話したこともないのに気持ち悪いと言う。Xで見た知らない誰かの不謹慎になぜか怒り狂いリンチする。
無知、そして同質が蔓延る場所では必ず血祭りにあげる誰かが必要だから。

環境で人生が変わってしまう

田舎暮らしをしていても、知識・教養・情報に富んだ人もいる。決して多くはないが毎日のようにアップデートし続ける人もいるのだ。そのような人が家族や友達にいるだけで、無知と同質の地獄には陥らずに済む。

「美しすぎる市議とか、女性らしさとか、そういう言葉はジェンダーバイアスなんだね」と親から教養が得られる高校生もいれば、
「昔は○○ハラスメントなんてものはなかった。今は何をやってもハラスメントだ」と平気で言う親を持つ子供もいる。

環境次第でその後の子供の人生は変わってしまう。少しでも無知と同質から遠ざけるためには、公立学校よりも私立学校に進学したほうがいいだろうし、田舎よりは都会に住む方がいい。それらが叶わなかったとしたら、よほど親や友達に恵まれないと危険だ。マイルドヤンキーの群れにいたら人生詰んでしまう。頭が悪いのにSNSに居座ったら確実にバカになる。いずれ差別を無意識にしてしまう環境で生活することになるよ。

子供にいい環境を用意し、田舎者ではない大人として成熟させるためには、親の教養とお金が必要だ。しかし低所得の田舎暮らしではそのどちらも難しい。負の輪廻で世代を超えて同質してしまう。

もし友人や家族が頭が悪そうな差別を言い始めたら、一言だけ「それは違うと思うよ」と諭せばいい。そして静かに離れたほうがいい。

ムラ社会はいつの時代もあるし、絶対に変わらない。関わらないことだ。

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アキラ師
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