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【羽地朝和インタビュー】スタッフが社長に15分1on1をしてみる②「ハラスメント研修」

近年、組織開発のなかで部下の成長を促す方法として注目される1 on 1。
この企画では、それを立場を反転させて行うことを試みます。そのようすをインタビュー記事にしたものです。

話し手:
羽地朝和(プレイバック・シアター研究所所長・コンダクター・研修講師)

聞き手:
向坂くじら(プレイバック・シアター研究所スタッフ・詩人)


詰め込み型の研修ではなく、話し合いをベースに


―今回は、ハラスメント研修について、ですね。わたしも、一回zoomアシスタントで入らせていただいたことがあります。そのときから、ぜひ一度羽地さんに話を聞きたいと思っていたんです。そのときは年配の男性管理職が多くて、わたしは最初、ビデオも切って、マイクもミュートにしていたんですけど、トラブル対応でやむなくちょっとだけ声を出したんですね。そうしたら、それまではなにもなかったのに、女性だとわかった瞬間、参加者の方からタメ口でチャットが届くようになりました。「ここどうなってるの?」「音が聞こえないんだけど」とか。敬語でも、一回わたしが対処方法をご案内したことに関して、「まだ音が聞こえないのですが……」みたいな追撃がくり返し来たりとか。なので、まあ、「ハラスメント研修、大変そうだなあ」という印象が……これはすごく偏見の籠もった言い方かもしれませんが、「ハラスメントをする人たち」に「ハラスメントをするな」と教えるって、大変じゃないですか?

くじらちゃんが若い女性だということで、主に男性の管理職が言い方や対応を変えてきた、ということですね。そういう社会や組織の体質がまだあるんでしょう。大きな問題の一つですね。くじらちゃんが言うことは、僕がハラスメント研修をやる上での大事な本質を突いている。
このところ、僕の中でもわかってきたところがあって。ハラスメント研修自体は、以前から各社やっているんですよ。だいたいが、座学で「ハラスメントに関する法律が変わりました」「裁判になったら大変ですよ」「だからハラスメントはいけませんよ」ということが扱われてきたんだけど、それをやっても本質は変わっていない。何も変わらないわけです。知識を与えられても行動や風土は変わらない。ましてや自分には関係ないと思うことには関心がわかない。ですから、僕はそういった形とは違った研修をやっていて、手応えがあるの。

―えっ、それでなにをやるんですか。知識の代わりに?

ただ「ハラスメントをやめる」ということがゴールではなく、継続して成果が出せる職場をつくりましょう、その為にみんなが生き生きと、言いたいこと話したいことを言い合える風土を作る。そのための研修です、ということを、まず最初にお伝えしています。不安なこと、不快なことがあったら、それを役職は関係なくお互いに言い合える、自分以外でも困っている人がいたら、「どうしたの?」「大丈夫?」って声をかけられる風土を作ることがゴール。それは、ひいてはみんなが働きやすい環境を作ることだし、そうなれば活性化したよい組織になる。それが継続した成果を生み出すには必須だから。
そのために、今日はハラスメントが起きない職場をどうすれば作れるかをみんなで考えましょう、というところからお伝えしています。「みんなで考える」ために大切なのは、これまでに見聞きしたり経験したハラスメントの事例やそのとき思ったこと感じたことを、お互いオープンに話し合える雰囲気を作ることですね。

―その話し合う人たちっていうのは、ハラスメントを受けているかもしれない側、ってことですか? 両方ありえるのかな。

そこがひとつのポイントなのですよ。おそらく今くじらちゃんは、上司から部下へのハラスメントを想定していますね。もちろんそれが多いけど、同じ一般社員同士で年齢の高い人から若い人、または男性から女性へのハラスメントもある。若い社員でも、派遣社員の方や外注先の方へハラスメントをする場合がある。最近は、部下から上司へのハラスメントもあります。
そういう意味では、誰もが知らず知らずのうちにやっているかもしれない。もしくは、誰もがそれを受けているかもしれない、ということを、研修前半でお話するようにしています。



みんなが働きやすい環境づくりのために、「ハラスメントをなくそう」という意識を共有する


よく、「じゃあ先生、NGワードを教えてください」と短絡的に言ってくる人がいる。そういう問題じゃないんだよね。もちろんNGワードはありますよ。だけどそれは本当に最低限のところで、同じ言葉でも、関係性とか、信頼関係があるかないか、言い方によって相手がどう受け取るかが変わってくる。結局、相手が嫌だと感じたらハラスメントになるので、そこが問題になってきます。ですからまずは、お互いの関係性をしっかりと作ったり、現状はどういう関係性なのかを気づくのが大事、というようなことを、「心の栄養ストローク」や「やる気のスイッチ」の解説からお伝えしています。

ーそれは正しいと思う一方で、どういうものがハラスメントかどうかはそのときどきによって変わりますよ、っていう言い方をすると、じゃあ結局なにがハラスメントなの? みたいなことにはならないですか?

僕が研修の中で主に扱うのは、パワーハラスメントと、ジェンダーハラスメントと、セクシャルハラスメントの三つです。その中のパワーハラスメントにも、さらに六つの類型がありますよ、っていう説明をする。ここは知識の講義になりますが、あくまでも、あいまいなものをみんなで明確にして議論をしやすくするための知識としてお伝えしています。

ーなんだろう。類型化するっていうのはどっちかっていうと被害者のためのものであるとも思います。まずしんどさがあって、「あ、これは過大な要求に当てはまるな、ハラスメントと言っていいのかもしれない」みたいなふうに、自分がされたことを被害であると認識していくっていうときは、類型がすごく役に立ちますよね。でも、加害している方には、「いや、これは過大な要求にはあたんないでしょ、だって関係性次第って言ってたし」みたいにとられてしまいそうにも思えます。

もちろん、どれも「本人が望まないことはしない」っていうところが第一なんだよ。くじらちゃんが言うように、類型化することは、「今思うとあれはパワーハラスメントに入るんだ」と意識化する、そのためのひとつの枠組みだね。

ー加害している方も、「あ、これは過大な要求になっちゃってるな」って気付けるのがいちばんいいんだろうな、と思いますけどね。

お互いに認識していれば、「過大な要求になってないかなあ」って話し合う材料になるよね。

ーあ〜。確かに、ハラスメントしたくないしされたくないよね、っていうのがお互いの中で共有できているっていうのが、一番理想な感じがします。

ハラスメントかハラスメントじゃないかってみんな迷う。そのときに、僕の持論なんだけど、こういう基準で考えてみたらどうですか、っていうことはまず投げかけます。同じようなその行為を上司に対しても行うかどうか、とかね。
それからハラスメントってね、当事者同士はハラスメントじゃないって思ってても、周りが見てハラスメントとして訴えられることもあるの。たとえば上司が部下を大きな声で叱りつけているのを、本人同士は関係性の上でハラスメントじゃないと思っていても、他の人はその声を聞くたびにビクッとして怖く感じる。そうすると、それはやめましょうっていうことになるんですよ。

ーそこで、「お互いはいいんだからいいじゃないか」とならないのは、ハラスメントをなくすそもそもの目的が「被害者にしんどい思いをさせない」だけではないから、ということなんですね。それ以上に、最初におっしゃっていた、「みんなが働きやすい組織を作る」、そしてその方が企業の発展に寄与する、という考え方がベースにある。

そのとおりです。みんなが安心して働ける職場を作るっていうのがすごく大事。



ハラスメントをする側の心の状態って?


ーうーん。ずっと思っているのが、ハラスメントをする人たちはハラスメント防止をどのように考えるか、ということなんです。
上司でも、同期でも、男女でもなんでもいいんですが、小さいコミュニティの中に強い人と弱い人とがいるという見方をした時に、その、「強い人たち」は、ハラスメントができる環境のほうが居心地がいい、とさしあたっては感じているんじゃないか、と思います。
彼らにとっては、その、「みんなが居心地よく働ける環境」と、現状、「ハラスメントをしたとしてもあまり人から怒られない立場にある自分たちが働きやすい環境」っていうのは、対立するんじゃないか。ハラスメントをしている側にとっては、「みんなが働きやすい環境の方がいい」とは頭ではわかっていても、そうすることは、本人たちにとっては、「現状の自分の働きやすさを相対的に下げる」と直感的に理解されるんじゃないか、と思うのですが。

そこはね、管理職を対象にハラスメント研修をやるときにはお話するところです。育成で大事なのは、自分が扱いやすい人を作ることは決して育成ではない、ということ。自分が扱いやすい人ばっかりを上司が育てていたら企業が衰退しますよね。逆に、自分を超える人、それは時として扱いにくくなるのかもしれないけれど、そういう意識で常に育成をしていたら、企業は発展するわけです。我々管理職は自分が扱いやすい部下を育てるつもりなのか、自分を超える人材を育てるつもりなのか、そこを自覚しましょう、と僕はよく言います。そういうテーマではないかね、いまくじらちゃんが言ったのは。

ーおもしろいです。わたしはこれまで、組織の中にいる人の価値観みたいなものにあまりふれずにきて、自分自身はなんとなく、肌が合わないと感じてきたんですよ。自分のしたいことや居心地のよさよりも組織の発展に重きを置いている感じが、資本主義の競争を最優先している、人間らしくない生き方くらいにちょっと思っているところもあるんですけど。
でも、いまの話は社会全体のこととして置き換えることもできて、全体のためを考えることは必ずしも個人のためであることと対立するわけではなく、それ自体が人間的であるってこともありえるっていうか……というようなことを聞きながら考えていました。組織で言うと、みんなが居心地よく、みんなが生き生きと働ける環境を作るためには、やっぱりどこかで「全体のために」という考え方が動機づけとして必要なんだなあ、と思って。
個人の居心地のよさを、ひとりひとりが最優先にしていくと、結局ハラスメントをする側の人にとっては、「ハラスメントをしている方が居心地がいい自分が自由に仕事をする権利はどうして守られないのか」っていう話になってしまいますよね。「嫌ならやめてもらって結構、ここは自由なんだから」って言われたら、どこか言い返せないところもある。でも、「全体のために」という考えを採用することで、それは単に組織の発展にとっても合理的じゃないよね、という言い方ができるようになる。

その通りです。

ーそれはすごく興味深いことだと思います。

ただね、くじらちゃん、現実的なことで二つ言いますね。
まず一つは、ある企業で事業部長や部長といった上層部の人のハラスメント研修を担当したの。僕の研修をやる前と後に、参加者の部下全員から、その部署で上司からハラスメントにあたる行為がこれまであったか、研修後に減ったかとか、いろんなことを360°のアンケート調査をしたのね。
で、僕の研修を受けた後も部下からの評価が変わらなかった人は僕の個人コーチングを受けることになった。それでわかったのは、部下からハラスメントしていると評価されている人は、みんなまず本人が辛い状況にある。強いストレスをためこんでいたり、そのまた上司から業績をあげろという強いプレッシャーを受けていたり。

ーああ、そっか。

ハラスメントやっている側は決してハッピーではない。だいたいストレスフルで、辛い人が多い。不安だったり孤独だったりね。だから、本当に誰にとっても不幸なんだよね。

ー言われると確かに、それはそれのしっくりくる感じはありますね。

だから、そういう人に「自分は辛いんだ」「ストレスを抱えているんだ」ということを自覚してもらって、すこし楽になってもらう、そうして今までと違う視点で自分や職場を見てもらうようにするのが僕の仕事かな、と思うんだよね。



現代の管理職のありよう


それから、二番め。なによりくじらちゃんに言いたかったこと。
じゃあ、やめたら、みたいなことを管理職が言うって言ったでしょ。それは成り立たないんだよ。昔は、会社が採用する社員を選べた。でもいまは逆で、入る人が会社を選ぶんですよ。
そういう意味でも、一人一人が生き生きと、のびのびと本来持っているものを発揮できる環境を作るのが管理職の仕事であると自覚しないと、今みたいな価値観持ってるとどんどん人がやめちゃう。「そんなだったらやめたら?」が通用したのは、企業側が力を持っている力関係のときだけだね。
だってくじらちゃんだって俺がやめたらって言ったらやめるよね。

ーやめませんよ。ケンカですよ。ケンカ。そんなんゆったら。

(笑)そう、それ大事! 
でもそう考えると、くじらちゃんの思っている前の時代のハラスメントとはだいぶ状況が変わってきている。
けれども、それでいて上司は前の時代の意識のままという場合も多いと思う。自分が部下だったとき、やめろといわれたらやめざるをえないからがまんしてた。いざ自分が上になったら、昔やってた上司のようにやろうとしてしまうわけ。でも今やそれじゃ通用しない時代、と自覚してもらう、ということも、ハラスメント研修で伝えてる。


ハラスメント研修で一番やりたいことは


とにかく、一番僕がやりたいのは、そのあとなのね。過去のことも含めてこれまで見たり、聞いたり、経験したハラスメントについてグループで話してもらう。そうするとやっぱり出てきます。その前にハラスメントの類型も出しているしね。
ここで大事なのは、そのあと「そのときみなさんはどうしましたか」って質問をすること。見て見ぬふりをしたのか、我慢したのか、もしくはハラスメントかどうかわからないからな〜ってうけ流したのか。だとしたら、これからは言いましょう、「これ間違ってませんか? やめませんか?」って話し合いを職場でしましょう、できれば本人にそれは不愉快ですと言いましょう。本人には言えない関係だったら言える人を見つけて相談しましょう、前の職場の上司だったら言えると思ったらその人に言ってもいい、課長からのハラスメントだったら部長に言ってもいいです。それでももしどうしてもそれでもだめだったら、ちゃんと相談窓口が社内にはありますよ、ということも伝えます。
そして最後、一番大事なのがここです。ハラスメント問題が生じない、いきいきと活性化した職場はみんなで作るもの、ハラスメントを気にして言いたいことが言えないというのは本末転倒、ということ。そのためにこれからどうするかをディスカッションして、グループで発表してもらいます。ここが一番やりたいことなの。そしてみんなが発表した内容を、研修全部が終わったとき、社内でなんらかの形で公にしたいの。
というのがまあ、いまの、僕がやってるハラスメント研修かな。以上です!

ーおもしろかったです。すごく広く言うと、いかにして強い人から弱い人にひどいことをさせないか、っていうのはすごく大事な問題じゃないですか。さっき羽地さんは、「ハラスメントをしている方が辛い状況にあることが多い」とおっしゃっていましたけど、自分自身がしんどいのならなおさら、ま、別に他の人がしんどい思いしててもいっか、ってついつい思ってしまうもんだと思っているんですよね。「会社の発展のためにいい環境を……」というのも、管理職の人には効いたとしても、新入社員の同期同士だったりするとまだあんまり関係なさそうだし。難しいですね。

まあ僕は、いろんなことを考えたあげくに「それは難しいですね」で終わりたくないの、そこで終わらずになにかできないかなといつも思うんだよね。まあ、そんな気持ちで研修をやっていて、最近はその思いでハラスメント研修もやってるかな。

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