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癒しに向かう日々のこと

幼い頃、虐待を受けて育った。今の時代なら確実に警察沙汰になり両親は刑務所に入り、俺自身は養護施設に入れられたと思う。
虐待のうえに捨てられて、俺は新しい両親のもとで育った。

俺にはそれはトラウマでもなく、虐待した両親のことは恨んではいない。今も好きだし、また会いたいと願ってきた。亡くなったのでもう叶わないけれど…

そんな話をすると、「恨んでないの?」「もっと素直になったら?」「心の声を吐き出して」などと言う人たちは必ずいる。いや、ほんとにそんな感情はないし、ごく普通の人生を送っているので、内なる子供を癒しましょう的なお節介をされると困惑する。

もちろん世の中の人たちがそう簡単に他人を許せないことも知っている。いつまでも「思い出し怒り」をしていることを。

許せない!という感情を何十年も抱えて生きるそのエネルギーに感心するが、いい歳をしたオバサンがそんな姿を晒すのは決してカッコいいことではないだろう。内なる子供なんてどこにもいない。鏡の前にはオバサンがいるだけだ。内なる子供というファンタジーを持ち出して、怒ってみせたり、癒しごっこをしてみたり、時にはスピリチュアル的な妄想を展開してみたりしても、はっきり言って人生は何も変わらない。変わった人を見たことがない。
カウンセラーや占い師に依存するほどに嫌な顔つきにさえなっていく。

古い友人と和解した

先日、15年にわたって遺恨を残していた友人女性と和解した。2011年の秋に激しく口論になって付き合いをやめた人だった。口論だけではない。会社のお金を盗んだり、既婚男性との不倫の挙句に俺に不義理をしたり、俺についての嘘を方々で言ったりと、散々な状態だった。
そうかといって俺が被害者かというと決してそうでもなく、俺もひどいことを言ったし、最後は無視もした。お互いに非があるのは確かだ。
まだ若かったので2人とも喧嘩が激しかった。

だが俺は決して恨みを持つタイプではない。揉めて別れていつまでも悪く思ったりはしない。15年もの間、ことあるごとにあいつはいま何をしているんだろうと思い出していた。

時間が経てば経つほどいい思い出しか残らないのも俺の性格だ。頭が悪いのかもしれない。
彼女はムカつく奴だがまた話をしてもいいなと思っていたものの、そのきっかけはない。いや、きっかけは作ろうとすればあった。共通の知人はいたし、実家も知っている。親と話したこともある。電話番号も知っている。

きっと俺が連絡を入れても無視をするだろう。逆に俺に連絡があっても返事をするかどうかは分からない。そんな感じで15年を過ごした。

そもそも友人女性のことを考えると、不可解な性格をしていたと思い出す。他人に影響を受けやすく、選民的な思考になって威張ったり、あるいは被害者意識を強く持つ。要するに他人に迷惑をかけるタイプのメンヘラだ。
母親は精神疾患で通院中、父親はイキリ散らしたDV、父親のさらに父親、つまり祖父は身体障害者だった。
しかし、彼女本人の遺伝的な要素や生育環境をこの人間関係のトラブルの原因として持ち出すのは見当違いだろう。

ここ数年ずっと考えてきてふと気づいたのは、何か深刻なトラブルが起きた時にはるか上空から神様の目線で俯瞰してみると、全く違う景色が見えるということだった。
彼女がメンヘラすぎるのは、遺伝でも生育環境でもない。生命の流れのようなもっと大きな背景と「結びつき」の中に深い問題があると気づいた。

たとえばひとりの男性がDVの問題を起こしているとする。妻を殴ったり子供を蹴ったりするわけだ。この問題の原因を紐解くとき、男の性格や人格、あるいは親から虐待を受けていたという生育環境のせいにするのは簡単だ。警察も検察も裁判員もそう考えるだろう。
しかしそれらは全部表面的なものでしかない。性格や人格を正そうとしたり、虐待された内なる子供を癒そうとスピリチュアルやカウンセリングにハマったりしても、何も変わらない。何度もDVを繰り返すはずだ。

そこで、もっと高い目線から俯瞰してみると、DVの原因は、DVをする加害者男性の母親が夫の母親(姑)と不仲だったこと、加害者男性の母親のさらに母親が学歴が低いこと、などが影響していると気づく。
加害者男性が自身の父親から受けた虐待の体験や生来の性格の問題ではなく、姑との不仲で母親が息子である加害者男性に依存したことが根源的な原因だと分ってくる。さらに母親は無教養な家庭で育ち、自分も知的な思考が出来ないままであることも影響している。

もし加害者男性のDVを辞めさせることができ、家庭に癒しの時間が訪れるとしたら、何をするべきだろうか。それは加害者男性への直接の働きかけではなく、男性の母親に対する他人の言葉や態度が重要なのだろう。
別にスピリチュアルなことではなく、生命の流れの中で絡み合った糸をひとつひとつほぐしていくような目線が必要ということだ。問題を起こしている本人に「内なる子供を癒す」とか「感情を吐き出す」なんて言っても、強引な力技でしかないので何も変わらない。

話を戻すが、俺の友人女性の場合、俺の方から働きかけをすることにした。DVで荒れ狂っていた彼女の父親に会いに行った。むかし話したことがあったので難しくなかった。別に彼女のことを聞き出すわけではなく、あくまで父親と久しぶりに会い15分ほどコーヒーを頂いて会話をしただけだ。父親はすっかり老け込んでいたが、俺のことを懐かしいと喜んでくれた。実家にあった祖父(身体障害者だった)の仏壇にも線香をあげた。

その後も何度か会った。最初は少し堅く、何か怒りを溜め込んでいるかのような人だったが会うたびに柔らかくなった。精神疾患の妻(友人女性の母親)の病院の送り迎えのついでにいつも2人でラーメンを食べるんだと話すようになった。
「アキラ君、あそこの店の味噌ラーメンを食べたことがあるか、旨いぞ」と勧めてくれた。

それから1年が過ぎ、偶然、病院のロビーで友人女性と会った。お互い驚いたが、何もなかったかのようにはしゃいでハグをした。ベンチに座り少し話をした。過去のことには何も触れずに。
「母がアキラにまた遊びに来てと言っていたよ」と聞いた。「母親が喜んでいた」

父親に最初に会いに行ったことは知らないのかもしれない。俺は母親に直接会いに行ったことは一度もないのだ。母親に会っていないのに、母親が喜んでいるのは、俺が父親との会話を通して間接的に母親に影響があったからだ。

父親から母親とラーメンを食べに行くという言葉が出たのが良かった。母親に対して最近とくに父親が柔らかく優しくなったのだと思う。

父親の絡んだ糸が母親への優しさになって解けていったのだろう。

友人女性が言う。
「私、むかしから父親より母親との関係がしんどくて。私に依存して束縛して。それが最近和らいだんだ」

それだけではない。きっと父親は、祖父の身体障害を心配し続けてきた。そこにDVにいたる不安と不満があったはずだ、仏壇を拝んだ時に祖父の昔話を聞かせてくれた。
俺の父親も身体障害者であったこととを教えた。俺自身も話して癒しがあった。共感と同情があった。俺もありがたかった。
そうして父親自身の感情が解き離れたのだと考えている。そのことで母親もまた解放されていったんだ。

友人女性の表情も、見たことがないほど柔らかくなっていた。そしてアキラとまた話をするようになりたいと言ってくれた。
「もちろん。俺もだよ」
俺もそう答えた。またLINEを交換した。お互いに心のつっかえが取れたと思う。

絡まった糸は自分の中にはない

何度も言うが、いくら自分の怒りを癒そうと、自分の中の子供を癒しても何の意味もない。そこじゃないからだ。内なる子供の感情を吐き出すようなカウンセリングのセッションをよく見かけるが、はっきり言ってそれで癒されている人はいないだろう。カウンセラーの言葉に影響され、性格がよりキツくなり、嫌な顔つきになる人が多いのはそのせいだ。

自分の中に問題を求めるのではなく、もっと俯瞰したときに生命の流れのようなものを見つけることができる。特定の何かに問題があるわけではない。生命の流れが梗塞してしまい、表面的な問題が起きているのだ。

梗塞した生命の流れをまたサラサラにするための解答こそ、自分の中にある。それは、「許すこと」だと思っている。
硬化した動脈を揉んでも叩いても血は流れはしないし、そんなことをしたらむしろ血管の内側が剥がれ落ちて詰まってしまう。それよりも許すこと、関わること、我慢すること、笑顔を作ること、そして過去の人たちに関わり続けることが根源的に問題を解決してくれるはずだ。

苦しいのに許すなんてイヤ!と多くの人が顔を真っ赤にして怒るが、だからいつまでも苦しいのだともう気づいたほうがいいよね。逃げても楽にはならない、

許すことでもっと俯瞰できる。癒すべき人たちの感情の流れが必ずある。

「大丈夫だよ、安心しなよ」と周囲の人たちにそう言って励ましながら、自分が我慢できることは我慢し、貢献できることは貢献し、捧げることができるなら捧げていくことが、なにより自分自身が癒しへと向かう日々だと思っている。

和解した彼女が言う。

「お父さん、お母さんとまた仲良くできるかな」

俺とまた仲良くなったのだからできるよと、俺は言って笑った。父親の糸がほぐれたことで、俺とキミの関わり方もまた復活したんだよ。

キミが自分のことだけを考えて苦しんでいた時には考えられないほど、これからの人生は静かに、そして優しいものになるよ。

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